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緩やかな自傷

初めて煙草を吸ったのは二十歳の時だ。成人式の二次会に参加する気になれず、独りでぼんやりと夜の街を闊歩している時にファミリーマートで『LARK extra』を買った。
久々に会った同級生に対し、何か特別な執着心を抱くことが出来なかった自分への失望と、行き場を失った好奇心をどう処理すればいいのか分からなかったのだ。
不完全燃焼な思いを煙草を燃焼させる事で消化(昇華、消火)した。(上手い!!)

中学生の頃、自己中心的で喧しかった奴は、相変わらず騒がしかったし、根暗な奴は成人式でも陰気だった。そして誰よりも僕自身が変わっていなかった。こうした集会を楽しみにしているくせに、いざ参加すると上手く楽しむことが出来ない。そして、そんな自嘲を一緒になって楽しんでくれる人は、僕では無い誰かに連れられて何処かへ行ってしまった。
僕は煙草と、吸い殻入れと、ライターを携えて小学生の頃よく遊んだ公園に向かった。
人気のない公園のベンチに腰掛けて煙草に火をつけた時が、その日一番興奮した瞬間であった。


煙草を吸うと寿命が5分短くなると聞いたことがある。
これが煙草の薬害を説いたものなのか、単なる頓智なのかは分からない(煙草一本吸う時間を5分と捉えれば事実と言えなくも無い)。しかし、そんなトリビアを知った所で煙草の味は何も変わらなかった。そもそも、長生きしたい癖に煙草に手を出す人間はこの世に一人も居ないだろう。
僕にとって喫煙は、緩やかな自傷である。
嫌なことがあった時。自分がどうしようもなく惨めな時。集中できずにイラついた時。僕は煙草を吸う。そうすることでストレスが幸福に変化するわけでは無いが、少なくとも苛立ちを遠ざけることは出来る。

大人になると、様々なストレスに直面する。同時にそれらに対する対処方略も身に着けていく。アルコールで感情に靄をかけるのもその一つだ。しかし僕は、その方法を身に着ける気になれなかった。酔うと気が大きくなる人。泣き上戸になる人。暴力的になる人……。あんな大人の、どこに憧れればいいのだろう。
僕は感情的にならないように煙草を吸う。あの酒乱共は、感情的になろうとして、アルコールを煽る。「酔っていたから覚えていない」なんて、自分で馬鹿と公言しているようなものだ。
『煙草は害だけど、酒よりは人に迷惑をかけないで済む。』
それが僕の認識である。

だからこそ、歩きタバコ、吸い殻のポイ捨て、非喫煙者の居る空間での喫煙……喫煙者によるそれらの迷惑行為に辟易する。あの屑共のせいで喫煙者というカテゴリー全体への風当たりが一層強くなっているのだ。

喫煙者が文字通り煙たがられるのも当然の事だろう……。(上手い!!!)

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