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災害ボランティア参加で得られたもの

今年元旦に発生した令和6年能登半島地震に加え、令和6年奥能登豪雨で記録的な大雨に伴う水害で被災した石川県能登半島の災害支援ボランティアに参加してきました。私自身、日本での災害ボランティア活動は経験がなく、どこから、何から始めたらよいのかわからなかったこともあり、少しでも同じような有志の方のこれから先の参考になればと、申し込み方法・宿泊事情・服装や必要装備・現地での活動内容や私が見た限りでの被災現場の実態などについて綴りたく思います。

まず、被災現場の実態は写真で一目瞭然です。私が訪れた輪島市町野町は住宅の倒壊率が最も高く、被害が極めて大きいとされる地域でした。現場に到着すると、地震によって一階部分が二階に押しつぶされてしまったり、それこそぺしゃんこになってしまった住宅、その後の大雨による水害によって追い打ちをかけられたであろう住宅の凄まじい光景が目に飛び込んできます。たくさんの支援は受け入れられているのでしょうが、正直なところまだまだ手がつけられていない場所があまりに多い印象を受けました。ゆえに、復興に際しては、行政では手が回りきらない部分はボランティアやNPOの活動が大きく貢献しており、まだまだ支援が求められているのが実態です。

今回私は大阪の自宅から単身自家用車(HONDAのFREED)で11月6日(水)移動、11月7日(木)~11月8日(金)の二日間活動する旅程で計画を立て、その旅程どおり活動をしてきました。

<申し込み方法>
まず、災害ボランティア経験が未熟なこともあり、恥ずかしながら①宿泊施設、②食事、③風呂とトイレといった三つの条件が確保できる前提で調べていきました。私の偏見かもしれませんが、私以外の多くの人も志はあってもなかなか災害ボランティアに一歩踏み出せないハードルはここにあるのではと思ったりしています。結論からいいますと、能登空港に隣接する日本航空高等学校石川が、同校の好意で一部施設を県に開放/共有してくれていることから、その拠点がボランティアのベースキャンプ場として運営されており、宿泊・食事・風呂・トイレの問題はすべて解決できます。私の場合は、令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨 石川県災害ボランティア情報から輪島市の募集に活動予約をし、その後ベースキャンプに宿泊の予約をしました。その手順はこちらのとおりです。尚、宿泊は無料です。

日本航空高等学校石川が一部施設を開放しているベースキャンプ

<事前準備>
活動の予約が完了したので、次は現地に持ち込む装備や備品の調達に着手しました。またこのような災害ボランティアにすぐに参加できるように、一通りのセットを作ってしまう気持ちで近所のホームセンターコーナンに赴きました。先述のサイトの中に事前の準備動画もあったので、関連サイトも含めて予めある程度の知識をINPUTした上で購入品をリストアップ。実際に購入した物は概ね写真のとおりですが、動きやすくて汚れてもいい長袖・長ズボン、長靴と安全靴、ヘルメット、カッパの上下、釘踏み貫通防止のソール、その他百均でゴム手袋、ティッシュ、バンドエイド、タオル、45Lのポリ袋、ウェットティッシュ、スリッパ、マスク、耳栓などを調達。今回ほぼゼロから揃えたので、概ね2万円程の出費を伴いました。このように装備や備品関係は基本的には自分で持ち込むことが常識ではありますが、先述のベースキャンプにいきますと、実際は支援物資として届けられたかなりの備品類が揃っておりましたので、多少の物を忘れたところで心配には及びません。

自身で準備した現場入りのための装備と備品類

<高速道路無料化措置>
装備関係の事前準備に加えて予めやっておくことがもう一つ。自家用車で現場に向かう人にとてもありがたい、災害ボランティア車両の高速道路の無料措置がありますので、必ず忘れずに登録をされることをお勧めします。住所や電話番号、車両番号や活動期間、入口と出口のインターチェンジを登録して、往路、復路の二枚をプリントしておきます。ETCは対象外なので、料金所の一般レーンで職員に提示すると、捺印した上でそのまま支払を伴うことなく通してくれますし、分岐の料金所ではちゃんと次の通行券も渡してくれます。往路では最後の出口(私の場合は北陸自動車道の金沢東IC)で回収されます。帰路のケースは、もう一枚の復路の用紙に現場のボランティアセンターで必ず活動の証明印をもらっておき、料金所の一般レーンで職員に提示すれば往路同様に料金を払うことなく通してくれます。最後の料金所で用紙は回収されます。

往路の日本航空学校ベースキャンプまでは能登里山街道を使いますが、こちらは一般道なので料金はかかりません。因みに、金沢市内から100km以上はありますが、山道の道中は土砂崩れで崩落したであろう道路の舗装跡が何か所もありますので、あまり勢いよくは走れません。急な角度の迂回舗装が施されているところが多々ありますので、運転には十分気を付ける必要があります。

<ベースキャンプ>
先述のとおりですが、日本航空学校が校舎の一部をボランティアに提供して下さっています。校舎入口で受付を済ませると、ボランティアひとり一人に3階~4階に特設されたテント(プライベートルーム)が割り当てられます。写真のとおりですが、簡易ベッドとマットや毛布が準備されています。ひとつの教室に8つほどのテントが設置されていてるので、それぞれから出る音は筒抜けですが、プライバシーが守られますので非常にありがたく、贅沢はいえません。ただ、皆さん日中の作業でお疲れなことから、夜の教室内はいびきの大合唱です。私も装着していましたが、就寝時、耳栓はソコソコ効果があったと思いますのでご参考まで。今回一番驚いたのは、部屋の空調でした。私が宿泊させてもらった4階の各部屋は25℃設定でエアコンをつけて頂いていたので、夜は凍えることなく快適な環境で休ませていただくことができました。ただ、エアコンが故障していた3階宿泊者は少々事情が異なっていたようです。

ベースキャンプ校舎内の教室に特設されている
ボランティア用のプライベートルーム(テント)

トイレや洗い場は学校のトイレをイメージして頂いたらよいかと思います。因みに洋式で、ウォシュレットもついていました。風呂と食事ですが、ボランティアのベースキャンプ校舎から100mほど歩いたところに学生寮の食堂と大浴場があり、学校の寮生との共有という形で両方使わせて頂くことができます。食堂/学食は朝食600円、夕食800円だったように記憶しています。

初日の食堂での栄養豊富な夕食

風呂場は想像を超える大浴場です。作業で汗だくになって疲れて帰ってきたボランティアにとっては大変ありがたい開放施設のひとつでした。大浴場の横に5~6機ほどの洗濯機も完備されていましたので、連泊で支援に参加される方は荷物をコンパクトにできます。また、食堂の横に売店もあり、スナックや菓子パン、かんたんな日用品は現地でも調達ができます。

写真では少しわかりにくいのですが、ベースキャンプの受付本部にはたくさんの支援物資が集まっており、非常食や飲料水、作業現場で必要な最低限の備品関係は頂くことができました。私の場合は冷蔵庫内の飲料、マスク、ゴーグルはこちらから頂きました。

写真を撮り忘れてしまったのですが、本部裏の談話場所には4機ほどの充電器もありますのでスマホの充電に使えます。ただ、充電速度が遅いように感じられましたので、モバイルバッテリーは持参された方がいいように思いました。

冷蔵庫内の飲料水はフリーです。
クリアケースの中のマスクや歯ブラシなどの備品類は自由にとって構いません。
おかゆ、缶詰などの非常食もボランティア用に提供されています。

<現場入り>
私が申し込んだ輪島市町野町に現場入りするボランティアバス:通称ボラバス(大型の観光バス)は石川県庁方面からの経由便で、8:40にベースキャンプを出発しました。そこから山道を小一時間かけて現場に入るのですが、町野町に到着すると倒壊したまま放置されてしまっている家屋や土砂崩れ跡の壮絶な様子が目に飛び込んできます。道もある程度は整備されつつありますが、まだまだ通行が難しい道路やルートも方々で残っているのが実態です。

我々のボラバスが通行できず立ち往生してしまった現場

初日の参加者は30名程。現地のボランティアセンターに到着すると、6名×5つの小グループに分けられて、自主的にリーダーを選出し、依頼元からの作業要望内容に従ってそれぞれにタスクが割り当てられます。私のグループは午前中は近所の神社の本殿/拝殿の片づけと午後は一般住宅の泥出しでした。午前中の作業は概ね10:00~12:00、午後は13:00~15:00目途で終わります。15:00~15:30は使用した道具の洗浄と後片付けです。ベースキャンプには17:00前には戻っていました。従って、ベースキャンプから現地間の移動、注意事項や要領説明、休憩、後片付けを抜くと、実際に作業できる時間は午前と午後合わせて4時間程度という限られた作業時間になります。

地震で被害を受けた神社の境内の清掃。
最も大変だったのは濡れた畳の搬出。大変重く、一枚運ぶのに4人がかりでした。
地震に加えて、水害で被害に合われた一般住宅の床下。
隙間からスコップを入れて片手で地道に泥出しをしていくので握力が奪われます。

写真のキャプションにも記載していますが、初日の作業は力仕事が大半でした。水を吸ってしまった畳は悪臭を放ち、強烈に重く、やわらかくなってしまっていることもあり、二人でも持ちづらく四人がかりで搬出しなくてはならないほどでした。壁から崩れ落ちてしまった石膏ボードなどは、ところどころ釘が出ているので気を付けなくてはなりません。そこら中にけんざんのように釘が上を向いた板などが散乱していることもあり、靴の釘貫通防止ソールは必須アイテムのひとつです。ボランティアに来られた方の中でも誤って釘を踏んでしまい、びっこをひいて松葉杖で帰宅される方も数名いたそうです。これから行かれる方は是非念頭において下さい。

一般住宅の泥出しはスコップでかき出す班と外に泥を運搬する班に分かれて作業をしました。床の骨組み(根太材)の間から手を入れて、地道にスコップで泥をかき出す作業は本当に大変で、すぐに握力が奪われてスコップを持つのが辛いほどになります。体を折り曲げて地面の泥をかき出すので腰も痛くなります。それでも、この住戸の持ち主や被災された方々は立ち止まらず、復興を願って一日一日を何とか過ごしておられるので、我々も少しでもお役にたてるようにと、ひたすら泥出し作業を続けました。

二日目の参加者は50名程で、同じように5~6名ずつのグループに分けられ、この災害ボランティアに参加して僅か二日目でしたが、私はグループのリーダーとして、この日の現場にあたらせて頂きました。この日の依頼は、一般住宅の70代くらいのご高齢の方のお宅で、水害で泥に浸かってしまった輪島漆塗り器の大切なコレクションを洗浄する作業でした。その量は倉庫いっぱいに山ほどあり、とても全部は洗浄しきれませんでしたが、我々ができる範囲でご協力をさせて頂きました。

中央に山積みされた水害にあった伝統工芸品の数々
スポンジで泥だらけになってしまった輪島塗の食器を洗浄する模様

大切な伝統工芸品の洗浄作業ということで、どの程度の塩梅で進めたらよいか、持ち主に完成度を確認しながら進めていましたが、声をかけると悲しさの奥に少しばかり嬉しそうな表情で、その漆塗りの技術について淡々と語り始め、思い入れがとても伝わってきました。こちらの作業の手は止まってしまうのですが、心のケアという意味でもそういった聴き手役の役割も重要なのかもしれません。なので、丁寧に洗浄するだけでなく、丁寧に話を聴くことも心がけました。

私のグループ以外のグループは別のお宅の泥出しや、駐車場の泥出し作業だったようで、そちらに割り当てられた方々はヘトヘトになって一日の作業を終了されていました。私は40年ほどジムでウェイトトレーニングをしているので、50歳半ばにしては割と筋力や腕力はある方だとは思うのですが、実際このような災害ボランティアで使う筋肉はジムにあるマシンで鍛えるそれとは全く異なり、体中の変なところが筋肉痛になります。例えば、帰りの車の運転の最中に、左手の人差し指と親指の間の筋肉がツってしまい動かなくなったりといったような経験もしました。ぎっくり腰も過去に何度も経験をしているので少々心配しておりましたが、注意して作業していたので何とか腰は痛めることなく二日間の作業を終えることができました。それくらいの肉体労働がほとんどですが、高齢者も多い現地の住民の方々は途方に暮れるこれらの作業を日々やられているのかと考えると、今でも胸が痛くなる思いです。

先述したボランティア車両の高速道路無料化措置について、復路で提出する用紙にボランティア活動証明印が必要になります。作業現場のボランティアセンターで写真のような証明印を押してくれるので、活用される方は昼休みに忘れず捺印してもらうようにして下さい。私の場合は往復で2万円程の出費が軽減されたので、とてもありがたい措置でした。話は若干脱線しますが、ベースキャンプでたまたま大阪の吹田市出身の人がいて、まだ帰りの夜行バスの予約をとっていなかったため、帰りは乗せて帰ってあげました。このような場合は復路で申請した出口ICが変わることになるので、改めて用紙をプリントしてボランティア作業の証明印を押してもらう必要があります。私が送ってあげた人は吹田のSA近くに住んでいるとのことだったので、吹田SAまで送り届け、そこから徒歩で帰宅されました。従って、途中高速を降りる必要はありませんでした。

復路の災害ボランティア車両証明書と活動証明印

<所感>
私は2014年にシンガポールに赴任していた時にフィリピンのレイテ島が台風で壊滅的な被害にあったとき、4日ほど病院や学校の復旧作業に参加した経験はあるのですが、日本での災害ボランティア経験がなく、振り返ると今回は丁度10年ぶりの災害ボランティアへの参加となり、ようやく自国の支援に関わることができました。過去に東日本大震災、熊本地震、中国地方の豪雨による水害等々、日本各地で災害が発生する度に何かできることはないか、いつも考えてはいたのですが実際には行動に結びついておらず、自身の心の中で何かひっかかったものを引きずっていました。

実は私は現在長期で会社を休んでいる身です。社会の役に立てていないという後ろめたさがあり、何か社会の役に立ちたい、誰かのため、何かのために役に立ちたい、困っている人の一助になりたい、そんな思いも後押しして、今回この災害ボランティアに参加をさせて頂きました。そこではたくさんの気づきが得られました。会社の人間関係で自尊心が底をつき、「なぜ自分はこんなに不幸な思いをしないといけないのか」、「最悪な人生だ」、そんなことばかりを考える日々でした。実は私なんてまだまだ幸せものなんだと気づかされました。病気もせず身体が健康で、家があり、家族があり、収入があり、三食の食事がとれ、好きなことも何不自由なくできる私生活。世の中には誰のせいにもできない自然災害によって家族を失い、家も失い、財産も失い、仕事も失い、大切なものをたくさん失って、それでも歯を食いしばって明日を迎えるのに一日一日を必死で乗りきっている人たちがたくさんいます。被災現場にいくとそんな辛い状況にある人たちを支援しようと、全国から有志が集まり、助け合っている姿や光景に遭遇し、自らもその一部となります。私が支援できたのはたったの二日間でしたが、数カ月や数週間といった長期間滞在しているボランティアの方たちにも巡り合い、大変な刺激も受けました。そういった方々の発言には迷いがなく、私欲が感じられず、純粋に人助けが動機で行動に移せているように感じられました。そんな多くの気づきが得られました。

私には仕事をする上で掲げているKPIがあります。それは「ありがとう」の数。「ありがとう」は何かに、或いは誰かに貢献した証。だから日々、「ありがとう」をたくさん言うこと、そして言われることも意識をしています。今回の能登半島の災害ボランティアへの参加でもたくさんの「ありがとう」を頂けましたし、私もたくさんの「ありがとう」発信を心がけてきました。少々不謹慎かもしれませんが、活動に参加したことで被災者支援という観点に留まらず、少しばかり自分の気持ちも潤うことができたように思います。

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