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顔が見えなくなっている職業
私は東京に住んでいます。小中高そして大学も東京で過ごしました。その間東京の街はどんどん再開発が進んでいます。高層マンションに高層ビルは
一見、すご!って思うけど、どれも同じで、個性もなくて、面白みもない。そして高層ビルたちで、空はどんどん狭くなっていく。
都庁の展望台からみる景色は、ビルとビルが隣あわせで、東京タワーは高層ビルと重なってなんだか窮屈そう。
東京の面白さって街ごとに色があって、そこにはいろんな人がいて(人種のるつぼ)そこから生み出されるもの”ファッション、カルチャー、食、音楽”に個性があった。再開発でできあがるビルは、下や上から見ている景色。横からは見ていない。人の目線で360度みてない。
だから出来あがるものがみんな同じ。ビルもビルに入っている職業も。
今の東京は”みんな同じ”をメッセージに込めているのかとさえ思う。
人間社会はいろんな人がいるから面白い。その違いを体感することで気づきが生まれ、違う価値観がぶつかり合うことで新しいが生まれる。
いろんな仕事に職業、いろんな考えがあるからまたそこからいろんなビジネスがうまれる。そしていろんな人が集まことでいろんなカルチャーができあがる。それが人間社会の面白さだと思う。生きることがクリエイトって言われるのはこういう人と人との交わりから生まれる瞬間ではないかと思う。
今の東京の街づくりを見ていると、日本はこの先、みんな一緒になってしまうのではないかと思う。みんな一緒だから、”新しいものを作ったり
考えなくてもいいんだよ、今あるレールにのっかれば楽だよ、それで
いいんだよ” ”価値観が同じ人と一緒にいよう”
そんなメッセージが再開発には込められているのかとさえ思う。
そしてそれは顔が見えない職業に繋がるのではないかと思う。
顔が見えないというのは、作り手の個性や考えが反映されないという意味。マニュアルやルールがあるのはいいけど、お客様は環境も状況も価値観もみな違う。作り手はお客様をヒアリングしてその方にあった対応することで作り手の色が出てくる。そしてそれはその人しかできないことになる。
個人の時代という言葉がよく使われているけど、捉え方として
「顔が見えなくなっている仕事」と「顔が見える仕事(作り手の顔が見える)」という意味ではないかと思う。
もしかしたら若い子たちが成りたい職業としてYouTuberをあげているのは、無意識かもしれないけど顔が見えない大人たちに気付いているから?
彼らYouTuberは顔が見える仕事。作り手の顔が見えるところに
若者は魅力を感じているのかも。
東京の街は、人と人が交わる場所から、同じ人が集まる場所に、
違いを楽しむから、違和感を避けるような社会に、
東京で小さい頃から過ごすことは、違和感の楽しみ方を知らない
大人が生まれ、違いを認め合わない社会を作っているのかもしれない。