見出し画像

一般論としての侠気と嘘

 少し客観的に、己の状態を振り返る瞬間があって、少し、疲れているのかもしれない、と、ふと、思ったのだった。色んな兆候をひとつひとつ確かめてみると、もしかしたら、自分が思っている以上に、疲れているのかもしれない。

 それはおそらく、自分ができること以上のことをせよと、自分に命じていたのが原因だと思われる。

 ここで無理を重ねては、悪化するばかりである。いま再びの「手離し」が必要な局面と、思われる。
 なんか、こう、なかなか、どんなにやっても、成長というやつは難しくて、いかんともしがたいものである。

✳︎✳︎✳︎

 世の中には真剣に考える人よりも、微温的な夢に騙されていたい人の方が、多い。夢を見て、夢を語り、己が善人であるというムードのなかに逃避する。
 世の中には夢を売る人がいて、夢を買う人がいる。ただ、それだけのことといえば、そうである。
 人は、現実みたいに夢のないものは、見たくない。それで良いのか、とは思う。しかし、人のことをどうこう考えても、詮無いことである。他人のテーマはあくまで他人のテーマであり、己は己のテーマに向き合う。それが、生きるということの実相である。

いいなと思ったら応援しよう!