一部の層にだけ存在する日本人の万能感に見る正体
単純化したとして二つの種類に分けてみる。
1つは自らの周りに絶対の壁があると信じている層。
これは権力や金の力、法律に守られているからそれに基づき自らを頼ることで満たし立つ事が出来るタイプの人。
こういう人はそう少なくもないしかなりの一定層だとは思うが、大体においてその対極にある人間に意識が向くことはない。
もう1つは自らに知覚できないものを理解してもしようがないと理解している人。端的に言って知らなぬ存ぜぬで済ますことができるならばそれは現象として認識する必要がなくもし何かが起こっていたとしてもそれは自分とは関係のないことだと割り切れる、もしくは気にもとめることがないだろう人。
これはある意味幸せなのだとは思うが。知らないところで何が起きたところでという考えが根底にある。
角度を変えればそれは無敵の人と大差はないのだがな。
概念化はこのくらいで情報を食べるなら、それを餌に馬喰のような仕事をできるかどうかといった点でこの2つのタイプは密接に繋がっている?
その生き方に理由もなければ意味もないが、面白いところはどちらも第三者の目線が失われている気がしているところにある。
深くいうまでもないが人が人でそのままであるなら食べるものと食べられるものが存在しているのは間違いないのだが必ずしも人は即物的であるわけじゃないという話にも読み取れるが、どこに何かが存在しているか知れたものではない。
だからと言ってどうということもないが、新宿で散歩をしていて面白かったのはなぜかあの地域にはバッセンが二つもあるのということだった。
その理由をどう受け取るかはそれぞれの自由だけれど、取り敢えずちゃんと打ち返せるようにならないとなぁ。
しみじみ年を感じる。