好き。
「嫌だよ。嫌いにならないで。」
言ったってしょうがない。
あなたの心には届かない。
そんなこと分かってた。それでも、言わずには居られなかった。
「ごめんね。もう、無理みたい。」
「なんでそんなこと言うのよ。」
「耐えられないんだ。」
彼は伏し目がちにそう言った。寂しそうな目をしていた。彼の中にも葛藤があったことが、ありありと伝わってくる。ごめん。ごめんね。こんなわがままを言って。分かってる。あなたが困っていること。
「私、ダメなところは直すよ!あなたが嫌なことも我慢する。ねぇ教えて。何がダメなの?」
「何がダメとか、そんなんじゃないんだ。君が悪い訳じゃない。」
昔、何かの本で読んだことがある。いや、本じゃなかったかもしれない。偉人の言葉だったかもしれないし、名前も知らないフォロワー二〇〇人のユーザーの呟きだったかもしれない。
まぁ、どっちにしたって、そんなことは今は関係ない。
ーこの世に絶対的な悪人は存在しない。全ての物事において、絶対的に悪い人などいない。ただ、相性が悪かっただけ。言うなれば、運命の悪戯である。ー
私はこの言葉が好きだった。
罪を憎んで人を憎まずな精神がかっこいいと思った。
この言葉を残した人はきっと、すごく立派な人なんだろう。誰も憎むことは無い、仏のような人なんだろう。私もそんな風に生きていきたい。
そう思っていた。
しかし今日、この瞬間にこの言葉が嫌いになった。
私を振った彼は言った。
「君は悪くない。ただ僕と君が合わなかっただけだ。」と。
まるでこの言葉のようだった。
誰も悪くないから、運命の悪戯だから、歯車が噛み合わなかっただけだから。
そう言って、責任逃れしているように感じた。それと同時に、改善する余地も与えてくれないことに酷く絶望した。
ただただ腹立たしかった。
私との関係を易々と諦められた事が。
私の可能性を否定された事が。
私の努力を拒否された事が。
どうしようもなくて、もう終わるしかない。そんな事実が、嫌で、怖くて、悲しくて。その気持ちのやり場に困って、この言葉に怒りをぶつけてみた。無責任じゃないか。何が『運命の悪戯』だ。誰かが悪いんだ。もしくは誰もが悪いんだ。そうじゃなきゃ、成長することなんて出来ないんだ。誰も悪くないなんてことにしたら、それは成長の放棄じゃないか。誰かが悪いんだ。きっと誰かの何かが。
そこまで考えて気付いた。
あぁ、誰も悪くないんだ。と。
悪かったのは、「何か」であって「誰か」じゃない。
しかもその「何か」すら、誰かの気遣いだったのかもしれない。優しさだったのかもしれない。愛情だったのかもしれない。
まさに運命の悪戯だったんだ。
相手を思ってした事が、相手の背中にのしかかり重荷になっていく。愛のはずだったのに、いつかそれが相手にとっての足枷になっていく。
なんて残酷なんだ。運命とは、なんて残酷なものなのだ。
あの言葉を残した人は、もしかしたら全然偉大な人なんじゃないのかもしれない。
そうやって思うことでしか、自分を救えなかったのかもしれない。
そう思うと、心の荷が降りた。
「ごめんね。」
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