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死にたかった私が、今日も生きてる。


  死にたかった私が今日も生きてる。

  今日は素敵な喫茶店を紹介してもらって、大好きなクリームソーダを飲んだ。
  濃くてケミカルなメロンソーダの緑と、バニラの味がするアイスクリームに、ケミカルに着色された赤ピンクのさくらんぼ。そんな理想の、クリームソーダ。

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  クリームソーダに特にこだわりがある訳ではなくて、ただその存在の概念が好きというか、特別な感じ、頼むとちょっとワクワクするような、子供時代の"特別な日"に還れるような、そんな感覚が好きなだけだ。ただちょっと、メロンソーダは無果汁でケミカルでやっしぃ(安い)味がした方が良いし、アイスはミルクアイスじゃなくて企業努力が垣間見得るようなバニラの香りがしてると良いし、これまた企業努力の結晶であるかのような真っ赤なさくらんぼが乗ってると尚嬉しい、という好みがあるだけだ。
  人はそれをこだわりと言うのだろうか。こだわりか。


  私は何故クリームソーダが好きなのだろう。

  いつから好きなのだろう。

  「クリームソーダの持つ特別性が好き」って、その"特別"とは一体なんのことなのだろう。


  クリームソーダ、というかメロンソーダで思い出すのは、幼少期の兄のことだ。私が小学校低学年の頃、兄が中学年から高学年にかけて。
  当時私の家族はとてもじゃないが裕福な家庭ではなくて、どちらかと言えば貧乏で、特別な日の外食時にだけドリンクバーをつけて良かった。そしてその頃の兄は、必ずと言って良いほどメロンソーダを汲んできていた。よく覚えている。だから当時の私にとって"兄の色"はメロンソーダの緑だった。
  その頃の私は、(というか、兄が大学進学を機に家を出るまで)極度のお兄ちゃんっ子で、最早お兄ちゃん信仰を拗らせていた。何かとつけて「悠希も、悠希も、」と兄の真似をしていた。しかし小学校低学年、(もしくは中学年だったかもしれない、)その場でただ真似をするのはなんだか癪だったのだ。真似してるって言われたくなかった。何故だか分からないけど、多分兄が真似されることを嫌がった時期だからだろうか。そんな小さくて大きな可愛らしいプライドの為に、私が本当にメロンソーダを好きになったのは小学校中学年から高学年にかけて、兄の流行がメロンソーダからコーラに移った後だった。

  メロンソーダは私の中で、憧れの象徴でした。

  メロンソーダにアイスとさくらんぼが乗ったクリームソーダは、パフェとジュースを合体させたようなもので、食いしん坊だった私にとっては、とてもお得で、その上ジュースよりもパフェよりももっとずっと素敵な飲み物だった。元々ハマったら同じもの(こと)を続けてしまう性だったこともあり、メニューにクリームソーダを見つける度にデザートにせがんでいた記憶がある。末っ子で甘えたな悠希ちゃんの記憶です。


  その頃、小学校中学年から高学年というと私が10〜12歳にかけて、2010〜2012年頃のことだ。当時しきりに世間で叫ばれていた事を覚えているだろうか。
  地球温暖化だ。(私の個人的な覚え書きなので時系列が前後していたら申し訳ないが見逃して欲しい。人間なので。)

  ちょうど小学校の後半から中学校にかけて、何かと学校で地球温暖化について考えさせられていたことは、私の中で記憶に新しい。地球温暖化を止めるために、やれエコだリサイクルだ、オゾン層破壊だなんちゃらかんちゃら......
  正直な話をすると、当時の私は何故地球温暖化を阻止する(遅らせる)必要があるのか、全く理解が出来なかった。(その根本的な考えは今も変わらない。)先生や周りの大人に聞いても、そりゃあ人類が生きていけなくなるからだよと、もしくは、止めなきゃいけないから止めなきゃいけないんだ、みたいな、破綻した理論を説かれたこともあった。当時から少し賢かった私は、地球温暖化が進めば人類が生きていけなくなる、つまり種として滅亡することくらい解っていた。しかしそれ含めて、何故、人類が滅亡してはいけないのか、何故人が脳死でそれを盲信しているのか、全く理解が出来なかった。

  ここに、私の記憶の中で最古の生死感が含まれているのだと、私は今振り返ってみて思う。


  当時の私は、生死をとても、(敢えてこういう言い方をするが)神的視点で見ていた。
  "神的視点"というのは、別に「私がこの世を統べる神だ」と思っていたとかそういうものではなく、いわば世界を、(というか地球を?宇宙を?この世を?)つまりは場所も時間も全部ひっくるめた"今、ここ"を、とても俯瞰的に、というか客観的に、というか......とにかく外側から見ていた。
  私は特定の宗教には属していないが、それでも宗教徒なので世界を二元論的に「この世があってあの世がある」と見ているのだが、この世とあの世を含めた大きな世界を、外側から見ていた。動物や植物に限らないあらゆる生命が、誕生して、生を営んで、死んで、あの世に行って、その循環の中で朽ちていく存在もあれば、続く存在も、生まれる存在もある。(この文から分かるように私は輪廻転生、転生輪廻がこの世の在り方だと思っている。)全ては循環で、誕生も滅亡も含めて地球、ひいてはこの世の営みだし、その循環・営みには如何なる存在の恣意も汲まれていないものだ、というのが当時からの私の見解だ。
  今文字に起こしてみると、とんでもないことを10歳前後で考えていたなと思うのだが、本当にそう考えて、そうであるもんだと疑うことなく信じていた(むしろ"知っていた"という状況に近い)のだ。
  そして、その営みの中で人類(もちろん自分も含む)は、たった一種の生命の在り方に過ぎず、地球にとって在って良い存在ならば繁栄し続けるし、害ならば排除される。と、当たり前にそう思っていた。かつて地上を統べ、そして滅亡していった巨大生物のように、もしくは環境の変化に順応して進化し繁栄し続けた生命のように、ヒトという種もまた、環境に適応して進化をするか、変化に耐えきれずに滅亡するか、それは地球の自浄作用が決めることで、それこそ"神のみぞ知る"ということなのだ。(余談だが、当時の私は深夜アニメにハマっており特に「神のみぞ知るセカイ」という作品に心を奪われていた。余談おわり。)

  そういった考えが自分にあったので、自分自身、生への執着がなかった。地球が温暖化して、進化出来なかったら滅亡するし、進化出来たら続く、それだけの事だし、どちらにしても"その時"が来るのは私が死んだ後の世界なので、さほど興味もなく......。
  と、ここで少しの脱線を許して欲しいのだが、人類は科学技術というひとつの方法を手に入れて、自らが快適な環境を作れるようになってしまった。(簡単に言うと、ここでは空調設備のことを指している。)地球が温暖化すれば、クーラーで室温を快適な温度にし、電気を消費することで二酸化炭素を排出しさらに温暖化を促進する。それにより電気を使う量が増えだんだんとそれなしでは生きていけない自然環境を作っていく。しかし科学技術によって、今の種にとって快適な生活環境を作れてしまうので、種としての進化は促されない、と私は思っている。科学技術の進歩は人類の文明としては発展であり進化であるが、生命としての進化を妨げるものなのではないか、種としての退化なのではないかと、私は個人的に思っているのだが、あなたはどうですか?

  元の話に戻るね。

  とまぁ、私にはそういう「生も死もひと続きのもの」という感覚があり、どちらの状態が良いも悪いもないというのが大前提なのだ。だから死ぬことが手放しに怖いとは思わなかったし、死んじゃいけない、生きなきゃいけないという感覚も特にはなかった。幼少故の無知がそうさせていたのかもしれないが、とにかく当時の私にはそれが揺るぎない真実だったのだ。

  生への執着がない、好奇心の権化のような子供が次に考えることは、なんだと思いますか?


  死への興味です。

  動機は簡単なことで、「死んでいる状態を体験していないから」です。
  死ぬ瞬間ってどんな感じなんだろう。死ぬってどんな感覚なんだろう。死んだ後のみんなはどんな反応をして、それを見て自分はどう思うんだろう。死んだ後の世界ってどんなところなんだろう。どんな感じなんだろう。そもそも"感じ"も何もないのだろうか。「無」ということなのだろうか。"無"ってなんだろう。どういう感じなんだろう。そもそも"無"だから感じも何もないのか。何も無いってどういうことなんだろう。
  尽きることの無い疑問、その堂々巡りで、ただそれを考え続けるだけで何日でも暇を潰せた。あぁ、死んでみたい。それは別に、全てを投げ出した、悲観的な「死にたい」ではなく、ただただ純粋な興味としての「死んでみたい」だった。死んでみたい、死んでみたいと、一時、そればかりを考えていた事があった。通学路に転がる動物の死体に興味津々だった。同級生が「きゃあ」なんて悲鳴をあげる横で、まじまじと亡骸を観察していた。自分の色々な死に方を想像した。でも痛みが伴うのは嫌だなとか、だったらどんな死に方が良いのだろうとか、それを考えている時のワクワク感は、クリームソーダを目の前にした時の比ではなくて、幼い私にとって思考こそが至高の娯楽であったのだ。
  そしてそんな興味から、衝動的に息を止め続けたり、首を手で締めてみたり、水に顔を沈めてみたりしたこともあった。

  そんな私が無邪気な好奇心に殺されずに今日も生きているのは、死が怖かったからではない。
  生きていないと出来ないことは、生きていないと出来ないからだ。

  まだ経験してない、この世の楽しいこと、酸いも甘いも全部経験してから、どうせ最後には死を経験できるんだから、今、死に急ぐ必要もない。そういう合理的な発想だった。


  幸いなことに、私は周りの大人に恵まれて、まともで良識のある"良い"大人たちに育てられてきた。
  そのため、「なんで地球温暖化を止めなきゃいけないのか分からない」「なんで人間が滅亡しちゃいけないのか分からない」なんて私が言えば、世界一苦い虫を噛み潰したように顔を歪めて、私を正しく導いてくれようとしたし、「死んでみたい」なんて言った暁には慌てて慰めてくれたりもした。特に2011年3月11日の東日本大震災をリアルタイムで経験した辺りだったので、大人たちも子供のショックや傷心には敏感だったこともあり尚更。(或いは、こんな子供を育てた人だから母は相当な変わり者だと思うので、母だけはそういう反応をしなかったのだろうかと考えることもある、のだが、当時の私は、母に死へのトラウマ的な恐怖を見出していたので、そういう話題は母にだけは絶対に言ってはいけないと自ら決めていた為、真相は闇の中だ。)
  その大人たちの反応を見て私は、私は人間だから、人間の種の存続を望んで、死を嫌って、生を望まなくてはいけないのだと、ヒトとして存在する以上、人であり続けなくてはいけないのだ、それがこの"人社会"の摂理なのだと、幼いながらに学んだのだった。もし仮に私が人ならざる者の視点を持っていようが、例え私が神であろうが、(そういう事実に縋っているわけではなく、仮に第三者の中に存在する事実として)例え私が神の生まれ変わりだろうが、事実がどうであれ、ヒトの形をして生まれ、人の社会で生きていく以上、私は人でいなくてはいけないし、時には人を演じることも必要なのだと、幼き日の私は知ったのです。


  こう、改めて明文化すると本当に訳の分からないことを言っているし、イタイことを言っている気がするので、本当にそう考えた日々は事実なのかと疑いたくもなるが、別に自分が格好つける為に捏造した記憶でもなく、私の中には「経験した記憶」として残っているので、やはり事実だと私は飲み込むしかないのだろう。
  ヒトとして生きる以上、人で居なくてはいけないと思った私は、こんな話は墓場まで持っていく予定だったのだが、弱冠20歳を目前に、自分の生死感を書き留めておきたくなってしまったので書いておくしかない。まぁ、ここは私のプラットフォームで私のホームグラウンドなのだから、何を書いても許されるだろう。批判をしたい方は自分のホームでどうぞ。みたいな。(必ず見るとは言ってない)(多分見ないけど)(いや分からん)(気分次第)


  過去と今と未来は繋がっていて、全て一直線のものなので、未だに自分の根底にある考え方というのは変わらない部分もあるが、あくまでこれは過去の話。2010年台前期、私が小学校生活を折り返した後の話。まだ今よりもっと未熟で幼き日の話なので、全部が全部一緒なわけではない。ただ、今は人として生きることに尽力しているので目を向けることを辞めたが、今でも自分の根底に人ならざる者としての、人情も何もない、限りなくドライで非情な自分が居るのかと思うと少し怖くもある。

  それでも私は今日も生きています。


死にたかった私が、今日も生きてる

世界が私を知らんぷりするから。


Thu.3.Sep 2020
伊波 悠希

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