風向きが変わった日
テコンドーを始めた日。
基本動作、蹴り、型(プンセ)を少し教えてもらって練習終了。
年の近い子が何人かいて仲良くなれた!
習い事って楽しい〜♪(´∀`*)
そんなルンルン気分で初日を終えたが、まさかこの後、地獄のような日々が待ち受けていようとは…
やはり、テコンドー(跆拳道)。
スポーツとはいえ、武道であり、格闘技。
対人相手に行う組手(キョルギ)、これが何より嫌だった。
とにかく痛いのが大嫌いだった私は、殴られたり、蹴られたりするとすぐに泣いていた。
特に昔から泣き虫だった私は負けず嫌いなくせに勝負に負けるとすぐ泣いていた。
練習で泣かなかった日は無かったと思う。
体はすごく小さかったけど、運動神経は良かったから練習では褒められることが多かったけどこれが実戦になるとまるでダメだった。
さらに、当時はテコンドーの競技人口がすごく少なくて私が始めた頃は大会なんてなかったから、少林寺拳法の大会に出ていた。
テコンドーしてるのに…
ルールは似ているが、胴体に防具を付けないため、とにかく痛い。殴られては泣き、蹴られては泣き、全くダメだった。
デビュー戦は勝ったが、その後は2年ぐらい全く勝てなかった。
大会に出るたびに、増えていく心の傷。
いつからか辞めたいと思うようになっていた。
ある日、練習にいく途中で気持ちが抑えられなくなった。
母親に行きたくないとグズって泣き叫んだ。
それでも引きずられて体育館の入り口まで連れてかれた。
結局、その後練習に参加したけれど、何で母は私の味方になってくれなかったのかと不満に思い、悲しかった。
がしかし、ある時の練習帰り。
母親にテコンドー辞めたいって言ったら、あっさり、「いいよ!」と返された時があった。
あまりの即答に違和感を感じたが、それ以降は次、嫌なことあったら辞めればいいか!と考えるようになって気持ちが楽になった。
そんな事件がありながらも、徐々に昇級し、小学3年になった頃、試合で少しずつ勝てるようになっていた。それでも、地方大会で3位とか4位レベル。
同じ、道場に通っていたSや先輩達はみんな1位とか2位。ちなみに2位は大体、同門対決での負け。異種競技からの参加なのに無双して、上位独占状態。もう意味不明よね(笑)
そして、私に転機が訪れる。
小学3年になった頃、テコンドーの競技人口が徐々に増えてきて、県協会が発足し、県大会が開かれた。
そこで私は何と優勝してしまう。
しかも、決勝の相手はS。
(トーナメントは学年別で分けられていた)
Sは身長が高く、同学年の中で身長順だと大体後ろから数えたほうが早い。当時、Sとの身長差は30cm程あったと思う。
圧倒的不利。それを跳ね返して勝てたことで初めて自分に自信が持てた瞬間だった。
ちなみに、少林寺拳法の大会は体重別で階級が分かれていたのでSと対戦したことはない。
今まで、自分より大きな相手に勝ったことなんてなかったが、テコンドーは顔にヘッドギア、胴体に防具を付け、そこに攻撃を当てて得点で勝敗を決めるためシンプルでわかりやすい。
パンチやキックが当たるともちろん痛いが防具つけているので全然我慢できた。
これだったら自分でも戦える。
テコンドーって面白い。
そう思えるようになった。
この大会が転機となり、優勝で味を占めた私は、そこからどんどん競技にのめり込んでいく。
そして、その年(2000年)シドニーオリンピックで正式種目として実施されたテコンドーで女子選手が銅メダル🥉を獲得。
私はそのニュースを知って、自分もいつかオリンピックで金メダル取りたいと思い、いつしかそれが夢になった。
それから約13年後、大学卒業直後の大会での敗戦を機に引退し競技生活に終止符を打った。
夢は叶わなかったが全国大会には4回出場(高校3年、大学1、2、4年)した。
※大学3年時は就活のため活動休止
大学生の時は道場とサークルどちらにも所属して、サークルではコーチ兼任選手という形で活動していました。
またその話は後日書こうと思う。
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