私は祈れない

　2022年3月11日14時過ぎ。中央線に乗っていた。すっかり春の陽気で上着が暑い。腕をまくり少しでも涼しくする。アナウンスが流れる。イヤフォンから流れる音楽の向こうで東日本大震災と聞こえる。地震発生時刻に訓練をします、予めご了承ください。列車は久我山を通り過ぎる。吉祥寺までもうすぐ。その時間には下車しているだろうと安堵した。
　私は今でもあの日を上手く振り返れない。辛くて怖い。テレビが苦手になったのはあの津波の中継映像が原因の一つかもしれない。10年以上経っても胸に突き刺さったまま。あの日はこんなに暑くなかった。
　当時のことで印象に残ったことを2つ書く。
　地震発生から少し経つと原発や放射能について情報が錯乱した。なかでも福島県産の野菜を避ける人が問題となっていた。検査を合格したものだから大丈夫だと言う人と汚染されているから特に子供には食べさせないように言う人とがいた。原子力発電所は地震が起きても大丈夫、日本の高い技術で守られている。そう小学校で習った。地震直後メルトダウンは起こしていないと報道されたが実際にはしていた。今まで信じてきたものが誤りだと目前で証明されていく。ある人がツイッターで福島県産の野菜を買おうと呼びかけた。俺は買うよ、だって農家の人が困ってるんだから、仮に放射能に汚染されていたってすぐに死ぬわけじゃない、今誰かを助けるために必要なのだと。それはそうかもしれない。彼にとってまごうことなき正義である。このツイートは心にどっしりと残った。でも私は怖かった。自分が吸う空気が汚染されているかもしれないと不安だった。だから買わなかった。原発について知れば知るほど原発に反対だと思った。地震が起きるまで何も知らなかったくせに。自分が使う電力がどう供給されているのか考えたこともないのに。学校で習ったことは間違っていたけど、それを責めることはできない。一番悪いのは与えられた情報を何の疑いもなく信じ自分の頭で考えなかった自身である。
　もう1つは"Remember Pearl Harbor"という言葉だ。地震後あるアメリカ人が発言し後に謝罪していたように思う。毎年この日がくると"Remember Pearl Harbor"と頭をよぎる。アメリカにとって先の大戦は野蛮なjapを正義の力で成敗した誇りあるもののようだった。アメリカでリトルボーイやファットマンと呼ばれる爆弾は日本で原爆と呼ばれる。向こうではキーホルダーにもなっているらしい。真珠湾攻撃についても小学校のときアメリカは実は事前に知っていたという説もあると習った。だから自分の祖先を卑怯だとも思っていなかった。真珠湾攻撃を仕掛けた残虐な民族に罰が当たったのだろうか？原爆の正当化がパールハーバーによって主張されているように思った。

　ロシアとウクライナは今日も戦争を続ける。誰かの言う戦争反対が私にはロシアに攻撃をやめろと言うのと同義に聞こえた。戦争をやめるにはどうする？ウクライナにNATO加盟をやめろと言う？ロシアにNATOが勢力を広げウクライナに武器を大量流入しているけど攻撃しないから安心してくれと言おうか。どちらも難しいから戦争になっているのだ。
　ぼんやりしているとどんどん情報が入ってくる。ツイッターで母校の大学教授がこうツイートした。新宿にあるロシア料理店が嫌がらせを受けている、応援するために通販を利用しよう。そこは行ったことのあるお店だった。なるほどロシア料理を扱っているからといって危害を加えていいわけない。なにか買おうかとサイトを見る。このお店とは別かもしれないがロシア料理店で嫌がらせを受けたという話を思い出す。そこは店主がウクライナ人なのだという。ロシア人じゃないのにひどい、と。そうだろうか？店主がロシア人だろうとウクライナ人だろうと関係ない。ウクライナ人であることが何かの免罪符になるべきではない。
　日本のメディアはロシアが巨大な悪、ウクライナが被害を受ける弱者のように取り扱う。多くの人が同じ印象を持っているように感じる。ほんの少しBBCのニュースを見るだけでも見え方は変わる。独立を承認された2つの国家はその日にお祝いの花火を打ち上げた。私たちがウクライナを呼ぶとき、その2つの国は含まれているだろうか。誰もが戦争に反対しているのだろうか。プーチンの支持率は上がった。いつかのアメリカ政権と同じ。ある日本人が10億円をウクライナに寄付した。有事の際にお金は動くんだなと思った。そのお金は何に使われるんだろう。私は東日本大震災のとき、当時のバイト代の10分の1くらいの金額を赤十字に寄付した。祈るような気持ちだった。ウクライナへ寄付した場合、お金はウクライナを守るために使われるのか、ロシアを攻撃するために使われるのか私は分かっていない。
　正しい正しくないに関わらず力のあるものが支配する。それが人類の歴史だ。アメリカが中国はウィルス研究をしている、それがコロナの起源であると言えばそんな気がした。ロシアがウクライナでアメリカがウィルス研究をしていると言えば違う気がした。アメリカはいいけど（他国に在沖しても、原子爆弾を落としても、核兵器を開発しているテロ組織を滅させても）、お前はダメと言うのだろうか。加害の歴史は口を塞ぐ。私は一度も戦争反対と言わないまま日本の加害の歴史を調べている。ナチスがユダヤ人の財産を奪うこと。アーリア人だけではなく日本人もそうだ。自分が豊かになるために他者を踏みにじること。日本人が他国にしてきた歴史、残虐な殺戮、勝手に植民地化して言葉を奪い日本語教育を強いる。日本が裁かれた戦争犯罪を知るだけでも気持ちが悪くなってしまうが、裁かれていない事柄の方が多いと考えるとまたさらに鬱屈とした気持ちが生まれる。鬼畜米英だとかジャップだとか。何かを自分と違うと見なし相手を攻撃するのも繰り返してきたことだ。仮にウクライナを弱者の被害者であると仮定した場合、寄り添うためには自分はあまりにも加害者すぎ、当事者すぎるように思う。それが私に戦争反対と言えなくさせる。ロシアにとっての平和とウクライナの平和が一致しないのだから、どちらか片方の平和を祈ることはできない。
　自分が今ここに立っていることが誰かを踏みにじっているような気がしてならない。それは津波にさらわれた家々かもしれないし埋め立てられた沖縄の海かもしれない。あるいは731部隊で日本人に人体実験の末に殺された捕虜たちなのかもしれなかった。問題は誰か一人のせいではない。トルーマンでもヒトラーでもムッソリーニでも天皇陛下でも東條英機でもなく、プーチンやバイデンやゼレンスキーでもない。ウクライナの味方であるのとロシアを敵と見なすのは同じ意味か？何故日本は自国で軍隊を保有できない？プーチンは国際社会から孤立している？1933年に国際連盟を脱退したのはどこの国なのだっけ。原爆投下は/真珠湾攻撃は/ウクライナ侵攻は、アメリカの/日本の/ロシアの平和のために必要不可欠だった（？）。
　アフガニスタンにもソマリアの海賊にも家族はいたはずだ。ウクライナの子供が犠牲になったと心を痛めるのはメディアで目にしたから以外に理由があるのだろうか。原発事故が起きるまで何も知ろうとしなかった。ウクライナ侵攻までクリミア併合に関心を持たなかった。何かが一方的に突発的に生じることはなく、無関心で無責任でいた側にも要因はあるだろう。私はウクライナの被害状況を映像で見ても、同じようなことが日本の同盟国や日本の自衛隊が派遣された先の国々でも起きていたと想像せざるを得ない。自分の加害性に無自覚でロシアの攻撃にだけ心を痛める人を不思議に思う。