「とは」と「いかに」
新しい価値というやつは、「とはなにか」と「いかにして」を同時に問い、同時に解くことである。
卑近な話でいえば。
DXとはなにかを知ったから、DXを実現できるわけではない。
DXを実現した人が、DXとはなにかを理解できたとも限らない。
どちらの人も、DXという「単なる言葉」に踊らされ、踊ったにすぎない。
世の中には、いろんな「単なる言葉」がある。民主主義。自由。イノベーション。正義。SDGs。これらは全て、言葉である。その言葉自身のあらゆる言葉と異なる言葉から、自身を区別するという行為だけを、主張しているにすぎない。
言葉とは、たんなる言葉だが、大いなる可能性を秘めている。
可能性を可能たらしめるために人間ができることは、ひとつしかない。
「とは」と「いかに」を同時に立問するのである。
言い換えるならば、ある未知なる言葉「X」があったとして、Xに対して、同時に「とは」と「いかに」を問うことで、解くことのできるXを発見せよ、ということである。
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