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狭い意味での成功は致命的な失敗を招く

 企業の名声が確立し、規模が大きくなり、社会的責任が重くなると、失敗が許されなくなる。

 大きい組織は代替可能な人材が豊富(に見えている)ので、そこに所属する人間にとって、失敗は経済的な死を意味しかねない。そんな不安が組織をうっすらと包んでいる。

 しかし考えてみると、生きるとは、変化することである。未知なる世界を、未知なる自分を、知っていく過程である。世界も、自分も、ポテンシャルに満ちている。どちらについても、働きかけてみて、反応を得ることでしか、理解は進まない。
 計画立案とは、働きかける前に考えていた世界像や自分像をもとにした最適化問題である。計画が計画通り進むのは、まぁ、結構な話であるが、当事者にとっては何の変化も起きていない。
 大切なのは、計画通り、でなく、約束を果たすことだ。
 約束を果たす、というのは、変化を経験しながらも、当初合意した成果を達成していく、ということだ。コミットメント、というやつである。約束を果たす、ということと、計画をこなす、ということには天と地ほどの違いがある。
 ちなみに、コミットメントやらマニフェストやら、形式上の言葉を弄んで約束を果たさず平気な顔をすることや、果たせなかったからといってその実行過程を全否定することが、あまりに多い。これは現代における、悲劇である。

 約束を果たそうとして、ギリギリまでそれを追い求め、見失ない、また新たな約束が立ち上がる。そんなこともある。その先には、当初の計画を大きく超過達成する、大成功の可能性がある。
 計画通りでない=失敗、と定義すると、これは間違いなく失敗であるが、ここにおける失敗はむしろ、死の世界ではなく、生に属している。

 約束において必要な要件はただひとつ、真摯であることだ。そこには、できない約束はしないように気をつける、とか、互いに取れるリスクはどこまでか、とか、本当に実現したいのは何か、とか、最小コストで最大効果をあげるにはどうするか、とか、いまここで優先すべき価値とは何か、とか、「次、どうするか」をあらゆる角度で考え抜くことだ。

 大きな組織は、狭い意味での失敗を防ぐ行動をとって、致命的な失敗への道を歩きがちである。

 これは本当に、非常に、もったいない話なのである。

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