バックパッカー旅 ウズベキスタン編 vol.1
ブハラへの列車は日本の新幹線のように静かで快適だった、しかし日本のそれほどの速度は出ていない。どの形式の列車に乗るかによっても異なるが、ブハラへと向かう列車に関しては日本の新幹線よりも遅く、自動車よりも早い程度だった。
ブハラに着いた。降りようとする人たちは身なりの整った観光客が多く、僕のようなヨレた服を着たバックパッカーはいない。肩身の狭い思いをしながら列車を出る。
時刻は18時。ウズベキスタンの9月はまだ夏ではあるものの、空気がかなり乾燥しているので(喉は痛むのだが)快適ではある。夕暮れ時になると薄い上着を羽織りたくなるほどだ。
駅を出るとタクシーの運転手が「タクシー?」と話しかけてくる。宿への移動はタクシーが必要ではあるが、直接交渉するよりも、アプリで配車してしまった方が楽だ。首を横に振りながら、運転手の群れを抜ける。
アプリでタクシーを呼び、宿へと移動する。ここまでヌクス、ヒヴァとウズベキスタンの街を旅してきたが、ほとんどの車はエアコンを使わずに窓を開けて涼をとる。車が壊れているのか、壊れやすいのか、ガソリンを節約したいのか、理由は定かではない。しかし乾燥した地域で窓を開けると砂埃が大量に車内に入ってくる。服やカバン、自身の髪や肌には砂がついてしまい、ホテルに入る前に軽くそれを払い落とすのが習慣になっていた。
またウズベキスタンの道路は舗装がそこまでしっかりとしておらず、ところどころ道路に凹凸ができている。スピードを出してその凹凸を通り抜けようとすると車体が大きく縦に揺れ、その度に天井に頭を打ちつける。タクシーでの移動は決して気の抜くことのできない移動になっていた。
宿はタクシーでは入りきれない、狭い道にあるらしく、途中から歩いて向かうことになった。ブハラは観光地として栄えているためか、他の地域と比べて道路の舗装が新しいように思える。少し歩くとホテルが多く連なる通りに出たが、街灯がないためか少し身の危険を感じる。ホテルの表記も暗くて見えないため一度通り過ぎてしまったが、なんとか見つけることができた。
中に入ったがそこは屋内ではなく中庭のような構造になっており、そこを囲うように宿の部屋が並んでいた。
受付の前で少し待つと高校生ほどにみえる青年が迎えにきてくれた。先払いだったが持っていた現金が足りない。後で払うことを了承してもらい、部屋に案内された。
2階の個室に入るとダブルサイズのベッドが1つ、トイレとシャワールームがユニットバス形式であるシンプルな部屋だった。バックパッカーにとっては十分すぎる設備と清潔感だ。ヨーロッパでは古びたドミトリーでさえ1泊5000円ほどの価格だったのに、ウズベキスタンだとその半分以下の値段で個室に泊まることができる。
荷物を解いてシャワーを浴び、その夜は疲れていたので早々に眠ることにした。
翌朝、PC作業がしたいのでカフェを探すことにした。Google Mapで探したカフェへは歩いて10分ほど。外はカラッとした暑さに包まれていた。
ブハラはウズベキスタンの中央に位置しており、首都のタシュケントは東側の国境に位置するので、ローカルな側面が強い。そのためか観光地ではありつつも、現地の人が暮らす街としても機能していた。
カフェへの道中では学校や住居が立ち並ぶ通りにも出た。平日の日中なので生活音は聞こえなかったが、ウズベキスタンの暮らしの一部に溶け込んでいるような感覚を覚えた。
カフェに着いて、コーヒーを飲みながらPC作業をしていると、斜め奥に2人組の女性が座り始めた。1人は20歳あたりに見え、もう1人はその親なのだろう。聞き耳を立てずとも慣れ親しんだ音が聞こえてくる。どうやら2人の女性は日本人のようだ。久しく聞いていなかった日本語を頭の片隅で聴きながら、黙々とPC作業を進める。
ある程度進んだところで一息ついていると、彼女たちが「日本人ですか?」と話しかけてきた。「そうです」と答えると矢継ぎ早に彼女らについて教えてくれた。
娘の方は明奈(めいな)という大学生で、夏休みの期間を使って親子でウズベキスタンを観光しているとのこと。スペインでの留学経験があるので、僕と比べると全然海外への指向が高そうに思える。
僕がバックパッカーをしていることを伝えると、他の国で出会った僕と同様のバックパッカーたちについて教えてくれた。どの方も大学生だったので、僕の年齢で旅をしている人は珍しいのだと思う。
これからブハラを回るのだけど、一緒に回らないか?と誘いをいただいたので快諾した。
タクシーを使って小さな教会やモスクを見た後、僕らはランチを食べるべくレストランへ出向いた。彼女らはできるだけ多くの郷土料理を食べたいのだが、普段の食事量が少ないらしく、僕と来たことで品数を増やせることに喜んでいた。
明奈の母は、僕が今まで会ってきた人の中で1番といっていいほどの話し手だった。溢れんばかりの笑顔で目を光らせながら、彼女自身についての身の上話を間髪入れずに話す。とてもエネルギッシュな人だ。親子で対照的なのか、明奈の方はあまり自身について話さない。2人とも同じ程度の話し手ならば会話が成り立たないので、こちらとしてはありがたいが、普段の家族との時間でも同様であるならば心配になるくらいだ。相互理解を諦めているようにも思えた。
ピラフや餃子のようなものがテーブルに並んだ。日本のそれとは異なり、ピラフは油が多く使われていて、甘い木の実が入っていた。2人が言っていた通りすぐに満腹になったようなので、僕が半分以上を1人で平らげた。
ランチの後はいくつかモスクに訪れたり、鉄塔に登って街を一望していた。海外旅行に対する姿勢は人それぞれあるが、彼女たちのそれは僕と似ており、ゆとりを持って自由に組んでいた。過去にガイドに依頼して観光したことがあったが、休む暇もなく移動をさせられて疲弊してしまったらしい。
日が暮れた後、ブハラの中では有名なレストランで食事をすることにした。正方形に作られた池を囲うようにして席が設けられており、どの席からでも池に浮かんだアヒルを眺めることができる。
僕らはビールとピザ、シャシリクを注文した。シャシリクはいわゆる串焼きで羊や鳥などさまざまな種類の肉を食べることができる。
レストランでは大学生である明奈の人生相談を受けたが、社会に出て間もない自分が大層なアドバイスなどできるわけもなく、あまり実りのある返答ができなかった。ただ、良い大学に入っているので、大きく将来に困るということはないと感じた。
夜も深まったところで、僕らは別れた。ウズベキスタン自体は各街が一本の鉄道で繋がっているので、また同じ地点をそれぞれが観光することになる。
「また会えたら」と最後に言い合った。