心が下る
今週は、調子いい瞬間も調子悪い時間も味わった週だった。
推し活のために上京した友達と数時間だけ会ったのは、楽しかった。
意外な言葉を言われて、有難く思ったり、興味深く感じたりした。
調子が悪い時間というのは、基本的に不意にやってくる。
段々と下り坂になっていく自分のメンタルをヒシヒシと感じながら、「クソー」と思う時間を経て、しっかりとメンタルが落ちる。
あらゆるものがクソみたいに思えたり、ただただ苦しくなったり、生きづらさを感じたり、身の置き場を無くしたような気持ちになったり、信じられるものがあまりにも少なくなったり、要は真っ暗な時間だ。
薬のおかげで希死念慮などはないが、『生きるの向いてない』という感情で一杯になるので、紙一重感が否めない。
果たして、薬の効果がこの程度で良いのだろうか?とたまに思う。
しかし、薬は、『下がりすぎず、上がりすぎない』という効果のものなので、一応は間違っていないが、落ちること自体をどうにかしたいのが本音だ。
調子悪くなると、調子良いときと思考や思想がまるで変わってしまう。
どちらも自分であり、どちらも本音なのだろうと思っているが、変わりように自分で驚いているし、引いてるし、戸惑っている。
そう、戸惑っている。
同じ1つの自分なのに、こんなにも変わってしまうのか、と。
調子悪いときの思想や思考は、調子悪いからなってしまったものだと分かっていても、その、調子悪い自分にとっての本気や本音には違いない。
そのズレみたいなものに戸惑っている。いつも。
この病気を患って15年近く経つし、治療を始めて数年経つけど、中々上手くいかないなと思う。
調子悪いと、孤独感や寂しさが猛烈に加速するのも、嫌だ。
調子悪いと押し寄せる苦痛には、孤独感や寂しさも含まれる。
「誰にもわかって貰えない」みたいな孤独感ではなく、ただただ、誰かと繋がっていたいのに誰とも繋がれていないと感じてしまうそれだ。
誰かといたい、今の私(調子悪い私)を知ってる人といたい、と切実に思う。
この寂しさや孤独感にも耐えなくてはならない点においても、調子悪い時間は苦痛だ。
苦痛から解放されたくて、色々と模索しているが、思うようにいってないのが現状だ。
信仰している宗教に調子悪いときの私の身の置き場は見つけられないし、他の宗教にも中途半端な存在としてしか身は置けないし、私自身、苦痛に対して、その場凌ぎの誤魔化しが出来ないし、自分で自分を救い上げる余力がないし、自分を自力で救済することをそもそも望んでいないし、私は、私でいることが苦痛でしんどいので、現実的な選択肢が多くない。
基本的に、調子悪い自分を実感して、苦痛に耐えながら、ただただ大丈夫になるのを待つことしか出来ない。
これを書いてる今も、ゆるやかにメンタルが落ちている。
クソー、と思いながら、ここまで書いている。
苦痛がない時間もあるけど、その時間の先には、必ず調子悪くなる自分がいる(苦痛が私を待っている)ので、苦痛に付き纏われない人生をあまり歩んだことがなくて、そんな人生が想像つかない。
早く、苦痛がなくなるか、苦痛から解放されるか、したい。