ジレンマに囚われて
何に対して傷付いているのか、分からないけどなんだか辛い。
何に対して混乱しているのか、分からないけどどうすれば良いのか分からない。
自分の人生がなんだか全て間違ってたような気がしちゃって、でもどこからやり直せていたら良かったのかも、何がダメだったのかも分からなくて、どうしようもないくらいに悲しくなってしまう。
そんな瞬間って、経験したことありますか?
私は、あります。
結構、月一くらいであります。
人生病んでるわけではないと思うんです。高校生時代に比べたら、人生全て終わりみたいな絶望感はないし、ただ、今、この瞬間だけが辛いっていう感じなので。あの頃の病みは、もう完全に治ったんだなぁと思います。
結構ちょくちょく色んなところで話してるんですけど、今が人生のピークだって毎日思います。もうあの頃以上に幸せで充実した日々は訪れないんだ、今はもう人生の頂点を越えて下り坂なんだって、高校時代に本当に限界になる直前まで絶望しきっていた私にとっては、『まだピーク終わりじゃなかったんだ』っていう安心感だとか、今日が人生で最高の日って思える幸福感に、とても満たされる思いです。
最近ね、それこそ高校を卒業してから、一年ちょっと経って、本当に自分が楽になったと感じるんですよ。
色んな背負っていた業を下ろしたみたいな、そういう身の軽さを感じます。
そうなったからこそ、とても冷静に自分を見れるようになったと思います。自分の中で起こる反応に対して、その根本にある動機を理解出来るようになりました。
怒りが湧いてきた時には、
「あぁ私、自分のこれを守るために怒ってんだな」とか
何か良くない習慣に気付いた時には、
「私、こうすることで不足感を埋めてるんだな」とか。
そういうのをやってるうちにね、気付いたことがあるんですよ。
私、幸せになりたくないんだなぁって。
いや全然、幸せなんですよ?
でも今以上に"よく"なることを、望んでないんだなぁって。
どういうことかって言うとね、私トラウマとかあるんですよ。まだ19歳なのに、もう5年以上の付き合いになるトラウマがいるんですよ。それをね、直せた方が、人生楽じゃないですか。だから今まで色んな場所で、トラウマを直そうとしてきたんですよ。世の中にはね、そういうマインド系の問題を解決するプロがいっぱい居ますからね。
でもね、直んなかったんですよね。
いやね、一時は直ったんですよ。けどしばらくすればまた戻ってるんですよね。その度に、あーあ、また治せなかった。これはそんなに深い傷なのかって絶望的になって悲しくなりました。
けどある時急にね、気付いたんですよね。トラウマが直りそうな時に「治るな」って思ってる自分に。
要は私は、トラウマを患っている自分で居続けることに、何かを求めてたんですよね。
不思議ですね。
手放しちゃった方が、絶対楽なのに。
これだけじゃないですよ。今のはちょっと前の話ですけど、次のは本当に最近。今週の頭くらいに思ったこと。
私ね、それこそ月経困難症って呼ばれるような症状の持ち主で、生理がとにかく重たい人なんですよ。腹痛は酷いし、その他の身体症状も酷いし。
でも今回の生理ね、辛かったの一日だけだったんですよ。最初の一日だけ。それも、今までの辛さよりは断然楽になってた。
それをね、感じた時、生理二日目、辛くないのに今までの習慣で潜ってた布団の中でね、私、最近生理痛軽くなってるなぁって考えてたんですよ。そしたら私、『嫌だなぁ』って思ったんですよ。びっくりだよね、生理楽になるの嬉しいはずなのに、嫌だなぁって。今まで散々悩まされてきて、ピルを飲んだりもして、でもそれも辞めて、生理で辛い思いしないように体質改善しようって思ってたはずなのに、それが叶い始めてるのに、嫌だなぁって思ったんですよね。
不思議ですよね。
皆さんは、自分の辛いものを手放せそうな時に、手放せる事実に対して、「嫌だな」って思ったことがありますか?私はありませんでした。意識的に、言葉として、脳内にそういう考えが浮かぶのは初めてでした。だから、なんで自分がそう思ったのか分からないし、そう思った自分に動揺したし、そんな自分をダメだなぁって思ったりしました。
もしかしたら、無意識的には、今までも思ってたのかもしれないですけどね。それでも、私の意識下では初めての経験だったのでびっくりしちゃいました。
私は、人が変わるためにはまず、現状の自分の状態に気付き、受け入れることから始める必要があると思っています。否定をせず、ただ今の自分を認める。それは肯定でも否定でもなく、認知することだと思っています。
なので私は、健康を拒否する自分に対して「ダメだなぁ」と思いつつも、良いとか悪いとかじゃなくて、そう思う自分が確かにここに居るんだという事実に目を向けるべく、「ダメだとしても今私はそう思ってるんだ」と自覚をしてみました。
冷静に自覚をしてみると考える余裕が生まれるってもので、最初は反射的に自分の状態を「悪」としましたけども、段々と、日々移ろっていく中の「その色」なんだと思うようになりました。自分に否定的な考えが自分の中から無くなると、色んな事実がすんなり入ってくるんですよね。
そして私は思うんです。
私は、不完全であることで、何を守っているんだろうと。
トラウマを手放さないことも、不健康であり続けたいと願うことも、それを抱えていた方が自分に都合が良いからです。それらに思い悩み、辛く苦しくなることで守っているものがあるからです。
その守っているものがなにか、無意識的にはもう分かってるんだと思うんですけど、でも私自身はまだそれに気付きたくない様子なので、追求はしてません。
何を守っているんだろうか。
私の中には、まだ何か守らなきゃいけないものがあるんだろうか。
セミが一週間で命を落としてしまうのになぜ産まれてくるのかを考える時のように、
空の向こうのその先に広がる宇宙の、そのまた先に何があるのかを考える時のように、
なんだか他人事のように、そうぼんやりと考える日々です。
でも、私は今守っているものがあるんだと自覚するだけで、変われない現状に心を病む必要も無くなるのでだいぶ力が抜けました。ブレーキをかけていることを自覚をするだけで、知らないうちにブレーキから足を離せるようになっていることもありますから、特段今は、その不健全な状態を意欲的に解決する気はありません。
とりあえず流れに身を任せてみて。
自分の中で起こること、全部が全部、認知して理解しておく必要なんてないんです。
ただ自分が幸せなら、中で何が起こったかなんて、知ってなくてもいいんですよ。
だから今は、すごく脱力して、自分に対して適当に生きてます。
だから今、
何が何だか分からない辛さも
何を悩んでるのかも分からない混乱も
意味もなく泣きたくなるようなこの悲しさも
ほんとは全部、理由があって意味があるのかもしれないけど
まぁ、きっと、生理のせいでしょってことにして
ゆっくりと生きています。
今の『色』があるなら、その次の『色』だってあると思うし、まぁないかもしれないけど、人生の起伏なんてのは、いつの間にか移ろっていく色鮮やかな四季のようで、境目もなく、善し悪しもなく、気付かぬうちに『次の色』になっているような、そういうものなので、思い悩むだけ無駄かなって思います。
そこにはただそのサイクルが存在しているだけで、そこに意味を見出すのも、優劣をつけるのも、私の勝手な意思でしかないのです。
だから、ただ移ろっていく季節を楽しむように、今の色をゆったりと味わっていければいいなって思います。
伊波 悠希
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