見出し画像

ちょっとしたおはなし。

  こんばんは、今眠気まなこでこれを書いています。深夜の2時17分です。夜中なので、ちょっと真剣なお話をしようかななんて思います。

  私はまだ事務所所属2年目の新人ですが、演劇歴自体は実はちょっと長いです。中学二年生、14歳になる年の夏に俳優になることを決めて、今6年目になります。演劇歴は年度が明ければ8年目。"舞台に立って練習してきたパフォーマンスをする"という点で言えば、舞台歴はもっと長く、細かくは覚えていませんがだいたい15年目になります。もう人生の1/3をパフォーマーとして生きてきました。人に見られ、人に見せ、人に提供することが当たり前の人生でした。だからやっぱり色々考えてきてるんですよね。人前に立って目立つ人であり続けることってどういうことなんだろうとか、役者として生きるって、とか、作品を作る、お客さんに見せる、お客さんから対価を頂く、その他色々考えてきました。もちろん自分がパフォーマーとして生きる意味とか意義も考えてるし、役者として生きる覚悟も決めてきたつもりでした。

  でも、そんなの全部「つもり」だったんだなって、最近とてもよく思います。

  これだけ長く一緒に生きているので、私は自分の中で演劇への向き合い方のテンプレートが出来上がっています。言い方を変えれば、思考回路だったり順路だったり、色々ありますが要は体系化されているということです。お客様への向き合い方もそうですし、座組、稽古場、役者、演出、色々な人や場面や場所、組織への向き合い方が体系化されています。だから演劇やパフォーマンスにおいて心病んで、思い悩むことはありません。そこの段階は既に通過し、パターンを理解しているからです。そもそも私からすれば、演劇をやっていて病むような人間は、作品と向き合う前に自分と向き合えっていう話で、そんな人はお客様の前に立つべきでないと思っていました。そんな役者は危うくて、お客様を心身共に安全にお帰し出来ないからです。って、別に批判がしたい訳じゃないんです。過去の話です。過去の私はそう思っていたって話です。
  自分への向き合い方、作品への向き合い方、それが体系化しているからこそ、私は自分がしっかりと役者として生きていく覚悟が出来て、そう生きることが出来ていると思ってました。でも、思っておるだけでした。

  ふとした瞬間に気付くんです。自分が怠けていたり、舐めた態度を取っていたり、覚悟が緩くなっていることに。その度にしっかりしなくちゃと思ってまた背筋を伸ばすのですが、気が付けばいつの間にか怠惰な自分に戻っているんです。そしてとても強い意志を持った方とお話する時に、自分の不甲斐なさに情けなくなるんです。
  私は役に飲み込まれない役者こそ、良い役者だと思っています。板上や稽古場とプライベートをしっかりと分けて、役に自分の生活を脅かされない役者こそ"プロ"だと思ってます。そのために私の演技やパフォーマンスのスタイルも、板上の自分は別人格で全く精神干渉されません。舞台の上ではもちろんその感情でいるのですが、それは「私」ではなくて「舞台に立っている私」でしかないということです。だから私は作品と自分の間に一歩距離を置いています。ですがそれが逆に、考える余裕を自分に与えてしまっているんだと思います。それは良いことだと前は思っていたのですが、言ってしまえばやらない口実や、楽をするという選択肢を考える余裕を与えてしまっているということです。作品に対してクールでいることがプロフェッショナルでかっこいいと思っていたのが、逆に作品に対して感情移入のない役に対して非情な役者を作り出してしまいました。それだったら、感情を掻き乱して、私生活に支障をきたすくらいに病んででも、作品に没入して考えている役者の方が誠実なのではないかと思います。結局、やらない理由をつけて怠けているのが、覚悟が出来ていないと言うのではないかと思います。それだったら、そんな発想は端からなく役に殺されかけながらでも作品と向き合っている役者の方がよっぽど"覚悟がある"と言えるのではないかと思いました。私は先に「役に向き合って病んでしまうような役者は、危うくてお客様の前に立つべきでない」という旨を話しました。ですが、心から出た言葉を発して、そして見ている人の心に触れて、感情の変化を届けるのが演劇というものの真髄で本質なのではないのかと思うのです。
  要は何が言いたいかって言うと、散々大きな顔しておきながら怠惰な自分が恥ずかしいというお話です。

  人間、心の中で決めるというのはとても弱い拘束力なのだなと学習しました。

  長々と書きましたが、結局本題は、「私はこれからはもっと覚悟を持って役者やります」ということですね。どんなに意志の強い人間でも揺らぐことはありますし、意志の弱い私なら尚更です。人は怠ける生き物だと自覚して、常に自分を疑おうと思います。
  人生は二択です。「やる」か「やらない」か。常に最善の選択をし続ければ、最終的にそれが自分の本気だと言えます。それを選ぶ理由が明確ならそれを、怠惰ならもう一方を選ぶ。それだけで良いんですよね。演劇や役者に対する考え方は相変わらずですが、もっともっと役者として生きる時間を増やしていこうと思います。役者としての自分が選択することを意識します。四六時中役者としての選択が出来るようになってやっと、覚悟が出来ている状態だと言えるのでは無いかなと思います。

  そんなこんなで深夜の3時と少し。そんな感じで伊波悠希、役者をやっていきます。一緒に仕事をした人にとって、何かギフトになれる自分で居られるように、中身のある生き方をしていきます。これからも見守り、監視をして、たまに尻を叩いて、良くやった時にはちょっと褒めて、そうやって伊波悠希を応援していただけると嬉しいです。応援してくださる方が、何もしないでも私を見ることが出来るくらいに活躍できるようにこれからも頑張ります。毎日毎日、一歩ずつ。誠実に生きることを忘れないように。


  おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?