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嫌われる勇気なんて、
自分の弱さと向き合うこと、
それは簡単なことではないということを、私はよく知っている。私は、弱い人間だから。
弱さって、なんなんでしょう。
強さって、なんなんでしょう。
分からないけれど、ただ分かることがあるとするならば、自分の心の脆くて寂しい部分を、見つけて、認めて、受け入れて生きていけることは、確かに、立派な強さなのだろうということ。
私は自分の精神的な成熟度に対して、自覚的な方だと思っている。今、どのレベルの精神性で、どこに問題を抱えていて、どう向き合っていくべきか。
割と、そういうのがよく分かっている方だと思っている。が、
極たまに、信じられないくらいに認知を拒む領域がある。「分からない」から抜け出せなくなってしまう領域を見つけることがある。
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「勇気」という言葉がある。
私の名前と同じ響き。
ゆうき、25年間一緒に生きてきた、この音。
私には、勇気がなかった。
ある時から、勇気を出すことがとてもとても大変になってしまった。
私は私自身がなにか物事に挑戦すること、それ自体にはあまり勇気が必要なタイプではなくて、結構何かを始める時は勢いと思い切りだけで進めてしまったりするタイプ。
ただ一つだけ、人間関係にだけ、勇気が持てない性格だった。(だった、と書いているのはもちろんそれが過去のことだからであって、もう今の私は違う。これからそのことについて書こうと思うので安心して読んで欲しい。)
私はいつからか、他人の目が怖くなった。
他人からの評価が怖くなった。
嫌われることが怖かったし、嫌な思いをさせることが怖かった。
本来の私は何も気にしなくて、怖いものなんてなかったし、誰からどう思われようが関係なかった。自分の正しいと思うことが絶対で、全てで、まっすぐ、曇り気のない陽射しのように、太く一直線に貫かれた、最強の自分だった。はずだった。
私の「怖い」が始まったのは、小学校六年生の頃だ。
私は小学生の頃、少年野球のチームに所属していた。小学一年生の三学期から、六年生の卒業までの五年強。
男勝りな性格を装って、負けず嫌いで、プライドも高かった。男女分け隔てなく接していたけれども、どちらかというと女の子たちよりも男の子たちと接している方が楽みたいなところはあった。
小学五年生くらいになると、周りの女子は男子を恋愛的に意識し始める中、私は一年生の頃からのチームメイトと肩を組んで写真を撮ってたりもした。
それが六年になると、急に周りの男子の態度が変わった。
いじわるされるようになったし、男子同士で私をいじわるするための道具にされるようなこともあった。
みんなで私を嫌がったり、いわゆるバイ菌いじめをされたり、いじめの対象の男子に私を押し付けたりされた。
去年までは肩組んで一緒に遊んで走り回ってくれていた友達が、急に敵になったようだった。
今思えば、ちょうどその頃、足の靭帯を伸ばしてしまい、野球が思うように出来なくなってしまっていた。みんなが練習でキツい走り込みなどをしてる中、私は走れずに座っていたり、負荷の少ないトレーニングやストレッチだけをしていたり、私自身もそんな練習が楽しくなくて、サボっているように見えていたのかもしれない。
みんなが歩いて登校する中、私はバスで登校していたし、上手く歩けなくて始業に間に合わなそうになると足を庇いながらひょこひょこ走ったりもしていた。(それで反対の足首も痛くなる、という愚かな怪我を何回かしたりもした。)
ギブスを外した時、足首の動かし方が分からなくなっていて、最初の一歩目でいきなり足をグネってしまうので、それが怖くていつまでもサポーターが外せなかった。いつまでも痛みがあるような気がして本意気で走ることが出来なかった。
本当は私も早く元に戻りたかったし、足が速いことが自慢だったのに走れなくなってしまったことが悲しくて、ショックで、どこまでだったら動かせるか試しながら、リハビリの感覚でなるべく小走りなどをするようにしていた。
そういう姿を見られて、練習はしないくせに学校では遊んでる、とコーチに言われてコーチから怒られたりもした。(もちろん身体を動かす遊びはずっと我慢していたので、そんなのは身も蓋もない嘘だった。)
本当に、今思えば、少しは理由がわかる。
あの頃の私は、みんなから見ればずるかったと思うし、私自身もジメジメしていて、見てるだけで鬱陶しかったと思う。
でも当時の私は、なんであんなに仲が良かった友達にそういうことをされるのかが、全く分からなかった。
分からなかったから、怖かった。
中学に上がると、そのいじめもなんとなく中学に持ち上がり、何より私が彼らのことを怖がっていたので、ほとんどのチームメイトとは疎遠になってしまった。
それでもまぁ、私は元々勝気だったし、なんだかんだしばらくは大丈夫だった。
ある日、私は同級生と言い合いをしていた。口論が白熱して、その頃から口が達者な私は、相手が立ち上がれないくらいコテンパンに言い負かしたことがあった。
その時相手が、すごく無気力な顔で「じゃあもう、それでいいよ」と言った。あの時の背筋が凍るような冷ややかな感覚は、今でも忘れない。
あれ?
私、なんのためにこんなに熱くなって言い負かしたんだっけ……?
私はただ、自分の考えが正しいと思っていたし、世界にとって絶対的な正しさがあると思っていたし、その正しさの通りにすれば平和になるんだと思っていた。
私はみんなの幸せのために、自分の正しさを通したかっただけなのに、途中から「この議論に勝つこと」が目的になって、熱くなって、相手を否定し、自信を失わせたのだった。
私は、この子にこんな顔をさせたかったわけじゃない…………
ショックだった。
いつだか友達に「悠希ちゃんが言ってることはいつも正しいけど、みんながみんな悠希ちゃんみたいに常に正しく居れるわけじゃない!」と泣かれたことがあったのを思い出していた。
その時の私は、(今でも同じようには考えてはいるけれども、もっと過激的に)常に正しく居れないみんなが間違っていると思っていて、その言葉を本当の意味では受け入れていなかったのだと思う。
みんなの幸せを願っているはずの私の言葉が、好きだったはずの友達を傷付けたことがショックだった。
私の言葉は人を深く傷付けることが出来る、大きな刃物なんだと知って、人と喋ることが怖くなった。
高校生になった時、完全に私は捻くれていたと思う。
その捻くれが私の通う高校の風土に合わなくて、とっても浮いていた。
あれは完全に「いじめ」だったと思う。
誰が主犯だったかも分からないし、きっと本人たちにもいじめの自覚はなかったと思う。
ただ誰に、とかでもなく、同級生たちに、なんとなく避けられていたし、私から完全には見えないところでクスクス笑われた。
私が何をしていても笑われて、「あいつは頭がおかしい」という扱いをされていた。
私にとっては普通の思考原理でした言動が、いちいちクスクス嘲笑われて、「また変なこと言ってる」「また変なことをしてる」というような目で見られていた。
私には分からなかった。
自分の何が間違っているのか。
私のやることなすこと、全てを「変なこと」というように見られて笑われた。
もう息をすることも怖かった。
ただ生活することも怖かった。
彼らの気に障るなら、と、目立たないように日陰でひっそりと息を殺して生きていた。
それなのに、わざわざ引っ張り出されて指をさして笑われた。
岩の下にいるミミズを陽向に引っ張りあげて、うねうねと悶えるのを笑う子どもみたいに、
日陰に戻ろうとする私を何回も何回も陽向に引きずり出して、苦しむ私を見てみんな、笑っていた。
私は、学校に行けなくなってしまった。
ホームルームの教室に行けなくなってしまった。
何日も布団から出て来れないことがあった。
その頃母の事業が勢いを増していて、泊まりがけで仕事に行っていることも増えていた。
だから何日も布団から出られず、ご飯も食べられない日があった。
トイレすら一日行けない日もあった。
お腹も空かないしご飯も食べられない。
水も飲めない日があった。
3週間くらい、お風呂にも入れなくなったこともあった。
私は何も間違ってなくて、私の考えることが絶対正義で自分のことを信じて疑わない「最強のわたし」だったはずなのに、
まるで私が本当に欠陥品なんじゃないかという不安に支配された毎日だった。
まさか本当に私が間違っていて、不良品で、神様の手違いで生まれてきちゃったんじゃないか。
生まれてきちゃダメだったんじゃないか。
そう思うようになっていた。
私に悪いところがあるのならその方が良かった。
直せば良いのだから。
でもそうじゃなかった。
なんでそんな風に扱われるのか分からなかった。
分からなくて、怖かった。
分からないから、私が間違ってるんだと思っていた。
呼吸の仕方も分からなかったし、眠り方も分からなかった。
心の動かし方も、もうずっと、分からなくなってしまった。
その頃からもう、ずっしりと、心の深い部分に社会の目に対する恐怖が、こびりついてしまった。
高校を卒業してまる五年が経とうとしている。
この五年間、回復することだけを考えるようにしていた。
なんとなくここ半年くらいの間で、本当に健康的な精神を取り戻したような気がする。
やっとニュートラルに戻ってきた、もうマイナスじゃない、私はやっとゼロに戻ってきて、ここからプラスになるだけだ。そう思っていた。
最近、小学生時代の野球チームの先輩と再会した。
私が二年生の時の六年生のキャプテンだった。
なんだかその日は話が弾んで、後日ご飯を食べに行くことになった。
お互いの知らない16年間を埋めるように、絶えず色々な話をして、飲んで、笑った。
元々憧れだった先輩が、当時と変わらない優しさで、色んな話を聞いてくれて、あの頃は大き過ぎた、大人になった今では近すぎず遠すぎないくらいの、四年という年の差に心地良さを感じて、ついつい、いつもは閉ざしているはずの、心の中の大事な大事なものをしまっておくための重たい扉が開いてしまった。
気が付いたら私は、ポロポロと話し始めてしまった。
人から嫌われることが怖いこと。
同じような理由で人からの好意を信じることが難しかったこと。
だから、相手にとって都合のいい人を演じて、たくさん傷付いてきたこと。
話しながら自分で密かに驚いていた。
そこで初めて私は、自分がなぜこんなにも、他人に対して自分を大事に出来なくなっていたかを知ったからだった。
「人から嫌われることが怖い」
「だから都合良く振舞ってしまう」
そんなことは分かっていた。
頭では理解していたし、その言葉自体はよく言っていた。
ただ、その「怖い」という感情を、初めてそこで感じることが出来た。
「人から嫌われることが怖い」
「怖い」
「そうか、怖かったんだ」
「わたしは、本当に、怖かったんだね。」
「なんで怖かったかって、昨日は笑いかけてくれてた人が今日は私を嫌う理由が分からなくて、分からないから、怖かったんだね。」
「私の言動が相手を不快にさせて、また急に態度が変わってしまうことが怖かったんだね。」
「あの時みたいに、世界の全部が私のことを否定して、私がたったひとりぼっちだった頃に戻ってしまうことが、怖かったんだね。」
私は話しながら、涙が止まらなかった。
静かに涙を流していた。
先輩に見られないように、顔を背けて、涙を流しながら話していた。
先輩は何も言わずに、ずっと、話をただ聞いてくれていた。
私はただただ、溢れてきた涙と言葉に身体を委ねて、全てを話した。
不思議とその時は、自分の心の内を話すことが怖くはなかった。
ひとしきり私が話しきったあと、先輩は私が落ち着くのを待って言った。
「最後はゆうきだよ。」
私は最初、自分の名前を言われたのかと思った。
でもすぐに「勇気」のことかな、と思った。
でもどっちでも良かった。
結局最後に足を踏み出す覚悟をするのは私、悠希自身だし、その足を踏み出すための最後のトリガーは「勇気」だから。
先輩は私の話を聞いて『嫌われる勇気』を読むことを勧めてくれた。
もちろん、その本は知っているし、私が中学生くらいの頃からうちの本棚にはその本がある。
でも一度も読んだことがなかった。
私は「嫌われる勇気が必要」なことくらい知っていたし、私には元々それがあったはずで、今はそれを失くしてしまっているだけだと思っていたから。
でも先輩からその本の名前を言われて、きっとそうじゃなかったんだと気づいた。
私は無意識に、あの本がどことなく嫌いだった。
避けていたのだ。
嫌われる勇気がないことを自覚することがきっとすごく嫌だったし、その自分と向き合うことがすごく嫌だった。
だから理由をつけてその本を避け、上手くいかない理由が分かっているのに改善することができない理由を分からないでいようとしていた。
【全ての人生の困難の解決方法は無意識が知っている。】
【分からないのではない、分かろうとしていないだけ。】
そんなことは知っていたのに、ずっとそこだけが「分からない」「それだけあの頃の傷が深かった、根強い問題だったのだろう」と思考放棄していた。
運命の人とは一度別れる、と言ったりするけれど、運命の本も一度別れが訪れるのかもしれない。
私は『嫌われる勇気』と再び出会ったんだと感じた。
そして、あの本を手に取って、あの本と、自分と、嫌われる恐怖と
向き合うのは今なんだ、と感じた。
人生における全てのことは、起こるべくタイミングに起こるべくして起きるということを私は知っている。
一度別れたものと再び出会うことには、必ず意味がある。少なくとも、縁がそこには必ずある。
だから十年前再会した時にろくに話せなかった先輩と、また今の私が十年ぶりに再会したことにも意味があるし、
ずっと傍にあったのに縁がなかった本と、今の私が再会したことにも意味がある。
今度こそ、向き合ってみようと思う。
最強の私を失って、人から嫌われることを怖く思うようになった12歳の私が、24歳になってしまった。
人生の半分を、恐怖心と共に生きてきてしまった。
もうどちらが本来の私なのかは、分からない。
でも半分を超えてしまったら、それが怖くて、臆病で、自分のために堂々とできない、かっこ悪い自分が本当の自分になってしまいそうな気がして、だから、
今こそ、戻るんだ。
もう終わり。
健康的な私に戻るための、最後の1ピース。
足りなかったピースをはめて、私は本当に、
私に還るのだ。
2025.1.27
伊波 悠希