夢か現か幻か
いつだったか、7歳と幾ばくか。
母に手を引かれ、地元から少し離れた大きな公園に桜を見に行った。
そこは昔から有名な桜の名所で、多くの観光客で毎年賑わっていた。
屋台が立ち並ぶことはもちろん、お化け屋敷やゴーカート、バイクが宙を舞う小屋等々、レトロな雰囲気満載の催しが多々見受けられた。
あちらこちらから口上が聞こえてくる。
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。」
どこも呼び込みには熱心だが、大袈裟な表現の羅列で何が行われるかなんて見当もつかない。
母は私の手を引き、ずんずんと進んでいく。
急に呼び込みのお姉さんが母に話しかけた。
「いかがですか?楽しいですよ!」
本当に陳腐な誘い文句だった。
にも関わらず、母はその呼び込みのお姉さんと初めて出会ったとは思えないほど親しげに話していた。
母は友人が少ない割に他人に良い顔をしようとする。
どうでもいいことなら切り捨てればいいのに、と二人の話を聞きながら思う。
そして、思い出したように私を見て、
「え!なんだろう!面白そうだよ!」
と放った。
何の催しかもわからなかった。
他の催しにはたくさんの人が関わっているのに、その催しにはお姉さん一人しかいなかった。
私にわかるのは、小さいサーカスのテントのような小屋が目の前にあることくらい。
何か看板があった気がするけど、難しい漢字がたくさん並んでいたように思う。
お姉さんが屈託のない笑顔でドアを開けた。
何もわからないまま、その小屋に入れられた。
小屋の中はサーカスのテントと同じ配色で、床は真っ黒であった。
人が二人入ると肩が触れるくらい狭かった。
そんな場所に二人掛けベンチのみが置いてあった。
一人ベンチに座ると、ゆらゆらゆりかごのように揺れた。
端だけが固定されて、ベンチ自体は浮いているらしい。
外からお姉さんが
「ベルトをしっかり締めてください!」
と言った。
なんでベルトをしっかり締めないといけないのだろうと思った。
こんなに小さな楽しそうな見た目の建物でベルトをしっかり締めないといけないようなことが起こるのだろうか。
また外から
「行きますねー」
というお姉さんの声が聞こえた。
どこに行くのだろう。
その瞬間、視界が回り始めた。
上も下もわからなくなるほどベンチが回転し始めたのである。
そして、真っ黒い床がどんどん底無しに深くなっていった。
「お母さーん!!お母さーーーーん!!!」
私はベンチの肘掛けやベルトを握りしめながら叫んだ。
しかし、外からは母とお姉さんが朗らかに世間話をしている声だけが聞こえてきた。
物凄い遠心力。
このまま死ぬんだ、この闇に飲みこまれて。
もしこの手を離せばこの真っ黒な床に吸い込まれてしまう。
騙されたんだ。
あの二人はグルだったんだ。
頭の中にそんな言葉が巡り、ギュッと目を瞑った。
少しすると回転が収まった。
「はーい!」
という声とともにドアが開いた。
「ベルト外してくださいね。」
やわらかな声だった。
母が笑顔でこちらを見ている。
手が差し伸べられ、その手を掴み、外へ出る。
母は何も言わずに私の手を引き、またずんずん進んでいく。
ふと見えた横顔はとても満足そうな笑顔だった。
END
この話は私の記憶の中にあった。
でも、これが現実だったのか、夢だったのかが思い出せない。
現実のように物に触れた感覚があったし、夢のようにフワフワ心が浮いているような感覚もあった。
なんであの時あの乗り物だけ乗せてくれたんだろうか。
私をいらない子だと思ったんじゃないだろうか。
でも、なんで笑顔だったんだろうか。
なんで何も言ってくれなかったんだろうか。
今となっては夢か現か、はたまた幻かわからないが、誰も助けてくれなくてこのまま終わるんだと思いながら、床が深淵のごとくなっていった恐怖感と、母に手を引かれたときに吹いたあたたかな春の風だけは覚えている。