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ジェイソンステイサムやドウェインジョンソンを理解できない人とは友達になれない話

年末なので愉快な話をしたい。

何故彼らは僕にとって特別なのかと言う話だ。

確かにこの2人、映画界を代表するスターの1星であることは確かである。でも其処だけでは彼らを語るきっかけにしか過ぎない。彼らの演技は確かに素晴らしい。出る作品もエンタメに満ちて笑うことができる。その源泉がどこにあるのかと言う話だ。

このことを話す前に分かりやすくするために日本人として向田邦子さんやクドカンさんをあげても良い。
これを語るだけでも一つの記事が書けるほどではある話だが、爆笑問題の太田さんがよく言う話で向田さんを語れない人間に対するネガティブな事は何度か聞いたことがあるのだ。
その理由は今では古くて作品を手にするには著作ぐらいしか簡単には窺い知ることは難しいが、それでも一冊読むことで理解できる。作家としての心情やノウハウのみでなく書くべきことと書かなければならない描写。
読み解くことで理解する人の世界。
クドカンの脚本にもそれは言えててたとえ地域にこだわる作家だと言われても作品の質はそう変質するものじゃない。たとえ時代が変わっても性根が変わらないのと同じように作品が劣化するには理由がない限り言葉が変わることなんてあるわけもなく。
両者共に共通している視点はとても面白いんだな。
そもそもそれが決して視聴率につながっているわけではないことにも理解しておいた方がいいとは思うが。

不思議なことに彼らは世界を救わない。
彼らが救うのは周りにいるせいぜい数メートルの内にいる人間ばかり。

全てをもってそれと言うことは流石に言うことはできないけれど、共通する根底に彼らはキアヌやトムクルーズの様に世界を救うことはないけれど、目の前にいる数人を絶対に助けることができる。

それは人間としてとても心地よいことなのだと思う。
確かに世界を救うようなメシアは必要なのかもしれないが、でもそれだけで世界は存在することもできないなんて言ったら笑われるのか?

大を生かす為に小を殺すことはもうしないと誰かが言っててそれをトピックとして取り上げる。
ただ本当に良い物語としてこの言葉を無くしてしまうなら何処かから鉄拳が飛んできそうな気がするのよ。
だからこの2人を楽しめない人とは友達になることはできない。

それはそう。
誰も好き好んでサイコパスと友達になりたいなんて思わないはずだから。

年末年始にJS様のビーキーパー、あなたは誰と見に行きますか。

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