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ぴょんぴょんは大事!

突然だが、皆様にとっての『ていねいな暮らし』や『豊かな生活』の象徴とはなんだろうか。
様々なブランド、様々なモデル、様々な料理家、数多あるだろう。

私の場合は、『暮しの手帖』だ。

出会いのきっかけは忘れてしまったが、今から10年ほど前に出会って、しばらく凝っていた。
マイブームが過ぎ去ってからは、たまーに買っていたのだが、この度、2年か3年ぶりに買いました。

暮しの手帖 2024 夏号

読むと心が整うというか、デコボコ道が平らになり、見晴らしがよくなるような、そんな気持ちになる。

何が好きって、その上品さだ。
特別気取った文章や内容ではないけれど、一本筋の通ったプライドと品位が垣間見える瞬間が一冊を通して続いている。
この感動や味わいを得るために、この上品な風を浴びるために、私は、『暮しの手帖』を読んでいる。

『暮しの手帖』は、極めて品の良い落ち着いた文章を書いている。
地に足が着いているという言葉が浮かぶような、そんなしっかりとした太くしなやかな文章を書いている。

それを読んでいると、私は思うのだ。

「私の文章って、跳ねてるなー!」

私は、小説も書いており、小説の文章が跳ねてはしゃぎ、落ち着きがないことを前々から自覚していたのだが、エッセイの文章も、同じであることに気付いた。

何とも落ち着きのない、よくいえば元気な文章を書いていると、我ながら思う。

以前、友達に、私の小説が落ち着きないことを話したとき、「落ち着いた文章を書くのは簡単。ゆう杏さんの文章は文章で、大事にした方がいいと思う」(意訳)と言ってもらったことがある。

その言葉を頂いたとき、本当に救われたし、私の文章を大切にしたいと思った。

だから、エッセイにおける、落ち着きのなさも、跳ねてはしゃいだ感じも、私の味だと思って、大事にしたいと思う。

とはいえ、『暮しの手帖』の落ち着いた文章への憧れは変わりませんが。


『暮しの手帖』を読むにあたり、風呂に入り、いい匂いがするシャンプーを使い、スコーンを焼いて、ミルクティーを淹れました。

しかし、スコーン。
材料の分量を間違えたのか、出来上がったのは、スコーンにしては、フカフカ過ぎて、でも、ちょっとパサつく、甘食のような物体でした。

スコーン改め甘食とミルクティー

ちゃんと食べられるし、美味しいし、わりと好きだけど、明らかにスコーンではない…。

そんな、なんちゃって甘食を食べながら、『暮しの手帖』を読み、休憩がてら、これを書いています。

今晩は、塩唐揚げを作る予定です。
しょっぱいものがたべたくなったので。


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