136.(80/365) 人生初Studio!!
今日、人生で初めてレコーディングスタジオなるものに足を踏み入れた。
とは言っても、地元の小さなスタジオなのだけれど、何も知らない初心者からすると、もうそれだけでなんか心臓がドキドキ!
大人になっても、こういうドキドキが経験できるのって、とてもうれしい。
なぜレコーディングスタジオに行くことになったかというと、ぼくがプロジェクトメンバーとして関わっている先生シェアハウス「わいが舎(や)」のプロジェクトの一つに、「先生たちの応援ソングを作ろう」というものがあって、「ギターが足りへんから参加して!」と言われたのがきっかけで、それがあれよあれよという間に今日のスタジオ収録に至ったというわけだ。
エレキかアコギかもわからない状態だったけれど、プロジェクトメンバーの方に、「どっちでもいいよ!」と言われたので、音色的にこっちかな?と思って、アコギの方を持っていくことにした。
妻にギターを買ってもらってから約8年。
ギターにどハマりして、一向に上手くはならないけれど、弾くのだけは本当に好きで、家で「うるさーい」と言われながら弾き、学校でも放課後や休み時間に弾き…と「趣味です!」と言えるくらいには、弾き続けてきた。
最初にスタジオに入った時は、その防音設計ゆえか、音を吸収する感じがめっちゃあって、いやに静かなセッティングの時間にめちゃくちゃ緊張した。
けれど、結果から書くと、めちゃくちゃ楽しかった!!
もう、メンバーの皆さんと合わせるのが楽しすぎて、1人で弾くのとはまた違った喜びや楽しさが全身に満ちてくるのを感じた。
ぼくは、今回がリアルで初参加(前回の練習は予定があり参加できず)だった。
はじめましての方もいる中で、スタジオも初めて。
こんな状態でうまくできるのだろうか…と思ったけれど、全然大丈夫だった!
皆さんのお人柄が良すぎて、心地よかったのがかなり大きい。
感謝しかない。
さらに、ただ集まるのではなくて、ぼくらみんなの真ん中には音楽があった。
それもすでに完成しているものではなくて、まだまだこれからみんなで磨き上げていく必要があるもの。
そのことが、とても心地よかった理由なんだと思う。
何もなく、生身の人同士でお互いに向き合うとなると、そこには関係性という変数がかなり大きな影響を持つことになる。
でも、ぼくらの間には、共有されている一つの音楽があって、それを間に挟むことで成立する関係性が、その距離感も相まってとても心地よかった。
お昼過ぎに集合して、セッティングから練習、収録まで終えると、夕方の4時だった。
でも、あっという間に終わってしまったというのが、偽らざる感想で、もっと色々みんなでやってみたかったなってちょっと名残惜しさを感じるぐらいになっていた。
特に、もうそろそろスタジオを出ないといけないとなってからのラスト3回の通しは、すごく楽しかった。
一回、また一回と終わりに近づくにつれて、頭の中で蛍の光が流れる感じがして、気合いが入った。
一回一回の演奏は繰り返しているんだけれど、どれひとつとして同じものはなくて同じ歴史は繰り返していない感じが、何とも言えずワクワクした。
再現性と一回性についてすごく考えさせられた時間でもあった。
再現性は、よく授業の文脈でも言われるのを聞いたりする。
時に、「その授業はあなただからできるんだよ。」がネガティブな響きを持って言われることもある。
でも、ぼくは授業を含め、人生の色々な場面で、そういう考えはポジティブに受け止めてきた。
再現性は、ひょっとすると、Chat GPTで騒がれている今日この頃、人がやることの価値はこの先どんどん薄れていくのかもしれない。
けれど、一回性は、そこに雑味やちょっとしたタイミングのずれ、その時の感情、さまざまな変数が乗っかって、その時にしかないものを生む。
それは、本当に一回きりで、2度と全く同じ演奏はできない。
けれど、そのこと自体が儚くも豊かなこととして、記憶に、体験に刻まれるんじゃないだろうか。
そんなことを思った、ぼくにとって人生初にしてとてもとても豊かな時間だった。
演奏データを編集してもらって、完成披露試聴会が4月の末ごろに決まった。
今日は、誰もみんなで演奏した曲を聴いていない。
でも、それがいいなあと思う。
4月末までに、皆さんがそれぞれの現場で、この思いをいい感じに発酵させて、満を持して4月末を迎えるのだ。
その時、演奏を聴いて、ぼくは何を思い、何を感じるのだろう。
それが楽しみで仕方ない。