ネクラな僕
大学内で高校時代のクラスメイトに会った。
いや、会ったと言うと少し語弊があるか。「見かけた」が正確な表現だろう。
その人はいわゆる「陽キャ」の女子で、カラッとした性格と、知的なユーモア、そして、目を惹く容姿を有しており、「人から好かれる人」の典型のような人だった。冴えない僕から見たら高嶺の花といった感じだが、その人は大学に進学した後も、僕を見かけると(数回しかなかったが)軽く声をかけてくれた。それが僕は少し嬉しかった。
僕といえば、中学時代から鍛え上げてきた自意識が邪魔をし、人に話しかけるという行為自体に一種の競技性を見出していたほどである。僕が彼女を校内で発見したのは一度や二度ではない。会話の相手がおらず、他者の視線に怯える僕は、常に周囲に気を配っていたし、前述した通り、彼女は目を惹くので見つけるのが容易だった。しかし、そのどの機会に際しても、僕が彼女に対して何かしらのアクションを仕掛けることは無かった。それは僕が非生産的な会話をするのが下手くそだったのもあるが、何より、彼女が会話の相手に困っているような状況は一度も無かったからだ。
いや、これも間違いか。劣等感から来る躊躇いを気遣い故の配慮と位置付けることで、何とかプライドを保っていただけだ。
こうした傾向は、相手が男子でも起こりうる。自分が到底関わらないであろうタイプの男子(これまた陽キャ)に話しかけられた時も、上手く会話ができない。せっかく脳内で紡いだユーモアも、劣等感やら緊張やら諂いによって靄がかかり、不細工な愛想笑いに姿を変える。
こうした情けない失敗経験が、新たな傷を生み出し、人も目を見る事すら困難にする。
話を戻そう。
僕は彼女(場合によっては彼)を見つけた時、必ず彼女から見えない位置に移動する。重要なのは、その場を離れない、という点である。挙動不審極まりない。一見不合理だが、簡単な話だ。会話を避けようとする一方でどこかそれを望んでいる自分がいるというだけである。
僕は誰かに話しかけるチャンスではなく、誰かから話しかけられる機会をさりげなく演出しているのだ。
僕は孤独が好きだ。けど、他人から介入されたい質なのだろう。
いささか面倒な性格だ。
けど、こんな性格だからこそ、冷血で自己中心的な人間にならずに済んでいるのだろう。