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『生活』『暮らし』を蘇生させたい!2
先日、『暮らし』『生活』をより良く、豊かに、楽しくしたいと話しました。
あれから、少しだけ経ちましたが、日々難しさを感じています。
そのなかで実感したのは、やはり、先のnoteでも触れているように、心の在り方が大事なのだということ。
先のnoteの文中では、「日々に何を見いだしていくか」という話で書いたけれど、それで言ったら、私は、意識しないと、生活や暮らしに豊かさや楽しさや輝きや感謝を見いだせないのだ。
当たり前なのかもしれないが、私は、この、意識せねばならないという儘ならなさのようなものに、少しばかりガッカリした。
心に決めたら、そのように暮らせるのだと、甘い考えでいたのだ。
日々、特別なことはせずとも、そのような心の在り方であろうとするだけで、正直いって大変だ。
何故なら、すぐに気持ちがだらけて、簡単に『生活』『暮らし』が死んでしまうからだ。
『生活』『暮らし』、ひいては、『人生』すらも、心の在り方で決まるのだと思い知った。
心を腐らせず、だらけさせず、常に、イキイキと豊かに楽しく在るためには、何が出来るだろうか。
恐らく、根性論のような、「ひたすら念じる」「意志をただただ強く持つ」といったものは、無意味だし、無理だ。
あり得るとすれば、「日々、『目的』『目標』を持って暮らす」ではないかと思う。
至極当たり前だろう、そうだろう、しかし、私は、そう思う。
この『目的』『目標』をどのように決めるかが大事だ。
『目的』は言わずもがな、先のnoteの通りだが、そのための『目標』をちゃんと設定しなければならない。
この『目標』は、日々の暮らしや生活の中でクリアして、『目的』に近づくものでなければならない。
とはいえ、仰々しさ入らないと思っている。
たとえば、だらけずに、こなすべきことをこなすとか、晩御飯を丁寧に作るとか、そんなことでいいと思っている。
確実にクリア出来そうなものがいいだろう。
まず、今日は、だらけて横にならずに過ごすことにしよう。