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今日までの自分にお疲れ様。〜転職報告〜

この度、2年勤めた大学病院を退職することとなりました!転職先の報告と共に、その想いを書きました。

たかが2年目の看護師ですが、自分と大切な人と向き合ってした選択です。長文になってしまいましたが、お付き合いいただけると嬉しいです。


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その人がその人らしく生き切れるようサポートしたい。

そんな思いが自分の中に芯としてある。
本当は最初から訪問看護師などの在宅領域のキャリアを選び、やりたいことと向き合い続けたかった。

でもファーストキャリアで「やりたいこと」をしていいのか。。という自分の葛藤があった。
関わる人のためと言いつつ、自分が気持ちよくなりたいだけではないかと思うのが怖かったのだ。

後悔しない選択とは何か。自分が大切にしたいことは何かを考え必死に模索し吟味した。
4月の入職ぎりぎりまで実は「この選択でいいのか」と覚悟を決めきれずにいた。

選択したのは「大学病院」

ある意味やりたい自分の気持ちを押し殺し、泥水を飲む覚悟でいいから飛び込もうと思った。

治療をする病院では、
・私の大切にしたいことはできないかもしれない
・忙しくて自分の心をズタスタにするかもしれない
・もしかしたら性格が変わってしまうかもしれない

そんな不安がすごくあった。
でも踏み込んだ覚悟は、
大学病院というどデカイなぞの物体を理解したい・知りたいという欲求だった。

・なぜ日本人の多くは在宅(地域)でなくなりたいというのに7割以上が
 病院で亡くなるんだろう
・なぜ多くの患者さんは家に帰れないんだろう
・なぜ多くの患者さんは病院を選択するんだろう
・なぜ在宅看護に従事する人の多くは病院をディスるんだろう
・なぜ在宅看護に看護師は増えないんだろう

そんな学生の頃に感じた多くの課題が私の行動の原点だった。それを見ずに在宅看護は語れないし、多くの方は治療を行い、家に帰ってくることを考えたら
その現場を見なければ「共感」「思いを馳せる」なんてできないと思った。

そんな中、大学病院へ入職し、仕事が始まった。
待っていたのは本当に辛い日々だった。本当に本当に苦しかった。
初めて「虚無感」という感情に出会った。
できない自分、怒られ続ける自分、体力を使いきり勉強へ手が伸びず劣等感を抱く自分。何も感じず、気づいたら涙が出る。何もしていないのに疲れる。そんなことが多々あった。
入職して7ヶ月くらい苦しくて、外にでることさえできなかった。

人とのコミュニケーションを取ることが苦しみに変わるほど疲れ果てた。
そんな私がなんとか踏ん張れたのは、先ほど述べた課題を自分の答えとして持ちたいという欲とこんな私にも心を開いてコミュニケーションをとってくれた患者さんの存在があったから。また、私の心の逃げ道をつくってくれたthird placeがあったから。

働くなかで模索した
人とは何か
看護とは何か
看護師とは何か
ケアとは何か

多くの疑問が次々に私を覆い、自分らしさがなんなのかわからなくなった。

苦しくて、つらかったけど、この苦しみをバネにし、本当の自分の居場所を探そうと思った。

 ずっと私は訪問看護師になるんだって思っていた。
でも、一度頭をクリアにし「ケア」とは何かを基準にしていい場所を探そうと思った。
尊敬している先輩に「いろんな人に会って自分の話を聞いてもらった方がいいよ。」「いろんなケアを見た方がいいよ」そんなひと声があったのが大きかった。

ケアとは何かを探し、考え、行動した。

そこで出会ったのが、次の就職先、ミノワホーム。

1年目の10月。気持ちも身体も悲鳴をあげているとき、私を引き上げてくれたのはミノワホームの馬場さんだった。イベントで出会ってから、ミノワホームを知り、見学に行き、2時間ほど馬場さんのプレゼンを聞かせてもらった。

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そこには、馬場さんのいままでの経験のノウハウを福祉やケアに生かしていくことを大切にされている方。肩書きや知識ではなく、「人」を大切にしていく知識や姿勢。馬場さんの話す言葉の1つ1つに 愛や魂が込められていた。言魂を感じ、言葉の温度を感じた。この人もとで「人」として成長したいと思った。

また、ミノワホームが目指していこうとしているビジョンがかっこよかった。施設がどう地域と混ざり合って機能していくかを常に考え、施設の利用者さんのハッピーを常に考えている。そこには、「いい連鎖」が起こりそうなワクワク感があった。
目の前の1つ1つを大切にしていく虫の目の視点だけではなく、客観的にその光景がどう見え、どう作用していくのかも大切にしていく鳥の目をもつことで孤立しない・盲目にならない技術を耕せると思った。また、シャッターが降りてしまったスーパーを地域の居場所づくりにしようとしているなど、施設を超えた地域貢献・人のつながりを考えているところに大きな可能性を感じたからだ。

一番の決め手は、働く現場スタッフが最高に好きだった。
馬場さんの話を聞き、ビジョンを聞き心を熱くすることはあると思う。でも一番大事なのはそこの「内」で働いている人の人間性を知ること。なぜなら、私は、プレイヤーだから。
スタッフさんとのコミュニケーションが好きかどうかということ。仲間に入れてもらえるような隙があるかということ。見学に行った時、それが知りたかった。
馬場さんの話を聞き、魅せられた。でも、身体全身が「ここだ!!」と感じたのはミノワホームで働くスタッフさんを見たから。ケアする人・ケアされる人の境界線を感じなかった。

みんな「人」として関わっているその姿に魅せられた。普通の人からみたらこれは当たり前かもしれない。でも、医療・福祉において、悔しいが、この光景は

当たり前ではない。

この当たり前を当たり前にできる「文化」をみてここで働きたいと心から思ったのだ。

当たり前じゃない人生に実りのある小さな幸せを

ミノワホームの理念のサブタイトル。私はこれがすごく好き。
この小さな宝物の幸せを私は最後まで守れる人でありたい。

ここまでがミノワホームを選んだ理由。

やっとやりたいことをやれるスタートライン。


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でも、この選択をするにあたって、めちゃくちゃ私の中で葛藤があった。

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病院2年の経験でやりたいことをしていいのか。
訪問看護ではなく施設ケアのプロを目指す道でいいのか。
本当にこれがやりたいことなのか。

決断するには覚悟が必要で、パワーがいる。

もっと楽に考えればいいんだろうけど、性格上なかなか難しいようだ。こんな性格だから苦しむこともたくさんあるけど、今まで自己決断してきたからこそ、後悔をしたことはほとんどない。

病院2年でいいのか。という疑問は今でも思う。でも、働いて思った。人は万能ではない。
医者は専門領域がある。しかし看護師はない。異動があれば1からまた勉強だ。なのでジェネラリストとしての才能が問われる職種であると私は思う。
看護師の仕事に「できた」はない。一生勉強。なぜならば、人が変わればケアが変わるから。答えなんてないのだ。引き出しの多さで選択肢を与えることができたり、観察の質が高い、アセスメントの幅・深みがある。などの技術はある。でも、行き着く答えは1つではないということを病棟で働いていて痛感した。
看護師は、生活の伴走者であり、心の伴走者、その人の周りの環境調整をすることが仕事だ。
やることは変わらない。勉強もし続ける。自分と向き合い続ける。だったら自分の好きなフィールドで成長しようと思った。

病院は苦しかった。

でも、今思う。

病院でいろんな経験をできてよかった。と。

馬場さんに言われた、あの言葉がしんどかったあの自分を引き上げてくれた。

”人の嫌な感情や経験、怒りのエピソードを自分のカゴに入れて背負って足腰を鍛えるんだ”

もがいた分、苦しんだ分、最後には多くの方に助けてもらえた。
この経験が、「加藤有香」を強くした。弱い自分さえ、受け入れ好きになれた。
まだまだひよっこ。でも、ここからまた歩き始める。

本当にこれがやりたいことなのか。
は、わからない。

やってみないと。ようやくある程度のことが起きても大丈夫なメンタルに回復できた。
やりたい!の欲求に素直になれる行動力も出てきた。そして直感で「ここがいい!」と思う人と場所に出会えた。

これが揃って、チャレンジしない方が変だと思った。

何が「良い」かなんてまだわからない。

だからこそ、人生は、楽しいのかな。旅ですね。
ここからが、ようやくスタートライン。

よーーーーーーーーーーーーーーーぃ、はじめ。

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