ひとつの思想を世にぶつけたかった熱量
amazonプライムで神山版攻殻が配信されていて、いまさら観てもしょうがないと思いつつ、ふと暇なときにつけてみたら、結構意外と新鮮な発見があって、面白かった。
SACについていうと、メインストーリーとサブストーリーの関係性について。
以前は両者をわりと別物だと思ってたんだけど、かなり意図的に共通モチーフを導入していて、サブストーリーはたんなるサブでなく、メインを理解するための補完的なものになっていたみたい。
例を挙げると、3話で大使の息子が量産化された機体のひとつを特別扱いする行為はバトーとタチコマの関係性の暗示であったり、元ネタのセリフをオリジナルが書き換える行為は、笑い男事件の解決の突破口を予告している。7話で革命家の複数の機体の記憶を繰り返し並列化する話もそれに連なる。
あるいは、8話の医師の卵たちの虚偽行為。13話の誘拐と監禁、髪の白化。14話で番犬ロボットの目を盗む話。16話、妻帯者の不器用なスパイ業務。17話、体制から標的にされ、時間稼ぎと足元に男女が密着しながら潜伏する件。19話、リストに載ってしまっていた、載ってはならないキーパーソン。社会的な地位と個人的な価値の2択。2話、18話、記憶の共有による意志の召喚。
想像だけど、もしかしたら、制作者はまず笑い男事件のストーリーを描き、話数を膨らますのと世界観の補強の目的で、それを要素分解、サブストーリーで取り上げる形にしたのではなかろうか。
ちなみに各話のサリンジャータイトルについての考察はこちらの記事が面白かった。
改めてこうして俯瞰してみると、脚本開発だけでも、相当に凝ったことをしている。
制作者がそこまでしたモチベーションは、どこにあったのか?原作のエネルギーがその根源なのだろうけれど、それに加えて、やっぱり、ひとつの思想を世にぶつけたかった熱量を感じる。
みんながみんな、同じ情報に触れて並列化されること。その産業構造の上部で私的な考えにより隠蔽や虚偽がまかり通ること。大衆も体制も、くそったれとしか言いようがないくらいに、腐っている。そのことへの異議申し立て。
そんなことを考える自分もまた、量産の産物によるコピーでしかない。いや、そもそもあらゆる個人はコピーである。いかにして、個は個であることを担保できるのか。
動機を持つものだけが、オリジナルに接近することができる。古典に迫り、そこになにか、ひとつだけでも良いので、意味を付け加えること。
本作はそのことへの希望を語っている。語られる希望に酔うことは、自らをコピーたらしめる罠である。そこから逃れるためには、人は常に客観性を持ち、構造を解析し、hackする意志を持つ必要がある。