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私を動かすもの。

今日とてもとても書きたい衝動に駆られ、初めてブログというものと向き合う覚悟ができた、気がする。(後々、ブログが自分にとって義務になっては嫌だし、“書かない”選択肢も勿論自分に残しておくとしよう。)

これまで自分の考えを人に公開することは、恥ずかしいことであり、そういうことで集客するメソッドに対して良くないイメージを持っていたし、何より自分の意見反対派からのバッシングに自分自身の心が耐えられると思っていなかった。

私は俗に言う、「常識人」を一生懸命演じて、なんとか人に好かれようと思って生きてきた。正義感は人より強い方だと思う。私の偽りのない“それ”に対して“偽善者”呼ばわりされたこともある。何故か人は善人を賞賛したがるくせに、いざ善人を前にすると、あたかもそれは造られた偽物のように、人の根源は悪かのように、認めようとはしない。

昔から、日本人ぽくない考えの持ち主だと思われていたけれど、どうやら10年に渡るアメリカ生活で、更に日本人ぽさがなくなったらしい。アメリカ人にも言われる、日本人にも言われるのであれば、もうそれは間違いないのだろう。受け入れるしかない。しかし、アメリカにいる間、自分の中に見つけた自分のアイデンティティは他でもなく日本人という自分で、自分の考えや行動のルーツが全て日本だと思い知らされた。驚くのは、日本にいる時よりも日本人らしい自分がアメリカという国で発見できたことだ。

これまでの自分をつくってきたものと向き合うように、徒然なるままに、書いていこうと思う。


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