苦しいときに、思い出すこと
今の職場には、気遣いが上手で、親切な人が多い。
誰にでも、私にも、分け隔てなく、フラットに接してくれる。
私は前職でずっと下っ端扱いをされていたし、それを当たり前と思っていたし、上司や先輩と私では周りから扱いが違うのは、意識せずとも然るべき姿なのだと思っていたが、
この会社にきてこんな風に、人を人らしく扱ってくれる世界があるのだと知った。
知らず知らず、世界とはこんなものだと、世界とは世知辛いものなのだと、思っていたけれど、そうではない世界があるんだと、目が覚める思いがした。
そんな中でも、嫌な噂話を聞いたり、その場にいない誰かのことを誰かが悪く言う場面に出くわすことが多い時期があった。
自分も難しい案件を任される場面が少しずつ増え、全然自信がないのもあいまって、自分もこういう噂話の対象になっているんだろうな、と人の噂話がこわくなった。
どの世界にも、やはり、人の噂は絶えない。
自分も抜かりなくやらないと、人にどう思われてるかわからない。
その場にいる人たちの言葉がやたらと空虚に思えて、
本当のことはなにも言っていないんじゃないかという気がして、見えない人からの評価というものがこわくなる。
この人もあの人も、裏では、黒い色をした妬み嫉みをぶちまけているに違いない。
自分の弱さを口に出して話していい相手がいない気がした。
こんな気持ちを、勇気を出して、ある人に明かしてみた。
話してみてはじめて、自分は、涙がでるぐらい、怖くて、息が詰まる思いだったことに気がついたので、
本当に、まだ言葉にしきれていない状態であっても、自分の気持ちを話すというのは大切なことだと思う。
その方が、言ってくださった言葉がある。
「よく考えてみてください。
あなたのいう、その親切な人たちは、あなたが失敗したときに、一緒になってリカバーすることは考えずに、ただただ失望するような人たちなのでしょうか?」
涙が出そうになった。
失望するような人たちだと思っていたわけじゃない。
涙がでそうになったのは、きっと助けてくれるだろうなと思える人たちのことが頭の中に浮かんだから。
「漠然とした”職場の人たち”ではなくて、
”きっと助けてくれると思える人たち”との関係性に思いを馳せながら、
お仕事をするのも、心を支えるために、いいかもしれません」
本当にそうだ。
私が、本当に困っているときに、助けてくれる人はいる。
数は多くないかもしれないけど、絶対にいる。
辛い、嫌な人間関係を悲しむのではなくて、
温かな人間関係に注目すればいいのだ。
私はそういう人たちを助けるためなら頑張ることができる。
私もその人たちのことを見捨てない。
彼らもきっと、同じように私のことを見捨てない。
たぶん私が何かに失敗して、どうしよう!しくじりました!と相談すれば、
笑って、「困ったね、どうしようか?」と一緒に考えてくれる人がいる。
たぶん「やれることあればやりますよ」と言ってくれる人もいる。
そう気がついて、信じられないぐらい、心が軽くなるのがわかった。
温かな人間関係に注目して生きればよかったのだ。
ああ、こんなに気持ちが穏やかになるなんて。
たくさんでなくていい、数人でもそういう人の存在を感じながら、
その人たちとの関係に思いを馳せながら生きることができたら、
生きる勇気が湧いてくる。
つめたく冷えた心に、暖かい日差しが一筋入り込んだような、そんな気持ちがする。