メンヘラ彼女
僕の彼女はメンヘラだ。
僕には彼女がいる。年下で人懐っこくて、可愛い可愛い他校の女の子だ。部活の繋がりで出会い、初めはそれこそ部活関係の話しかしていなかったが、次第にお互いの高校のことや、プライベートな話もするようになり何やかんやでお付き合いすることになった。
ちなみに僕は、一人称こそ「僕」だが生まれも育ちも正真正銘、女。つまり百合ップルって奴だ。まさかそんな事で驚いたりはしないだろう?何かとつけてやれLGBTだ性の多様化だと騒ぎ立てる世の中だ。同性カップルは案外多いもんさ。まぁそんなことは、僕らの恋愛には何も関係がないのだけれど。
僕の彼女はメンヘラだ。
彼女は元々レズビアンでは無い。だからこそ僕が、いつか男に靡いてしまうのではないかと、常々不安に思っているようだった。
『捨てないで。嫌いにならないで。』
そんなメッセージが来たかと思えば、何を思ったのかその次には「いずれ失う愛なら要らない」と言い出す。彼女から別れを切り出すのが、週に1回なら少ない方だ。そのメンヘラ具合に、周囲はもはや呆れ返り慰めるのを辞めた。だが僕は慰め続ける。何度も何度も慰める。何度弾かれようが、拒否されようが愛していると伝え続ける。彼女の全部が好きだから。
ある時彼女に聞かれたことがある。こんな自分面倒ではないのかと。
正直なところ、何度も何度も愛してると伝えても否定をされ、気持ちの転換を提案してもやろうともせずに無理だ無駄だと言われ、どうしようもない病み方をされると面倒だと感じることもある。しかし、面倒だから嫌いと言うわけでは無い。そこは決して等号で結ばれるものでは無い。寧ろ、それでも尚僕のところに助けを求めに来てくれることを嬉しく思う。もう要らないとわざわざ伝えにくるところに愛しさを感じる。その行為が彼女の離れ難さを物語っているから。
そうだ。僕は彼女が好きなのだ。心の底から愛しているのだ。
だから彼女が苦しいなら慰め包み込み、彼女が傷付けたいなら、その刃を甘んじて受け入れる。それが僕の幸せだからだ。彼女が幸せに近付ける事が僕の幸せだ。
今日も今日とて僕の彼女はメンヘラだ。
どこからか、僕が学校で男子とばかりつるんでいることを聞きつけたらしい。本当はその子が好きなんじゃないか、そんな事を言われた。
何故この世の中は、男女が親しくすれば必ず恋愛に発展すると思っているのだろうか。奴らはただの男友達だ。自分はこんな性根なので、女よりも男の友達と付き合っている方が気が楽なのだ。本当にただそれだけだ。恋愛感情なぞ一切ない。
僕は彼女にそう、有りの侭に伝えた。
しばらく彼女からは、いつも通り不安を綴ったメッセージが続いた。僕はいつも通り呆れず飽かずに好きを伝えたが、ある程度の所に来て既読が着いたまま返信が途切れた。
この様な事は、いつもなら起こらない。
何かあったのだろうかと心配になりながらも、泣き疲れて寝てしまったのだろうと自分に思い込ませ、特に気にせずに過ごした。
僕の彼女は可愛いメンヘラだ。
今日も彼女の心を満たすのは僕なのだと、じわじわと喜びが胸中に広がった。
しばらくして通知が鳴った。
「通話できる?」と彼女からのメッセージだった。僕が即座にかけ直すと、ワンコールも待たずに彼女が出た。
「もしもし?」
「もしもし。大丈夫?」
彼女声は、思いの外晴れ晴れしていた。
「うん。大丈夫だよ。ありがとうね。」
「そっか良かった。どうしたの?」
「うん、ちょっとね、改めて君に言っておきたい事があって…」
何となく、胸がざわついた。
彼女の声は妙に落ち着いている。
こんなことは初めてだ。
僕は少しばかりの焦りから、無言で言葉を催促した。
「あのね、私、君に謝らなきゃいけないと思って。いつも私が勝手に不安になって、うじうじしちゃうこと。」
「そんな、僕はそういうの含めて君が...ーー」
好きだ。そう言おうとしたところを彼女に遮られた。
「待って。辞めて、言わないで。あのね、その気持ちは嬉しいし有難いんだよ。だけど、それじゃダメなんだよ。」
「えっ…?」
金槌で顬を打たれたような衝撃が走った。何を言っているのか、理解が追いつかなかった。
好きを拒絶された。しかし、いつもとは違う。いつもの感情に任せて言葉を吐き出す彼女とは違う。冷静で理性的だった。それが逆に恐怖心を煽った。
「私が何言っても君は好きって言ってくれる。愛してくれるし甘やかしてくれる。私、それに甘えてたんだって気付いたの。自分に自信が無くて、自分で自分を愛せなくて…そんなの他人に埋めて貰えるはずがないのに。」
彼女は強い意志を持ってそう言った。必ず言うぞと、決心をして着信を取ったのだろう。僕が返事をする暇もないくらいに、余計な不安から言葉が詰まる暇すらも与えないくらいに、口早に話し続ける。自分が心を病む原因は自分の中にしか無かったこと。他人にどうこうしてもらうことで解決することじゃないこと。自分を愛せないが故の、自信がないが故の不安だったこと。だからこそ、僕にいくら愛していると言われても、口先だけではなんとでも言えると変に捻くれて素直に受け取れなかったこと。何よりも、そうやって僕に甘えて不安がっていれば楽だったこと。
この時点で僕はよく分からない焦りに駆られてした。意識しないと呼吸が出来ない。暑いのに寒く、冷や汗が吹き出ていた。そんな僕に気を使ってか、彼女は「大丈夫?」と僕に問いかけ、一呼吸置いてこう言った。
「別にね、君が悪いって言ってるんじゃないんだよ。君のせいだって責めてる訳じゃない。君は優しいから、きっと本当に私の事を思ってそう言ってくれてたんだと思うからね。でも、私それに依存してたなって思うの。」
既に彼女は落ち着きを取り戻していた。つい先程までの焦燥感もなく、ただ静かに淡々と、しかし穏やかに言葉を続けた。
自分の心の不足感は、他人からは補えない。自分で自分を愛せない限り、根本的な解決にはならない。一時的に満たされても、また不足して同じことを繰り返す。そんな事、時間の無駄だし相手を執拗に疲弊させるだけだ。そんなのは愛じゃない。
「だからね、私、君の手を借りなくても、自分で何とかしようと思ったの。」
やめてくれ、辞めてくれ!
得体の知れないあの焦りは、もはや嫌悪感と化していた。口の中が乾き、声が喉にぺったりと張り付いて上手く言葉が出ない。
それでも彼女は続けた。まるで、私は凄く幸せだと言わんばかりの、瑞々しい声色で。
「私気付いたんだよ!私、本当は自分は愛されてないかも、捨てられるかもって思いたくて思ってるんだって。わざとそっちの方に視点を向けてるんだって。だってそうすれば構って貰えるし心配して貰えるから。でもそんなの違うよね。だから私、そっちの思考を意識しないようにしたの。」
段々と彼女の心が離れて行くのを感じた。
嫌だ、行かないでくれ。
僕を置いて行くな。
「自分で自分を慰めてみたんだ。今まで君がしてくれたこと全部思い出して、私はこんなに愛されてるんだよって思ってみたんだ。そしたらね!自分で解決出来たよ。自分で克服出来たよ。ありがとう」
「そんなっ…全然、僕は今までのままで、良かった、のに…。別に、重荷とか、…考えて、ないよ」
何とか絞り出した声は、思った以上に掠れ、震えていた。
「ううん。でも、それじゃ幸せになれないって気付いたの。二人で幸せにならなきゃ意味無いって思ったの。」
「僕に、気なんて使わないで、良いのに…」
「私、大人になったんだよ…?成長したんだよ…?喜んでくれないの…?」
発狂しそうになった。嫌だと、ダメだと喚き散らしたくなった。しかし、年上である自分がそんなではいけないと、その言葉をぐっと飲み込んだ。
「うん…良かったね。偉いよ…凄い…」
その後、彼女とどんな会話をしたかはあまり覚えていない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
彼女が離れて行く。
ダメだ。
彼女は僕がいないとダメなんだ。
僕に愛されないと不安で不安で仕方がないはずなんだ。
僕がいないとダメなんだ。
ダメだ。嫌だ。一人じゃダメなんだ。ダメなはずなんだ。
ただただそれだけが頭の中を巡った。
彼女はメンヘラで、しょっちゅう不安になってはうじうじメソメソして、それを僕が慰めて…そうじゃなきゃダメだ。それで良いんだ。変わる必要なんてない。僕を頼って。弱いままの君で僕を頼ってよ……。
嫌だ。離れて行かないで。捨てないで。嫌だ。大人になんてならないで。捨てられる。彼女が自立なんてしたら僕が支えてあげる必要が無くなる。僕が彼女の傍に居る理由が無くなる。要らなくなっちゃう。
嫌だ。嫌だ。僕を捨てないで。ずっと好きで居て。ずっと、僕が居ないとどうしようもない彼女で居て。捨てないで。
あぁ…病…。
こんなんだと嫌われる。
面倒臭いと思われる。重たいって言われる。ダメだ。しっかりしなきゃ。こんなんじゃ余計嫌われる。
ダメだ嫌だ。ただでさえ僕は今の彼女にとって必要な訳じゃないんだ。ダメだ。嫌われる嫌だ。いつか捨てられる。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
あ、そうか。
いずれ失う愛なら要らないや。
「別れよう」
電話越し、意識の外の遠いところで、彼女の焦ったような声が聞こえた気がした。
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