トガノイバラ #51 -3 異端者たち…14…
「……いまの御木崎家は、お前の意思で動いているのか。それとも、実那伊の意思か」
卦伊は少し沈黙してから、
「御木崎家の意思ですよ」
「家に意思などないだろう」
「あるでしょう、この家には」
当然のごとく返されて、今度は伊生が沈黙した。しかしその瞳は、突き刺すような追及の色をたたえて卦伊にじっと注がれ続ける。
やがて卦伊が瞳を伏せた。
すみません、と苦笑まじりにこぼして、
「怒らないでください。べつにあなたを揶揄っているわけではないんですよ。誰の意思かと問われれば、御木崎家の意思としか答えようがありません――が、先代が亡くなって以降、当主の仕事は僕が引き継いでいます。あくまでも代理という形で、暫定的に」
兄弟の視線が、真っ向からふたたびかち合う。
「僕は、あなたや伊明君のためにこの座を守っている」
それがひいては御木崎家のためになる――と、口にはせずとも伊生には伝わる。彼がいまだ心の底からそう思い、信じて疑わないでいることも。
卦伊の瞳は少年のように純粋だった。
彼が兄に向ける目は、昔から変わらない。
目じりにしわができても、人をくった笑みを浮かべるようになっても、小生意気な皮肉を並べるようになっても――幼いころから変わらない。畏敬と憧憬のまなざしは。
伊生は、深く、深く、嘆息した。
「悪いが、卦伊。俺は――」
「兄さん」
遮られる。一瞬こわばりを見せた弟の顔は、けれどすぐに笑みに返る。
「わかるでしょう、あなたしか居ないんです。あなたにしか務まらないんです。幼いころから、僕はあなたの傍で、あなたを見てきた。だからこそわかる。だからこそ、言えるんです」
「俺は一度家を捨ててる」
「そんなことは問題じゃない。大事なのは血です。素質です」
卦伊は勢いこんで身を乗りだした。懇々と説く。自身の目に映る兄が、いかにシンルーとして、御木崎家当主として相応しいのか。
たとえば狩りのことである。
シンルーが初めて狩りを行う年齢は、平均して十八歳前後であると言われている。宗家の次男であった卦伊は十六の終わりに一人目を狩った。伊生は、十二歳の時にはもう狩りを始めていた。
狩った獲物――ギルワーの数も、当然ほかのシンルーの比ではない。
引き寄せる力がまず違うのだ。血の濃さからして違うのだから当然ではあろうけれど、分家の者が苦心してギルワー一匹を捕まえるあいだに、伊生のもとには、それこそ角砂糖に群がるアリのごとくにギルワーたちが寄ってくる。
血の匂いに惹かれ、逃げだすこともままならず――。
先代にも先々代にもそこまでの力はなかった。だからこそ、伊生を神童と呼ぶ者があった。神の矢でなく、神の御使いであると崇める者まで出た。
「御木崎家以外でも、兄さんは一目置かれていた。今でもそうだ。――兄さん。あなたは世のシンルーの頂点に立てる人なんです。いまこそ御木崎家が、シンルーを統べる存在になるべき時です」
勢い任せに、卦伊はそんなことまで言ってのける。
けれど当の伊生本人は、どの言葉にもまったく反応を示さなかった。聞こえてさえいないように、瞼を伏せ、両腕を組んだまま、座卓の木目に瞳を投げていた。
卦伊が喋りつくして一呼吸ついてからようやく、卦伊、と静かに呼びかけて。
「お前のような考え方は、俺にはもうない」
卦伊は愕然と目をみはった。兄さん、と縋るような声をもらす。
「はっきり言う。俺はシンルーという存在そのものを軽蔑している。無論、その血を濃く受け継いでいる俺自身もだ。何度この身を消し去ろうとしたかしれない」
「……どうして、そんな。そんなことを……兄さんは」
「神だなんだと口を揃えてお前たちは言うが、結局、シンルーなんてものは殺人狂の化け物だ。欲求とたたかいながら少しでも人間らしく生きようとするギルワーのほうが、よほど……」
バンッ、と――机を叩きつける音が、伊生の声を遮った。
「……いけませんよ、兄さん。あなたが、そんなことを言ってはいけない」
卦伊は、顔を伏せていた。垂れた前髪と眼鏡のレンズが彼の目許を隠している。引きつった口元から広げられていく、感情を押し殺すようないびつな笑み。
弟の顔を見、伊生はほんの微かに眉間をくもらせた。目をつむり、いっそう固く腕を組む。
「お前になんと言われようと、俺はこの家に戻る気はない。伊明をここに戻す気もない。今日は、それを言いに来た。御木崎家がお前の意思で動いているのならお前に、実那伊が動かしているのなら実那伊に――忠告をしに来たんだ、卦伊」
机上にあった卦伊の指が、ぴくんと跳ねた。
「忠告……?」
「俺は、御影と繋がっている」
卦伊が驚いたように顔をあげた。
「……冗談でしょう」
伊生は静かに首を振り、無表情に卦伊を見返す。
「ばかな……正気ですか。奴らは野心のかたまりで、目的のためなら手段を選ばない低俗極まりない連中ですよ」
伊生は鼻の奥でふと笑った。
「低俗とは随分だな。俺たちも似たようなものだろう」
「兄さん」
咎めるような声をきっぱり無視して、伊生は続ける。
「向こうは俺を利用して御木崎家を潰すつもりでいる。俺もそれを最大限に利用させてもらおうと考えている。……俺が何を言いたいか、わかるな、卦伊」
卦伊は答えようとはしなかった。だからといって伊生も先を急く真似はしない。黙ったままでいる。
観念したように卦伊が嘆息をひとつ漏らした。
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