なにもしない、そのあと
私は疲れていた。
ここ何ヶ月も、仕事も恋愛も身体も一体どうなってるの?というぐらい問題が生じて、仕事の忙しい合間をぬっては、心の中でどうしてこうなった?と、思い悩んでいた。
平日はとにかく仕事で疲れてしまって、残業後にはすぐにベッドに入って眠ってしまう日が続いた。土日も寝込んで昼下がりに起きることも多かった。
なにも気力が湧かない、疲れているというときに、よく言われるのが、「何もしないで、とにかく休め」である。
そういうことなので、何もしないで、とにかく眠ってみた。
休んだあとはどうなるのかは、誰も教えてはくれなかった。
そして、私の場合は、死にたくなった。
詰まるところ、人生に退屈した。
身体は休まったけれど、仕事も恋愛も悩みが尽きないし、ずっといやだったことばかり考えてしまって、ベッドにいても散歩していてもストレスを感じた。
やりたいことも楽しいことも夢もない、何が嬉しいかもわからない。
あれー、人生生きていても別にいいことなんにもないよな。
という具合になる。
思い悩んでいるときというのは、自分では何か思考しているつもりなのだが、実はただ恥ずかしかったこと、自分の小さな失敗を思い出しては自分はだめなやつと反芻するばかりで、何かの結論に達することはない。
地獄のループにはまってしまった。
しばらくの間、地獄のループにはまっていたあと
「そうか、私、人生に退屈しているんだな」とやっと悟った。
「今日は運動したくないな、と思うときこそ運動するべきタイミングである」
「身体の疲れは睡眠で、心の疲れは運動で癒す」
などという言葉をどこかで見かけて、「なるほど」と思い、
ある日ついに、ジムに通うことに決めた。
何年も何年も身体を動かしたいような、動かしたくないような、家でも運動はできるのにジムにお金をかけるって贅沢なような気がしたりしなかったりで、何かしら言い訳をして何もしてこなかった。
やっと、ジムの契約ができた。
レッスンもなにもない、ただマシンが並んでいて、それを一通りやれば全身の運動ができるという、そんなシンプルなジムだ。
それでも、ちゃんと休んで、人生に退屈したおかげでここまでこぎつけられたのかもしれない。
そういうことで、仕事の繁忙期も終え、近頃ジムに通うようになり、ほんの少しだけ、今は心が軽くなった気がしている。
よかった。
と思うのもつかの間である。
ジムに通って少し経つけれど、また、不安感が襲ってくる。
多くの人もそうだと思うが、私は物心ついたころから、いつだって自分には何かが欠けているという思いがあって、何かをいつも心配している。
身体を動かしたところで、安心なんてしきれるわけがない。
脳は、常に次の心配ごとを探しているのだ。
「どんなにちいさなことでも、自分のやりたいことに向き合って、
バカにしないで、実現してあげること」
「他人も自分もバカにしないこと」
これもどこかで聞いたのだが、身に沁みる言葉だった。
私はこの何年も、自分の本当にやりたいことなんかわからない、知らない、ということにして、向き合ってなどいなかったかもしれない。
はっとした。
眠って身体を休めて、運動して心が少し癒されたなら。
じゃあそのあとは、自分のやりたいことに向き合って、バカにしないで、
自分のために実現してあげるといいのかもしれない。
おわり