【エッセイ】ボン・トワレット

 『17A』…自分の席に座り、ペットボトルと文庫本を前ポケットに入れる。シートベルトをし、本を開いたら、安心からかウトウトしてきた。

 旅慣れしても席に座るまではうかうかできない。一度だけアテネ空港で国際線を乗り過ごしたことがある。搭乗には十分間に合う時間だったのに「ラテン人だしどうせ遅延するだろう」と思っていた自身の偏見を恥じた時既に遅し。


 ——これから安全に関する大切なお知らせをいたします——

 聞き飽きた自動アナウンスは、寝落ちするにはちょうどいい。


 時間はそこまでたっていない思う。ハッと目が覚めた時、今度はクルーの肉声が聞こえた。

「トイレに入りますとレバーの位置は背面の斜め上にございまして、横のボタンは緊急のお呼び出し用がございます。その下には・・・」

 なぬ!?いまこの『FASTEN MY SEATBELT』の状態でまだ見ぬトイレへの想像を掻き立てようと!?

 そこから淡々と説明が続いた。以前はこんなものなかったと思う。肉声アナウンスであることから最近付け足したんだろう。


 情報を流すのはいい。でもこっちは聞いちゃいない。いや、耳には入ってきている。残らないのだ。37歳の脳で覚えられないんだから、おそらくメインターゲットであるご高齢の方に届く可能性は極めて低いだろう。

 つまり無意味だ。「やってる感」だけだ。エゴだ。


 『情報化社会』——それはデジタルだけではない。地声でだってほら、「アレだよ!コレだよ!ソレだよ!覚えた?覚えたよね!」と情報のシャワールームに突然強制送還させられる。

 こちらが「ごめんなさい、いま言われても全然入ってこないの」と言いたくなっても容赦ない。あとで質問したときの「最初にお伝えましましたが」と笑顔の鬼の形相よ。まるで「契約書に書かせていただきましたが」と言わんばかりに。私は不動産契約の注意事項を聞きにここに来たんじゃない。

 安い航空会社とはいえこれから始まる空の旅にわくわくしに来たのだ。


——言いました。

自分が言った言わないでなく、相手の心に残ったかどうか。

だったらトイレ内の構造や案内を工夫するなどの知恵を絞って欲しい。


 夢の国。それがディズニーランドでもコミケでもなんでもいい。

 目の前のエントランスをくぐればあのアイドルに会える!とそわそわしている人に「トイレは二つ目のパサージュの右です」「ゴミの分別はアレとコレとソレで、飲み残しは横のボックスで、おタバコは…」という話したところで、どれだけ響くだろうか…

 更にナンセンスなのは「出口は反対側ですのでお気をつけて」と、入る前から出る話をされた時にゃ、ズッコケていいのかしら? あなたのその一言のおかげで無事に出口に辿り着ける可能性は上がり、これから始まる夢の迷路の楽しみは減ったわ。


 案内の最後に

 「ボン・ボヤージュ!」

 でなく

 「ボン・トワレット!」

 とでも言ってくれたら、少しは笑えるのに。

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吉本悠佑のイツスモ~it'sasmallworld~
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