卒論 F. Scott Fitzgerald “The Great Gatsby”:ニックの否定的人物像について
序論
私は幼いころから読書が好きだった。しかしアメリカ文学を特別気に入っていたわけではない。私は自分で解釈しながらアメリカ文学を読み解き楽しむことができないからだ。では何故卒業論文のテーマに『グレート・ギャツビー(The Great Gatsby)』を選んだのか。アメリカ文学も読んでみれば、きっと面白いだろうという楽観的な予想からだ。3年次にアメリカ文学演習を履修したのも同じ理由である。もちろん『グレート・ギャツビー』を最初から最後まで読み通したこともなかった。作家・村上春樹はエッセイで度々『グレート・ギャツビー』について言及している。彼はこの作品をとにかく素晴らしいと絶賛し、さらには自分で翻訳までしてしまう。あの村上春樹がそこまで言うのなら素晴らしい作品なのだろうと思った。準備ゼミが始まるまでに読んでみたが、最初は全く面白いと思わずに、よく分からないという印象しか残らなかった。しかし、どうやらこの作品はアメリカ文学を代表する一作でもあるようだし、卒業論文のテーマにしてじっくりと読んでみたら私にもその面白さが分かるかもしれない、と考えた。授業で何度かアメリカ文学を読んだことがあるが、最初はよく理解できずつまらないとさえ感じていた。しかしパズルを解くように、当時のアメリカの時代背景や人種観などを踏まえ様々な角度から読み進めると、物語が何倍、何十倍にも膨らむのである。そこが面白いと思った。だから『グレート・ギャツビー』でもそれができると思った。
『グレート・ギャツビー』は1925年にアメリカの作家スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald)によって執筆された。物語の語り手であるニックがギャツビーを主人公とし、彼との思い出を振り返る形式である。ニックはたまたまギャツビー邸の隣に引っ越してきて、彼の豪華な屋敷と繰り広げられるパーティーに驚かされる。ギャツビーが大金持ちとなりその屋敷を建てたのは、彼のかつての恋人でありニックの親戚であるデイジーのためであった。何故ならギャツビーは五年という歳月をなかったことにし、既に結婚して子供も産んだデイジーを取り戻そうとしているからである。ニックはギャツビーに協力するが、彼の夢は叶わない。そしてギャツビーは最後には誤解を受けたまま殺されてしまい、彼の人生は終わってしまった。
本論文では主人公ギャツビーではなく、ギャツビーをThe Great Gatsbyと称しわざわざ小説を書く、語り手ニックを中心に考えていきたい。まずニックの人となりやギャツビーとの関係の築き方について考察したあと、語り手としてのニックについて論じたい。
第一章では語り手ニックの生い立ちや家族との関係、そして今まで人とどう関係を築いてきたのかということを論じる。そのために中西部から東部にでてきたニックの目的とトムとデイジー達との関わりについて触れてゆく。第二章では主人公ギャツビーと出会うことによってニックの人に対する視線に変化が生じるのかを考えていく。そしてギャツビーの夢とは何か、その夢は叶えられるのかという問題について考える。さらに第三章ではギャツビーの死に対するニックの行動と彼らの「友情」について論じる。最終的にニックはトムやデイジー達よりもギャツビーにこそ価値があるとの判断をくだすことになる。第四章ではニックは語り手として信用できないのではないかという点について論じ、彼の言動の矛盾と彼の自己認識の甘さについて触れていきたい。結論ではこれまでの議論を振り返ったあとで、最後にニックの語り手としての信用性とギャツビーとの関係について考えてみたい。
第一章 ニックの人物像
小説『偉大なるギャツビー』で語り手の役割を果たしているニック・キャラウェイは、彼自身の説明によると、中西部にある金物屋の息子として誕生した。
My family have been prominent, well-to-do people in this Middle Western city for three generations. The Carraways are something of a clan, and we have a tradition that we're descended from the Dukes of Buccleuch, but the actual founder of my line was my grandfather's brother, who came here in fifty-one, sent a substitute to the Civil War, and started the wholesale hardware business that my father carries on to-day.(4)
この中西部の町にあって、わが家は三代続いて栄えている。キャラウェイ家と言えばちょっとした名門で、バックルー公爵の流れを汲むという言い伝えもあるのだが、はっきりわかっているのは一八五一年に町へ来た祖父の兄が、南北戦争には代役に出征させておいて、金物の卸販売を始めたということだ。いまは私の父が家業を継いでいる。
ニックは自分の家を「ちょっとした名門」であると語り、自らの由緒あるルーツを誇りにしている様がうかがえる。家業を継いでいる父から、幼いニックはこんなアドバイスをもらう。これが後のニックの基本的な人間観となる。
In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind ever since.
"Whenever you feel like criticising any one," he told me, "just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you've had." He didn't say any more, but we've always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that. In consequence, I'm inclined to reserve all judgments, a habit that has opened up many curious natures to me and also made me the victim of not a few veteran bores. (2)
まだ大人になりきれなかった私が父に言われて、ずっと心の中で思い返していることがある。
「人のことをあれこれ言いたくなったら、ちょっと考えてみるがいい。この世の中、みんながみんな恵まれてるわけじゃなかろう」
父はそれしか言わなかったが、もともと黙っていても通じるような親子なので、父が口数以上にものを言ったことはわかっていた。その結果が尾を引いて、いまでも私は何かにつけ判断を差し控えるところがある。
父の言葉をしっかりと受けとめたニックは「判断を差し控える」人間を目指す。さらには「私がイエール大学を出たのは一九一五年である。つまり四半世紀の差で父の後輩になった。(I graduated from New Haven in 1915, just a quarter of a century after my father.)」(4)とあるように、彼は父が卒業した大学で学ぶことを選択することになる。在学中、父の後輩となったニックのもとには様々な人が寄ってくる。
The abnormal mind is quick to detect and attach itself to this quality when it appears in a normal person, and so it came about that in college I was unjustly accused of being a politician, because I was privy to the secret griefs of wild, unknown men.(1)
そうなると、おかしな人間がやって来て自身をさらけ出そうとする。ありきたりの内緒話に延々とつきあわされたことも一度や二度ではない。普通の人間が態度を保留していると、普通ではない人間がめざとく寄りついてくるということだ。おかげで大学時代などには、とんでもない連中の内面の悲しみまで知ってしまい、なかなか食えない策士だと評されもした。
このようにニックは自ら進んで近寄らずとも「おかしな人間」が自分のもとに寄ってきたのだと語る。しかし、「おかしな」「普通ではない」との人物評価は、実は彼が判断をしていることを示している。その判断を表に出さないわけなので、寛大に人を受けとめる印象を周りに与えたかも知れないが、内々はむしろ人を見切ることを得意としていたと言えるかもしれない。
ニックは大学卒業後の一九一八年の六月まで、第三師団の第九機銃大隊に所属していた。復員した後に、ニックは故郷中西部から東部を目指す。
Instead of being the warm centre of the world, the Middle West now seemed like the ragged edge of the universe ---- so I decided to go East and learn the bond business. Everybody I knew was in the bond business, so I supposed it could support one more single man. (4)
のほほんと世界の中心のように思っていた中西部は、もはや辺境の荒れ地としか見えなくなって、こうなったら東部へ出て証券取引でも覚えようと考えた。みんなが行きたがる大人気の業界で、男一人なら新規参入で食っていく余地はあるだろうという計算だ。
今まで中西部が世界の中心だと考えていたが、東部こそが中心であると考えを改める。そして父からの一年間の援助の約束を取り付け証券の道へ進む。彼は由緒ある家業を継がずに、故郷をでる選択をするのだ。
ただニックの東部行きには他の理由もあった。彼には結婚を噂される女性がいたようなのだ。
Of course I knew what they were referring to, but I wasn't even vaguely engaged. The fact that gossip had published the banns was one of the reasons I had come East. You can't stop going with an old friend on account of rumors, and on the other hand I had no intention of being rumored into marriage.(15)
もちろん私にも心当たりはあった。しかし、どう間違っても、婚約はしていない。あらぬ噂を立てられたことも、東部へ出たくなった理由なのだ。噂になったからといって、そのために昔から知っていた人との付き合いを断つわけにはいかず、さりとて噂のとおりに結婚しなければならないと考えたくもない。
付き合いを断つことも結婚することもできないニックは、東部へ逃げるという手段をとったわけだが、彼の女性についての「判断」とも呼べないコメントを見ると、彼の人間を見る視点が実のところ善意や好意に基づくものでないことが読み取れる。
But I am slow-thinking and full of interior rules that act as brakes on my desires,and I knew that first I had to get myself definitely out of that tangle back home. I'd been writing letters once a week and signing them : "Love, Nick," and all I could think of was how, when that certain girl played tennis, a faint mustache of perspiration appeared on her upper lip. Nevertheless there was a vague understanding that had to be tactfully broken off before I was free. (39)
だが私との関係においては、ある方向転換を思いついたようだ。それにまた故郷に置いてきたしがらみを抜けなければ、如何ともしがたいのだった。いまなお週に一度は手紙を出して、「ニックより」と結ぶ前に「ラブ」と書いたりもしていたのだ。たしかに脳裏に浮かぶことと言えば、あの娘はテニスをすると鼻の下がうっすら汗ばんでいた、という程度のことでしかなかったが、そのくせ何とはなしに心の中で決めていることがあって、それを振り捨てる手立てを講じなければ、自由の身とは思えなかったのである。
ニックは婚約を噂された女性へ週に一度は手紙を出しているものの、彼女の鼻の下の汗くらいのことしか思い出していない。このことから、彼はつきあっている女性に対しても、忍耐(彼は我慢してつきあっている)の影に、皮肉や冷徹さをひそませているのである。
そうしてニックは「一九二二年の春(in the spring of twenty-two)」(4)に東部へやってくる。引っ越しをして身の回りの整理が済んだニックは、まずデイジーとトムに会いに行く。デイジーは親戚筋でトムとは大学時代の友人であった。前述したようにニックは、人の方が自分に寄ってくると述べているのだが、トム達に対しては自ら進んで寄っていくのだ。ニックは証券の仕事で自立するために東部へでてきたと述べているが、それを機会に、デイジー達のような上流階級の人間と交わることを願っていたのかも知れない。しかし、自分からわざわざ会いにいく友人のことをニックはこうも語っている。
Her husband, among various physical accomplishments, had been one of the most powerful ends that ever played football at New Haven ---- a national figure in a way, one of those men who reach such an acute limited excellence at twenty-one that everything afterward savors of anti-climax.(6)
トムはスポーツ万能の男だが、とりわけフットボールでは大学史に残る強力なエンドとして活躍した。全米に名を馳せたと言ってもよい。ああして二十歳を出たくらいで行き着くところまで行ってしまうと、あとは下り坂の気味をまぬがれないという例は多かろう。
ニックは友人の未来を「下り坂」と評し、「実家が大金持ちだったのは確かで、学生の頃から金離れがよすぎて非難の声さえも聞こえていた(His family were enormously wealthy ---- even in college his freedom with money was a matter for reproach)」(6) と続けている。友人を語るにしては、意地悪な目線だといえるのではないだろうか。さらにトムの容姿の描写からもニックの皮肉な視線がみてとれる。
Now he was a sturdy straw-haired man of thirty with a rather hard mouth and a supercilious manner. Two shining arrogant eyes had established dominance over his face and gave him the appearance of always leaning aggressively forward. Not even the effeminate swank of his riding clothes could hide the enormous power of that body ---- he seemed to fill those glistening boots until he strained the top lacing, and you could see a great pack of muscle shifting when his shoulder moved under his thin coat It was a body capable of enormous leverage ---- a cruel body. His speaking voice, a gruff husky tenor, added to the impression of fractiousness he conveyed. There was a touch of paternal contempt in it, even toward people he liked ---- and there were men at New Haven who had hated his guts.(7)
麦わら色の髪をして、口元の表情が厳しく、人を人とも思わない態度が見える。ぎろりと睨めつける双眼が顔立ちを決めていて、不敵に迫る面構えと言うほかはなかった。着ている乗馬服はこれが男物かと思うほどに洒落ているが、はちきれそうな肉体の力は隠しようがない。つややかなブーツは編み上げた紐の最上部まで張りつめている。肩のあたりの隆々たる筋肉の動きが、薄手の上着を通して目に見えるようだ。威力満点と言おうか、容赦なく逞しい身体なのだった。また、しゃがれ気味に突き抜けてくる高調子の声が、ただでさえ欄の強そうな印象を強めていた。なんだか頭ごなしに叱られているような気がする。親しいはずの相手にもそう思わせるのだから、大学では徹底して嫌われたこともあるようだ。
ニックはトムについて、彼らしくはっきりした意見を述べている。ただしその内容は、辛辣であり、厳しすぎるようにみえる。ニックは内心では、このようにトムを厳しく判断をしているが、二人の関係がどのようなものか分かる会話がある。
"What you doing, Nick? "
"I'm a bond man."
"Who with?"
I told him.
"Never heard of them," he remarked decisively.
This annoyed me.
"You will," I answered shortly. "You will if you stay in the East." (9)
「いま何してるんだ、ニック」
「株屋だよ」
「どこの社だ」
私が答えると、
「聞いたことないな」と切り捨てる。
あまり愉快ではない。
「いずれ聞くさ」私も無愛想な口をきいていた。「東部にいれば聞くだろう」
トムは友人が働いている会社を尋ね、あっさりと「知らない」と言い放っている。大学では「おかしな」人たちに対して優位だったニックであるが、この会話ではトムの方が優位に立っていることが分かる。経済的に優位に立つ友人が、その優越感を露骨に見せたからといってニックは驚きはしなかっただろうが、内心低い評価しかしていない男にこういう扱いをされかねないにもかかわらず、なぜ彼はこの訪問をすることにしたのだろうか。
実際わざわざトムに会いにきたのにも関わらずニックはあまり楽しそうではない。それでもニックがトムと友人であり続けるのには理由がある。デイジーを妻としているからだ。ニックが会いたかったのは、大学時代からの友人であるトムではなくデイジーなのだ。デイジーはニックをこう出迎える。「ああ、うれしい。うれしくて身体が麻揮しちゃったみたい(I'm p-paralyzed with happiness)」(8)このわざとらしいもてなしの言葉を、ニックはそのままに受け取る。「誰よりも会いたい人が来てくれたと言っているようにさえ思える(promising that there was no one in the world she so much wanted to see)」(8)のだ。ニックはトムへ厳しく鋭い視線を持っているが、デイジーへは対照的にとことん甘い視線を持っている。つぶやくように小さな声で話すデイジーに対しては、
I've heard it said that Daisy's murmur was only to make people lean toward her; an irrelevant criticism that made it no less charming. (8)
これは聞く人が身を乗り出したくなるように仕向けているのだという説もある。もちろん邪推には違いないが、そうだとしても、なかなか魅力のあるしゃべり方になっていた。
と、その魅力を素直に認めている。ここで後の恋人となるベイカーと初めて出会うがニックは、彼女にはほとんど関心を向けず、もっぱらデイジーの声に聴き入っている。
I looked back at my cousin, who began to ask me questions in her low, thrilling voice. It was the kind of voice that the ear follows up and down, as if each speech is an arrangement of notes that will never be played again. Her face was sad and lovely with bright things in it, bright eyes and a bright passionate mouth, but there was an excitement in her voice that men who had cared for her found difficult to forget : a singing compulsion, a whispered "Listen," a promise that she had done gay, exciting things just a while since and that there were gay, exciting things hovering in the next hour. (8)
私はデイジーに目を戻した。あの心ときめく低い声音が、あれこれ私に尋ねようとしている。耳をすまして音程をたどりたくなる声だった。デイジーが何を言うにつけても、まるで一度しか演奏されない音楽のように聞こえた。その顔はというと、悲しげに愛らしくて、明るいものがある。つまり目は輝いているし、口元にも情熱の輝きがある。だが、デイジーに肩入れしたい男として、忘れがたい感興をそそられるのは声だった。歌のように聞き手を突き動かす。「あのね」と、ささやかれるだけで、たったいま浮き浮きすることがあったばかりで、すぐにまた浮き浮きすることがあるはずだ、と思えてくる。
親戚の女性を語るというよりは、まるで愛しい恋人を語るかのようだ。デイジーの声に強い魅力を感じていることがよく分かる。ニックはデイジーを語るとき、とにかくその声にこだわり続ける。
As if his absence quickened something within her, Daisy leaned forward again, her voice glowing and singing.
"I love to see you at my table, Nick. You remind me of a ---- of a rose, an absolute rose. Doesn't he ?" She turned to Miss Baker for confirmation : "An absolute rose ?"
This was untrue. I am not even faintly like a rose. She was only extemporizing, but a stirring warmth flowed from her, as if her heart was trying to come out to you concealed in one of those breathless, thrilling words.(11)
いなくなったのを幸いに、デイジーは何か思いつくことでもあったのか、ふたたび身を乗り出してきた。明るく歌うような声を出す。
「あなたが来てくれてよかった。だって、その――バラみたいなんだもの。ニックって絶対にバラよ。そうでしょ?」と、ミス・ベイカーに同意を求めて、「絶対、バラよね?」
もちろん、そんなはずはない。私とバラでは似ても似つかないだろう。デイジーとしては食卓の会話を弾ませているだけのことだ。だが、息せききって語ろうとする出まかせのどこかには純な意図がひそんでいるような、あたたかく伝わるものがあった。
明るく歌うような声を持つデイジーの客を喜ばせるためのサービスと気がつきながら、それでもニックはそれを肯定しようという様子がみてとれるのである。婚約を噂された女性への描写とは対照的に、デイジーの声の魅力や可愛らしさをそのままに受け止めている。
この章ではまずニックが「判断を差し控える」と言いながらも、実際は判断をくだしている様をみてきた。彼の持つ視線は、皮肉さや意地悪さを秘めたものであった。大学時代には、周りの「おかしな」人間が寄ってきていた彼だが、トム達のような超上流階級の人間には自ら寄っていくのである。ニックのトムに対する厳しい視線とデイジーへの甘い視線は実に対照的である。また、婚約を噂された女性への思いも淡泊なものであった。中西部から東部へでてきた彼の厳しく意地悪な視線は、これからトム達のような超上流階級の人間たちと、どのように関わっていくのか。そしてニックの第三者に対する視線とはどのようなものなのか、第二章で論じていきたい。
第二章 ギャツビーとの関係の進展
ある夏の夜、ニックはパーティーに招待されギャツビーと初めて会うことになる。
He smiled understandingly ---- much more than understandingly. It was one of those rare smiles with a quality of eternal reassurance in it, that you may come across four or five times in life. It faced ---- or seemed to face ---- the whole eternal world for an instant, and then concentrated on you with an irresistible prejudice in your favor. It understood you just so far as you wanted to be understood, believed in you as you would like to believe in yourself, and assured you that it had precisely the impression of you that, at your best, you hoped to convey.(32)
ギャツビーの顔が笑った。すっかり心得た人の顔――いや、それどころではない、どこまでも安心させてくれる表情だ。こんな笑顔に出会えることは一生のうちに四回か五回もあるだろうか。まず外界をしっかり見た顔が、その見てとった世界から絞り込んで、こっちだけ見ていてくれるというような、格別のありがたみがある。こちらの自意識のままに、見てほしいと思うとおりに見られていて、最も好ましい印象として伝わっていると思わせてくれる顔だった。
ニックはギャツビーの第一印象を語る際、その笑顔のすばらしさをとりわけ強調する。特に皮肉や辛辣ぶりが目立つ鋭い人間観察の目を持つニックが、彼の外面的印象だけで肯定的な「判断」をくだすとは思えないが、滑り出しの印象は上々だったと言えるだろう。そしてニックは、ジョーダンからギャツビーの夢物語の全貌を聞く。彼女は一九一七年にギャツビーとデイジーが恋人同士であったことを説明する。その二人が入り江を挟んだ対岸に住んでいるという話にニックは驚く。
"It was a strange coincidence," I said.
"But it wasn't a coincidence at all."
"Why not?"
"Gatsby bought that house so that Daisy would be just across the bay." (50)
「そういう偶然もあるんだね」
「ところが偶然じゃないのよ」
「じゃない?」
「ギャツビーは、わざわざあの家を買ったの。入り江をはさんでデイジーと向き合う位置だから」
これを聞いて最初彼を見かけたときのことを思い出し、ギャツビーの人物像への認識を一歩進めるのである。
Then it had not been merely the stars to which he had aspired on that June night. He came alive to me, delivered suddenly from the womb of his purposeless splendor.(51)
ということは、あの六月の夜、ギャツビーが遠くに望んでいたのは、空の星だけではなかったのか。そう思ったら、この男が急に人間らしく感じられた。無目的な栄華に埋もれているだけではない。
あの六月の夜、ギャツビーは空の星ではなく入り江の向こうにいるデイジーに思いをはせて遠くを眺めていたのである。その夜のニックの回想はこうある。
But I didn't call to him, for he gave a sudden intimation that he was content to be alone ---- he stretched out his arms toward the dark water in a curious way, and, far as I was from him, I could have sworn he was trembling. Involuntarily I glanced seaward ---- and distinguished nothing except a single green light, minute and far away, that might have been the end of a dock. When I looked once more for Gatsby he had vanished, and I was alone again in the unquiet darkness.(16)
ところがギャツビーに急な動きがあった。このまま一人になっていたいように見える。腕を広げて暗い海へ突き出した様子が、あまり普通ではない。離れていた私からでも、小刻みにふるえていることはわかった。つい私も海に目を向けていた。ぽつんと緑色の光が見えるだけだ。遠くの一点でしかない。桟橋の突端でもあるのだろうか。私がギャツビーに目を戻そうとすると、その姿は消えていた。ふたたび私はざわめく夜の聞に一人なのだった。
生きる上での苦労とはまったく無縁な大金持ちに見えていたギャツビーが、実はその豪奢な暮らしの影に愛情をめぐる苦悩をかかえていたと知り、ニックはギャツビーを「人間らしく」感じる。自分も密かに好意を持つデイジーを、常識を超えたかたちで自分のものにしようとするギャツビーに、共感のようなものを感じ始めることになる。
"He wants to know," continued Jordan, "if you'll invite Daisy to your house some afternoon and then let him come over."
The modesty of the demand shook me. He had waited five years and bought a mansion where he dispensed starlight to casual moths so that he could "come over " some afternoon to a stranger's garden.(51)
「そんなわけで―――」と、ジョーダンは先を言った。「あなたの家にデイジーを呼んでもらえないかつて一言うのよ。午後のひとときという設定で、ギャツビーも来合わせることにする――」
これはまた、ずいぶん遠慮したものだ。いままで五年も待った上で、豪邸を買い、星の光をばらまくほどの誘蛾灯をつけたのだろう。そこまでしておいて、ひとの庭先へ午後のひとときに「来合わせる」だけで本望なのか。
ジョーダンにこのように言われて、ニックはギャツビーのデイジーと「来合わせる」という願いを叶えるべく協力する。ニックはデイジーを自分の家に招待し、ギャツビーと再会させることに成功する。デイジーは自分のために大金持ちとなったギャツビーに対しこう言う。
"They're such beautiful shirts," she sobbed, her voice muffled in the thick folds. "It makes me sad because I've never seen such ---- such beautiful shirts before.(59)
「だってシャツがこんなにきれいなんだもの」折り重なる生地に口をふさがれて、くぐもった泣き声になった。「悲しくなるのよ。こんな――こんなきれいなシャツ、見たことないんだもの」
デイジーはギャツビーに対し、自分のためにここまでしてくれるなんて、という直接的な表現はしない。シャツが綺麗だと涙を見せることが、彼女なりの表現なのだ。ギャツビーの五年間の努力はニックの協力により見事に実ったのである。
ギャツビーとデイジーの関係が深まると同時に、ギャツビーとニックの関係も変化していく。ニックは初め、ギャツビーをうさんくさい大金持ちだと感じていたが、デイジーへの好意に共感し、友情に近い気持ちが芽生え始めた。以下のトムとの会話からもそれが見てとれる。
"Who is this Gatsby anyhow ?" demanded Tom suddenly. "Some big bootlegger ?"
"Where'd you hear that ?" I inquired.
"I didn't hear it. I imagined it. A lot of these newly rich people are just big bootleggers, you know."
"Not Gatsby," I said shortly.
He was silent for a moment. The pebbles of the drive crunched under his feet. (69)
「ところでギャツビーとは何者だ」と、トムが出し抜けに言った。「密造酒の親玉か?」
「そんな話、どこで聞いた?」
「聞きゃしないさ。そんなもんじゃないかと思った。いまどきの成金は、そういう手合いだろ」
「ギャツビーは違う」私もぞんざいな口をきいた。
トムは、すぐには応じなかった。足元の砂利がきしんだ。
このようにニックはトムからギャツビーを庇っている。ニックの人に対する厳しい視線から考えると、ギャツビーへの人物評価は好意的なものだと言える。その様子はデイジー達が帰った後の場面でも確認できる。
"She didn't like it," he said immediately.
"Of course she did."
"She didn't like it," he insisted. "She didn't have a good time."
He was silent, and I guessed at his unutterable depression.
"I feel far away from her," he said. "It's hard to make her understand."
"You mean about the dance ?"
"The dance ?" He dismissed all the dances he had given with a snap of his fingers. " Old sport, the dance is unimportant."(70)
「デイジーは喜んでいなかった」と、前置きもなしに言う。
「そんなことはない」
「いや、そうなんだ。ちっとも楽しんでいなかった」
しばらく黙ったので、これは言いようもなく沈んでいると思われた。
また口をきいて、「すっかり距離ができてしまった。わかってもらえそうにない」
「ダンスがうまくいかなかった?」
「え?」ギャツビーは中指を鳴らして、そんなことではないと打ち消した。「ダンスなんてのは、どうでもいいのであってね」
デイジーはパーティーを喜んでいなかったのだろうか。ニックの語りによると「だが、そのほかはデイジーにとって気に入らないことばかりだったようだ。どこがどうというより、とにかく合わないのだから仕方がない(But the rest offended her ---- and inarguably, because it wasn't a gesture but an emotion)」(69)とあるので、ギャツビーが落ち込むのも無理はない。それでも「そんなことはない」というニックの言葉はギャツビーへの共感がそれを言わせているのではないだろうか。
このときにギャツビーは恋人同士だったころのデイジーとの思い出をニックに語る。
He talked a lot about the past, and I gathered that he wanted to recover something, some idea of himself perhaps, that had gone into loving Daisy. His life had been confused and disordered since then, but if he could once return to a certain starting place and go over it all slowly, he could find out what that thing was . . . . (71)
ギャツビーは過去について舌がなめらかになった。聞いている私には、何か取り戻したいものがあるのかと思えた。おそらく自己認識というようなものだろう。それがデイジーを愛することに関わっていたようだ。デイジーを愛して以来、ギャツビーの人生に乱れが生じ、行くべき道に迷ったのだが、いまからでも、どこか出発点らしきところへ戻って、じっくり慎重にやり直せば、その取り戻したいものが見つかると思うらしい……
大金持ちになって成功するという野望を抱いていたギャツビーは、道をそれてデイジーとの恋愛にのめりこんでしまったのだ。ギャツビーがやり直し、取り戻したいものは五年前のデイジーであり、それを叶えようとしている。
He wanted nothing less of Daisy than that she should go to Tom and say: "I never loved you." After she had obliterated four years with that sentence they could decide upon the more practical measures to be taken. One of them was that, after she was free, they were to go back to Louisville and be married from her house ---- just as if it were five years ago.(70)
つまりギャツビーとしては、デイジーがトムの前へ行って「愛したことなどない」と言うのでなければならない。そうやって三年分の時間を抹消してくれたら、これからの現実をどうするかという相談もできるだろう。ひとつ考えられる方法は、彼女が自由の身になったら、まずルイヴイルの実家へ連れ戻して、あらためて――まるで五年前に戻ったように――結婚することだ。
不可能なことであるが、ギャツビーは過去を取り戻したい。デイジーが前は分かってくれたのに今は分かってくれないと悩むギャツビーに、ニックはここで初めて彼の野望について意見を言う。これまで間接的に庇ったり直接慰めたりしてきたニックだが、直接意見を言うのは初めてのことだ。
"I wouldn't ask too much of her," I ventured.
"You can't repeat the past."
"Can't repeat the past ?" he cried incredulously. "Why of course you can !" (70)
「デイジーに無理な注文をするのもどうだろうね」と、私はあえて口出しめいたことを言った。「過去を繰り返すことはできない」
「できない?」ギャツビーには心外のようだ。「できるに決まってるじゃないか!」
これまでギャツビーの野望のために協力をするだけで傍観者的だったニックだが、口出しをするなど能動的にギャツビーに関わり始める。ギャツビーの願いを叶えようと協力しつつも諦めるように助言しているニックはむしろ、ギャツビーのことを思ってなだめようとしているのではないだろうか。
自分の口出しをまったく相手にしないギャツビーに対し、ニックはどう関わっていくのだろう。彼は「ギャツビーに対する関心が、いやが上にも高まっていた(It was when curiosity about Gatsby was at its highest )」(71)と、関心を持ち続けている。ギャツビー邸に灯火がなかったある日には、「私はギャツビーが具合でも悪くしたかと思って行ってみた(Wondering if he were sick I went over to find out)」(71-72)と、心配して自分から尋ねに行く。屋敷の灯火が点かなかったのは、ギャツビーがデイジーのために使用人を入れ替えていたためであった。このようにニックはギャツビーに関心を持ち続け、心配している様子から彼らの距離は縮まっていることが分かる。
ニックとギャツビー、トム、デイジー、ジョーダンの五人でホテルのスイートルームに集まった日に、彼らの関係は大きく変わることになる。ここでトムはギャツビーとデイジーの関係を疑い、ギャツビーを質問責めにする。
Gatsby's foot beat a short, restless tattoo and Tom eyed him suddenly.
"By the way, Mr. Gatsby, I understand you're an Oxford man."
"Not exactly."
"Oh, yes, I understand you went to Oxford."
"Yes ---- I went there."
A pause. Then Tom's voice, incredulous and insulting:
"You must have gone there about the time Biloxi went to New Haven."
Another pause. A waiter knocked and came in with crushed mint and ice but the silence was unbroken by his "thank you " and the soft closing of the door. This tremendous detail was to be cleared up at last.
"I told you I went there," said Gatsby.
"I heard you, but I'd like to know when."
"It was in nineteen-nineteen, I only stayed five months. That's why I can't really call myself an Oxford man."
Tom glanced around to see if we mirrored his unbelief. (82)
ここでギャツビーの足がこつこつとフロアに鳴って、トムがじろりと目を向けた。
「それはそうと、ギャツビーさん、たしかオックスフォードのご出身でしたな」
「出身とまで言えるかどうか」
「おや、そのように聞いてますよ」
「まあ――行っています」
はたと沈黙。それからトムが、うさんくさいと言いたげな声色で―――
「つまりピロクシーがイエールへ行ったと称するようなものか」
ふたたび沈黙。ちょうどウェーターがノックをして、ミントの葉と砕いた氷を運び入れ、サンキューと言ってから、そっとドアを閉めて出て行ったのだが、この場の静けさを破ったというほどではない。ついに大きな疑問点が解消されようとしているのだ。
「行ったと申し上げた」と、ギャツビーは言った。
「そうなんだが、いつ行ったのか伺いたいものだ」
「一九一九年でした。たったの五カ月なのですよ。だからオックスフォードの出身とまでは言いにくいのです」
トムは周囲に目を走らせた。
トムの厳しい詰問をギャツビーは受け流そうとしている。ニックは「私としては、立っていって、ばん、と背中をたたいてやりたい気分だった。やっぱりギャツビーだ、ご名答ではないかと思って、この男を見直していた(I wanted to get up and slap him on the back. I had one of those renewals of complete faith in him that I'd experienced before)」(82)と語り、トムよりギャツビーの味方になる。ニックのギャツビーに対する視線は、以下のトムに対する皮肉な見方と比べるとコントラストが明確である。
"I know I'm not very popular. I don't give big parties. I suppose you've got to make your house into a pigsty in order to have any friends ---- in the modem world."
Angry as I was, as we all were, I was tempted to laugh whenever he opened his mouth. The transition from libertine to prig was so complete.(83)
「そりゃあ、俺は人に好かれてやしないさ。派手なパーティをするわけじゃないからな。いまの世の中、うっかり人を集めたら、豚小屋も同然になってしまう」
はたで聞いていても腹が立つのだが、トムがものを言うたびに笑いたくなることも確かだった。愛人のいる男が家庭道徳を説くのだから、たいした変身ぶりである。
ニックはギャツビーよりトムとの付き合いの方が長いが、知り合って間もないギャツビーの側に共感を深めたゆえに、応援しているのである。ニックがギャツビーの味方となることは結果的にトムと対立する形になる。
ギャツビーは夢を叶えるために行動を進め、ついにトムにデイジーとの関係を告げる。
"Your wife doesn't love you," said Gatsby. "She's never loved you. She loves me."
"You must be crazy !" exclaimed Tom automatically.
Gatsby sprang to his feet, vivid with excitement.
"She never loved you, do you hear ?" he cried. "She only married you because I was poor and she was tired of waiting for me. It was a terrible mistake, but in her heart she never loved any one except me !"(83)
「奥さんは、あなたを愛したことなどない。この私を愛している」
「何を馬鹿な!」トムは思わず口走った。
ギャツビーは高ぶった精神もあらわに、すっくと立った。
「あなたを愛してはいなかった。そういうことだ」と、声を大きくする。「だが私に金がなくて、待ちきれなくなったから、あなたの妻になった。とんでもない間違いだったと言えるが、心の中にいたのは私だけだ!」
デイジーをトムと離婚させたうえで、自分と結婚させたいギャツビーは、デイジーが本当に愛していたのはトムではなく自分だと言い張る。もちろんトムは「なんだ――それだけのことか(Oh that's all.)」(84)と認めずに、ギャツビーの述べることとの違いを強調する。トムは自分こそデイジーを愛していると話し、対するデイジーの反応はこうある。
"You're revolting," said Daisy. She turned to me, and her voice, dropping an octave lower, filled the room with thrilling scorn:
"Do you know why we left Chicago? I'm surprised that they didn't treat you to the story of that little spree.(84)
「何なのよ、腹が立つ」と、デイジーは言った。私のほうへ顔を向け、次に発した声は一オクターブも低くなり、はらはらさせるような瑚弄の気分を発散していた。「どうしてシカゴを出てきたか知ってる?どれだけ羽目をはずしたことか、すごい話があったのよ。まだご存じないとしたら不思議だわ」
彼らがシカゴをでてきた理由は、トムの浮気によるものだった。自分を愛しているというトムに対しデイジーは彼の過去の浮気を持ち出す。二人の会話は続く。
"Not at Kapiolani ?" demanded Tom suddenly.
" No."
From the ballroom beneath, muffled and suffocating chords were drifting up on hot waves of air.
" Not that day I carried you down from the Punch Bowl to keep your shoes dry ?" There was a husky tenderness in his tone. "Daisy ?"
"Please don't." Her voice was cold, but the rancor was gone from it.(84)
「カピオラニ公園でもそうだったのか?」トムはいきなりハワイ旅行の話を持ち出した。
「そう」
下の舞踏場から、くぐもった和音が、熱波のような空気に乗ってせり上がる。聞いていると息が詰まりそうだ。
「パンチボウルの丘を下りたときもか?靴が濡れないように、抱きかかえて歩いてやったじゃないか」トムはかすれた声にやさしさをにじませる。「……なあ、デイジー」
「言わないで」冷ややかな声だが、さっきほど尖ってはいない。
ギャツビーの告白も虚しく、二人は自分たちの世界に入り込んでしまっているようだ。デイジーにとって、ギャツビーとの関係はトムの浮気の腹いせであったといえるだろう。デイジーは結局トムの愛情を試したかっただけなのである。
"Oh, you want too much !" she cried to Gatsby.
"I love you now ---- isn't that enough? I can't help what's past." She began to sob helplessly. "I did love him once ---- but I loved you too."(84)
「もう、欲張りなんだから!」と、今度はギャツビーに向けて声を大きくした。
「いまのわたしは、あなたを愛してる。それだけじゃだめなの?いまさら過去は変えられないのよ」これだけ言うと、泣きだすしかなかった。「あの人を愛したこともあるの――だけど、あなたも好きだった」
前述したように、ギャツビーとニックは以前に過去は繰り返すことができるかどうかという議論をしていた。皮肉にもここでデイジーが「過去は変えられない」との答えをだしている。それを裏付けるように、トムも「まあ、言っとくが、俺とデイジーにはいろんなことがあった。あんたにはわからない。俺たちには大事な思い出だ(Why ---- there're things between Daisy and me that you'll never know, things that neither of us can ever forget)」(85)と話す。ギャツビーのいないところで、二人は過ごした時間があり関係を築いてきたのである。そしてギャツビーとデイジーは先に帰ることになる。そして、ニックとトムとジョーダンが残った。
Human sympathy has its limits, and we were content to let all their tragic arguments fade with the city lights behind. Thirty ---- the promise of a decade of loneliness, a thinning list of single men to know, a thinning brief-case of enthusiasm, thinning hair.(87)
人間が他者に共感してやれる能力には限度がある。さっき聞かされた悲しい議論など、いま出ようとする都会の灯に溶け込ませておけばよい。三十歳――わびしい十年の入口なのだろう。つきあえる独身男の数が減り、手持ちの情熱が減って、髪も減る。
ギャツビーの夢が砕け散ったこの日は偶然にもニックの誕生日であった。ニックは自分も協力した恋愛が終わりを告げたことを「悲しい議論」と片付けてしまっている。
この章では「判断を差し控える」はずのニックが第三者であるギャツビーをどう判断するのかをみてきた。ニックは人に対し皮肉や辛辣ぶりを発揮していたがギャツビーには好意的であり、さらにはデイジーとの関係を築くべく協力してきた。その理由としては、ギャツビーの夢を叶えるための強い執念に共感を持ったことと、ニック自身もデイジーの可愛らしさを感じていたためにギャツビーの気持ちを理解できたためだと考えられる。しかし過去を取り戻すというギャツビーの夢は叶わずに終わってしまったのである。
第三章 ニックの認識の変化
デイジーがマートルを轢き殺してしまうという悲劇により、たった一晩で全てが変わってしまった。ギャツビーはニックに事故をこう説明する。
"Anyhow ---- Daisy stepped on it. I tried to make her stop, but she couldn't, so I pulled on the emergency brake. Then she fell over into my lap and I drove on. "(92)
「ま、ともかく――デイジーはアクセルを踏んでしまった。私はどうにか止まらせようとしたんだが、止まれなくなったらしいので、私がサイドブレーキをかけた。そうしたらデイジーが私の膝へ倒れ込んできて、あとは運転を代わってやったのです」
デイジーはマートルがトムの愛人だとは知らないが、偶然にも夫の愛人を殺してしまったのである。ギャツビーは「もちろん私だったと言うつもりです(but of course I'll say I was)」(92)と、デイジーの罪を被るつもりだ。ギャツビーはまだ、もはやデイジーが自分の手に届かないところにいるという事実に向き合えないでいるのである。
He put his hands in his coat pockets and turned back eagerly to his scrutiny of the house, as though my presence marred the sacredness of the vigil. So I walked away and left him standing there in the moonlight ---- watching over nothing.(93)
両手を上着のポケットに突っ込んで、また屋敷に向かい、じっと見つめる態勢に入った。この神聖なる徹夜の儀式に、私などがいたら邪魔になるということか。もう私は立ち去ることにした。ギャツビーは月夜に立ちつくし、見張りにもならない見張りをしていた。
トムからデイジーを守るために、ギャツビーは一晩中見張りをする。しかしニックの語るとおり、トムはデイジーを傷つけるはずがないので見張りの意味はない。
そしてニックは夜明け前に「あの男に言っておくことがある。あらかじめ知らせるべきことであって、朝になってからでは遅いのだ(I felt that I had something to tell him, something to warn him about, and morning would be too late)」(93)と起き上がる。このときにニックはギャツビーの昔話をじっくりと聞くが、朝がきて仕事に行かねばならない時間がきてしまう。
I didn't want to go to the city. I wasn't worth a decent stroke of work, but it was more than that I didn't want to leave Gatsby. I missed that train, and then another, before I could get myself away.(98)
だがニューヨークへ行くのは気が進まなかった。きょう出勤してもろくな仕事はできそうにないが、それよりもギャツビーを放っておけなかった。電車を一本、二本と逃してから、ようやく腰を上げた。
夢が砕け散ったことを受け入れられないギャツビーを、ニックは一人にしておけないと語る。
"They're a rotten crowd," I shouted across the lawn. "You're worth the whole damn bunch put together. "
I've always been glad I said that. It was the only compliment I ever gave him, because I disapproved of him from beginning to end.(98)
「あいつら、腐りきってる」と、私は芝生に大声を発した。「あんた一人でも、あいつら全部引っくるめたのと、いい勝負だ」
こう言っておいてよかった。いまでもそう思っている。じつは最後までずっとギャツビーには是認しかねるものを感じていたので、私から敬意を表したのは、この一回かぎりになった。
ニックはギャツビーに「言っておくこと」をここで告げた。「是認しかねる」部分もあるが、トムもデイジーも腐りきっており、ギャツビーにこそ価値があると語る。ニックはこれまでデイジーに対しては甘い評価であったが、その評価が変わる。デイジーには厳しく「腐りきってる」と判断をくだし、ギャツビーには寛大な判断となるのだ。それは結果的に、ニックだけしかギャツビーの味方でいた人物がいなかったからではないだろうか。
ギャツビーはプールで、デイジーからの電話を待ち続ける。ニックが「そのギャツビー自身、もはや電話はかからない、と思っていたのではないか。私にはそんな気がする。どうでもよくなっていたのではないか(I have an idea that Gatsby himself didn't believe it would come, and perhaps he no longer cared)」(103)と語るように、本気で待っていたわけではないかもしれない。ニックはギャツビー邸へ行く。
There was a faint, barely perceptible movement of the water as the fresh flow from one end urged its way toward the drain at the other. With little ripples that were hardly the shadows of waves, the laden mattress moved irregularly down the pool. A small gust of wind that scarcely corrugated the surface was enough to disturb its accidental course with its accidental burden. The touch of a cluster of leaves revolved it slowly, tracing, like the leg of transit, a thin red circle in the water.(103)
プールの一方から流れる水が、排水口のある反対側へ、そろそろと、見た目にはわからないほど静かに動いていた。波の影とすら言えないような小波があって、重みのかかったマットレスが漂っていく。わずかに風が立った。水面を騒がすこともない風だが、荷物を乗せてしまったマットレスの進路を、ふらりと揺らすだけの力はあった。すると溜まっていた落ち葉に接触して、ゆっくりとマットレスが回りだし、コンパスのように、水の表面に赤い円弧を引いた。
ギャツビーは、マートルを彼に殺されたと勘違いしたウィルソンに殺されたのだ。ギャツビーは罪を被るつもりだったので、予想していた結果だったかもしれない。しかし、ギャツビーはニックに事故を説明する際に「そう、私もハンドルに手を出したんだが――(Well, I tried to swing the wheel ----)」(92)と話していた。本当にデイジーを信じて罪を被る決意があったのならば、ニックにもしっかりと嘘をついたのではないだろうか。ギャツビーは薄々、自分が思い描いていたデイジー像と実際のデイジーの違いに気付いて、ニックだけには本当のことを知ってほしかったのではないだろうか。
「私だけがぽつんと取り残されてギャツビーに付き添った(I found myself on Gatsby's side, and alone)」(104)とニックは語る。他の者が逃げたり死んだりするなかでニックしか残ることができる人間がいなかった。それが最後にニックがギャツビーのために力を尽くす理由なのだ。残された者としての使命感からニックは「いま来させるからな、ギャツビー。まあ、まかせとけ。誰か呼んでやるよ――(I'll get somebody for you, Gatsby. Don't worry. Just trust me and I'll get somebody for you ---)」(104)と葬式の準備に奔走する。ウルフシャイムの返事を読んだ際にもその責任がさらに強くなる。「敵慌心のようなものが生じた。ギャツビーと二人で組んで、こんな世の中を敵に回してやる、という気分だ(I began to have a feeling of defiance, of scornful solidarity between Gatsby and me against them all」(105)と、ギャツビーとニックの強い結束感が分かる語りである。しかしニックのギャツビーに対する仲間意識のようなものは、ギャツビーが死んだからこそ生まれたものである。もしギャツビーが死んでいなかったら、ニックはここまで自ら行動する人間にはならなかったのではないだろうか。ギャツビーと二人で世界を敵に回すという一方で、ニックはギャツビーと親友であったとは考えていない。ギャツビーの父との会話で、親しくしていたのかと問われるやりとりにニックはこう答える。
"We were close friends."
" He had a big future before him, you know. He was only a young man, but he had a lot of brain power here."
He touched his head impressively, and I nodded.
"If he'd of lived, he'd of been a great man. A man like James J. Hill. He'd of helped build up the country."
"That's true," I said, uncomfortably.(107)
「はい、親友でした」
「先が楽しみだったのですよ。まだ若いながらも、このへんは詰まっていた」
老人が重々しく頭に手をやるので、私もうなずいて応じた。
「あれが生きていたら、たいした男になったでしょうな。鉄道王か何かになって、国づくりの役に立ったんじゃないかと思っとるんです」
「ええ、まったく」だんだん返事が苦しくなった。
親友だったと答えるも「返事が苦しくなった」と語るように、ギャツビーの父に失礼のないように合わせた発言だと考えられる。ギャツビーの友人として、葬式に参列した者はニックしかいなかった。
About five o'clock our procession of three cars reached the cemetery and stopped in a thick drizzle beside the gate ---- first a motor hearse, horribly black and wet, then Mr. Gatz and the minister and I in the limousine.(111)
五時頃、一二台の車を連ねて墓地へ到着し、しとしと降る雨の中、ゲート前で停車した。先頭の霊枢車が、雨に濡れて、おぞましいほどに黒かった。二台目のリムジンには、ギャッツ老人と牧師と私が乗ってきた。
華々しいパーティーにきていた客のなかで葬式にきたのは、フクロウ眼鏡の男ただ一人だった。大勢の人を集めていた過去を考えると、あまりにも寂しいギャツビーの最後だ。
I tried to think about Gatsby then for a moment, but he was already too far away, and I could only remember, without resentment, that Daisy hadn't sent a message or a flower.(111)
このときの私はギャツビーについて考えていたかったが、もはや彼とは遠く離れてしまっていたようで、まだデイジーからは伝言も花も来ていないということを、べつに恨みがましくもなく思いついただけだった。
事件の責任の一端でもあるデイジーさえもこなかった。フクロウ眼鏡の男の「あいつも馬鹿を見たもんだ(The poor son-of-a-bitch)」(111)という言葉通りである。ギャツビーの追ってきた夢やこれまでの努力は一体どこへいってしまったのだろう。
After Gatsby's death the East was haunted for me like that, distorted beyond my eyes' power of correction. So when the blue smoke of brittle leaves was in the air and the wind blew the wet laundry stiff on the line I decided to come back home.(112-113)
ギャツビーの死後、私にとっての東部とは、そんな不気味な場所にさえなった。どう見ようとしても、私の目には歪んで見えた。だから、枯れ葉を燃やす青みがかった煙が空気にしみて、吹く風に洗濯物が乾いてこわばる季節に、もう帰郷しようと心を決めた。
ギャツビーが死んだことで、ニックの東部像も変化する。これまでは、憧れの眼差しで見つめていた東部が不気味な場所へと姿を変え、ニックは都会生活を終える。
トムやデイジー達に対し憤りを感じていたニックは、十月下旬にたまたま町でトムに遭遇する。
"Tom," I inquired, "what did you say to Wilson that afternoon ?" He stared at me without a word, and I knew I had guessed right about those missing hours. I started to turn away, but he took a step after me and grabbed my arm. "I told him the truth," he said "He came to the door while we were getting ready to leave, and when l sent down word that we weren't in he tried to force his way up-stairs. He was crazy enough to kill me if I hadn't told him who owned the car. His hand was on a revolver in his pocket every minute he was in the house ----" He broke off defiantly.
"What if I did tell him? That fellow had it coming to him. He threw dust into your eyes just like he did in Daisy's, but he was a tough one. He ran over Myrtle like you'd run over a dog and never even stopped his car." (114)
「なあ、トム」私は思いきって尋ねた。「あの日の午後、ウィルソンに何て言ったんだ?」トムが無言のまま目を見開いたので、空白の数時間をめぐる私の想像は当たっていたのだと思った。もう離れて歩きだそうとしたら、トムは一歩踏み出して私の腕を押さえた。「ほんとのことを言っただけだぞ。出かけようとしたところへ来やがったから、居留守を使って追い払おうとしたんだが、勝手に二階まで来ようとする勢いだ。あれじゃあ車の持ち主を教えないことには、こっちが殺されかねなかった。ずっとポケットの中で拳銃に手をかけてたからな――」とまで言って、だから何だという口調になった。
「ほんとのことを言って悪いか?あの男には当然の報いだ。デイジーも目をくらまされたが、おまえだってそうだろう。一筋縄ではいかんやつだったな。マートルを犬っころみたいに撥ねておいて、平気で逃げた」
東部に憧れていたニックは、ここではっきりとそれらに幻滅する。「これでは私から言うことはない。そんなのは本当のことではないという、言えない事実があるだけだ(There was nothing I could say, except the one unutterable fact that it wasn't true)」(114)と、真相を知っているのはニックただ一人になった。
I couldn't forgive him or like him, but I saw that what he had done was, to him, entirely justified. It was all very careless and confused. They were careless people, Tom and Daisy ---- they smashed up things and creatures and then retreated back into their money or their vast carelessness, or whatever it was that kept them together, and let other people clean up the mess they had made…(114)
このトムは、私から見れば、許せない男、いけすかない男でしかなくなったが、とった行動は正当であると自分では理屈を通しているようだ。いいかげんの極致である。トムもデイジーも、いいかげんにできている。まわりにあるもの、生きるものを、すべてぶち壊しにしておいて、金銭というか、いいかげんな態度というか、ともかく二人を結びつけている原理に戻って、ごたごたの後片づけは人まかせ……。
ニックは自らを彼らのような勝手な人間とは違い、「いいかげんの極致」であるトムとデイジーに対し憤りも感じている。さらに、トムに対しては「なんだか子供としゃべっているような錯覚に見舞われ、握手くらいしてやらないと格好がつかないのだった(I shook hands with him; it seemed silly not to, for I felt suddenly as though I were talking to a child)」(114)と子供扱いである。
ニックはギャツビーの友人であり、また最後に残った者である責任から、ギャツビーのために尽力する。ニックは、ギャツビーが死んだ原因でもあるトムとデイジーに対しても幻滅しており、東部への憧れはなくなってしまった。トムやデイジーよりも、ギャツビーにこそ価値があるというのがニックの最終的な判断であった。
第四章 ニックの語りの信用性
ここまでニックの「判断を差し控える」という人間性と、ギャツビーとの友情の深まり方について論じてきた。しかしここでニックの語り手としての信用性について改めて論じたい。本作は、ニックが中西部へ帰ってから東部での出来事を振り返りながら語っている物語である。その説明としてのニックの語りをみてみよう。
Only Gatsby, the man who gives his name to this book, was exempt from my reaction ---- Gatsby, who represented everything for which I have an unaffected scorn. If personality is an unbroken series of successful gestures, then there was something gorgeous about him, some heightened sensitivity to the promises of life, as if he were related to one of those intricate machines that register earthquakes ten thousand miles away. This responsiveness had nothing to do with that flabby impressionability which is dignified under the name of the "creative temperament " ---- it was an extraordinary gift for hope, a romantic readiness such as I have never found in any other person and which it is not likely I shall ever find again. No ---- Gatsby turned out all right at the end ; it is what preyed on Gatsby, what foul dust floated in the wake of his dreams that temporarily closed out my interest in the abortive sorrows and short-winded elations of men.(1-2)
ただギャツビーだけは別だ。こうして本書に名前を残している男にだけは、私の見方が違った。ところが現象だけで言えば、ギャツビーこそ、私がつくづく嫌気のさしたものの代表格なのである。もし人間のありようが外からでも見える行動の連鎖でわかるなら、ギャツビーは華麗なる人物だったと一言尽えよう。好機を見逃さない感度があった。一万マイル先の揺れをとらえる地震計に近いような高感度だったかもしれない。だが、そういう感性は、よく「芸術家タイプ」として持ち上げられる、やわな感受性とは別物だ。どこまでも絶望しない才能なのである。精神がロマンチックにできていた。あんな男には会ったことがないし、これからまた会うとも思われない。いや、結局まともだったのはギャツビーだ。私があきれたのはギャツビーに食らいついた側である。ギャツビーの夢が通りすぎたあとに塵芥が浮いたようでいやなのだ。そんなものを見てしまった私は、いずれにしても中途で断たれる男の喜びや悲しみから、しばらく目をそむけたくなっていた。
「華麗なる」「まともだった」ギャツビーを記すために、ニックはこの小説を書いたのである。ニックは小説のなかで自らを「判断を差し控える」人間だと語っているが、実際にはトムには厳しくデイジーには甘く判断をくだしていた。さらにはその判断が最後には変わり、ギャツビーにこそ価値がありトムもデイジーも価値のない人間だと判断している。人への判断がぶれている点からも、ニックの信用性の不確かさが分かる。
ニックはギャツビーがデイジーを取り戻すために協力するが、そこにも矛盾点がある。「過去を繰り返すことはできない(You can't repeat the past)」(70)と、ギャツビーをたしなめている当のニックこそが二人を引き合わせたのではなかっただろうか。自分がギャツビーとデイジーを引き合わせた責任については言及せずに、最後には「あんた一人でも、あいつら全部引っくるめたのと、いい勝負だ(You're worth the whole damn bunch put together)」(98) と、まるでずっとギャツビーの味方でいたかのような発言をしている。ニックはいきなり自分だけがまともな人間であるかのように道徳を説いているが、果たして本当にそうだろうか。ニックがギャツビーをそそのかしたことが、ギャツビーの死に繋がったのである。ニックにも責任があるのに、ニックは自分の負うべき責任については一言も触れずにいる。「ごたごたの後片付けは人まかせ」とはギャツビーの葬式に関することだと考えられるが、ニックがしたことは葬式の手伝いだけである。ニックは他人(トムやデイジー)には厳しいが、葬式の手伝いをしただけで自分を評価してしまうように自分自身については実に甘い。
この小説を語っているのは自分に甘いニックであるので、彼の自己責任については触れられていない。もしくは彼は気付かないふりをしている。一見すると、ニックは良い人でギャツビーの味方となり、最後にはギャツビーの死を悼んでいるかのようにも読める。しかし実際には、ニックがギャツビーの死の原因でもあるのだ。
では、何故ニックはギャツビーに協力したのだろう。理由として考えられることは、ニックがギャツビーを通してデイジーとの代理恋愛を楽しんでいたというものである。デイジーの代わりとして、ジョーダンと交際していたのだ。第一章で述べたように、ニックは初めにジョーダンに全く関心を向けずに、デイジーの声に夢中になっている。ニックによる、ジョーダンの第一印象はこうある。
She was extended full length at her end of the divan, completely motionless, and with her chin raised a little, as if she were balancing something on it which was quite likely to fall. If she saw me out of the corner of her eyes she gave no hint of it ---- indeed, I was almost surprised into murmuring an apology for having disturbed her by coming in.(7)
ソファに坐った伸びやかな肢体がぴくりとも動かず、いくぶん顔を上げているところは、落ちそうで落ちないものを顎に乗せてバランスをとっていると見えなくもない。私が来たことを横目にでも見たのかどうか、まるで判断がつかなかった。いや、なんだか私のほうが邪魔に入ったような気になって、つい詫び言めいたものを口にしていたほどである。
デイジーへの甘い描写とは対照的に、ジョーダンは少し変わった人のように語っている。
At any rate, Miss Baker's lips fluttered, she nodded at me almost imperceptibly, and then quickly tipped her head back again the object she was balancing had obviously tottered a little and given her something of a fright. Again a sort of apology arose to my lips. Almost any exhibition of complete elf-sufficiency draws a stunned tribute from me.(8)
ミス・ベイカーもまた、何はともあれ口を動かしていて、会釈とも言えないような会釈をしてみせたが、それも一瞬のことである。つんと上へ向け直した顔は、落ちそうで落ちないものを落としかけて、あわてて元へ戻したというところか。ふたたび私は弁解じみたことを言っていた。どうも私は、ああいう自己完結する人間を前にすると、へんに恐れ入ってしまうらしい。
ニックはジョーダンを「自己完結する人間」と判断し、さっさと視線をデイジーに戻してしまう。このことから、ニックは特にジョーダンを好意的に捉えていたとは考えにくい。パーティーでギャツビーに呼ばれる場面では、ドレスを着ているジョーダンをニックはこう描写している。
She got up slowly, raising her eyebrows at me in astonishment, and followed the butler toward the house. I noticed that she wore her evening-dress, all her dresses, like sports clothes ---- there was a jauntiness about her movements as if she had first learned to walk upon golf courses on clean, crisp morning.(13)
立ち上がったジョーダンは、たまげたわという顔をしてから、執事のあとについて邸内へ向かった。イブニングドレスの後ろ姿を見ていると、いや、何を着てもそうなのだろうが、まるでスポーツをする服装だ。身のこなしに躍動感があった。よちよち歩きを始めた幼い日々から、さっぱりした朝のゴルフ場に出ていたのではないかと思わせる。
ジョーダンは、パーティーのためにドレスを着て普段と違う格好をしているのにも関わらず、ニックの目には「まるでスポーツをする服装」にしか映らない。異性への視線というよりも、一人のスポーツ選手を観察しているかのようでもある。ニックはジョーダンの人間像をこうまとめる。
Jordan Baker instinctively avoided clever, shrewd men, and now I saw that this was because she felt safer on a plane where any divergence from a code would be thought impossible. She was incurably dishonest. She wasn't able to endure being at a disadvantage and, given this unwillingness, I suppose she had begun dealing in subterfuges when she was very young in order to keep that cool, insolent smile turned to the world and yet satisfy the demands of her hard, jaunty body.
It made no difference to me. Dishonesty in a woman is a thing you never blame deeply ---- I was casually sorry, and then I forgot.(38)
ジョーダン自身は、嘘で固めた女である。他人よりも損な立場にいたくない性分で、ごく若いうちから虚実をあやつって生きていた。とりすました微笑の顔を外界には向けながら、なお発条のきいた肉体を存分に動かしてやるとしたら、裏と表の使い分けを覚えることにもなったろう。
だが、私にはどうでもよかった。女に裏表があるとわかったくらいで、恨みがましくはならない。そんなものかと思いつつ、根に持ったりはしなかった。
第一章で述べたように、ニックのデイジーへの視線はたいへん甘いものであったが、ジョーダンに対してはずる賢い女性だと判断している。
Her gray, sun-strained eyes stared straight ahead, but she had deliberately shifted our relations, and for a moment I thought I loved her.(39)
ジョーダンは、グレーの目を太陽でまぶしそうにしながら、しっかり前を見ていた。だが私との関係においては、ある方向転換を思いついたようだ。私としてもジョーダンに惚れたような気がしなくもなかった。
ニックはジョーダンを少し変わった女性のようにしかみていないが、ニックは何故か「惚れたような気」がする。ジョーダンに対しては可愛らしさや甘い描写がないので、ニックのこの恋心は弱いものではなかったかと考えられる。つまり、このあたりからニックはジョーダンを、というよりは、ジョーダンを通してデイジーを見ているのである。
We passed a barrier of dark trees, and then the facade of Fifty-ninth Street, a block of delicate pale light, beamed down into the park. Unlike Gatsby and Tom Buchanan, I had no girl whose disembodied face floated along the dark cornices and blinding signs, and so I drew up the girl beside me, tightening my arms. Her wan, scornful mouth smiled, and so I drew her up again closer, this time to my face.(51-52)
このとき暗い並木が途切れて、五十九丁目にならぶ建物から洩れる光が、やんわりと公園内に降りそそいだ。私はギャツビーやトム・ブキャナンではないので、ある女の面影が宙に浮いて、暗い建物の上端や、まばゆい看板をかすめるということがない。だから腕に力を入れて、隣にいる女を抱き寄せた。つんと澄ました口元が笑うから、さらに引き寄せ、今度は私の顔にまで近づけた。
ニックはそのままジョーダンと付き合う。デイジーの描写とジョーダンのそれを比べてみると、デイジーに対しての視線の甘さがよく分かる。デイジーがギャツビー邸にやってきたときも、彼女の声をこう語る。
The exhilarating ripple of her voice was a wild tonic in the rain. I had to follow the sound of it for a moment, up and down, with my ear alone, before any words came through. A damp streak of hair lay like a dash of blue paint across her cheek, and her hand was wet with glistening drops as I took it to help her from the car.
"Are you in love with me," she said low in my ear,
"or why did I have to come alone ?" (54)
この声が雨中にひときわ高く響いた。心をときめかす声が波になって揺れるから、その波動を耳で追うのが精一杯で、とっさに言葉が出なかった。濡れた髪が青いペンキを一筆刷いたように頬にかかっている。車を降りるデイジーの手をとってやると、しっとり光る水滴の感触があった。
「わたしが好きになったの?」デイジーがそっと私の耳元で言う。
「だって、一人で来てくれなんて言うんだもの」
冷静なニックの語りとしては、あまりにもロマンチックな描写である。ニックのデイジーに対する甘い眼差しが分かる語りが続く。
With enchanting murmurs Daisy admired this aspect or that of the feudal silhouette against the sky, admired the gardens, the sparkling odor of jonquils and the frothy odor of hawthorn and plum blossoms and the pale gold odor of kiss-me-at-the-gate.(58)
デイジーがかわいらしい嘆声を洩らして、さかんに家をほめる。大空に浮かぶシルエットが、あっちもこっちも中世の城のようだ。庭園もすばらしい。黄水仙の香りがはじけ、サンザシとプラムが匂い立ち、パンジーが淡い金色の気を振りまく。
まるでデイジーのために花が咲き誇っているかのようであり、彼女の可愛らしさに夢中なニックの視線が分かる。この描写を読む限り、ジョーダンよりもデイジーに好意を持っているといえるだろう。ニックはギャツビーを通して、デイジーとの恋愛を楽しんでいたのだ。デイジーがギャツビー邸にやってくる前の晩には「この晩の私は、たしかに浮かれたようになっていた(The evening had made me light-headed and happy)」(53)のである。浮かれるべくはギャツビーであってニックではないが、実はニック自身がデイジーに会いたいので浮かれているのだ。つまり、ニックはジョーダンよりもデイジーに恋愛感情を持っていたと考えられる。
この代理恋愛はいつまで続くのだろう。それを判断するために、ギャツビーとデイジーの関係が終わる場面を見てみよう。ギャツビーがトムとデイジーを別れさせようとする場面がある。
She hesitated. Her eyes fell on Jordan and me with a sort of appeal, as though she realized at last what she was doing ---- and as though she had never, all along, intended doing anything at all. But it was done now. It was too late.(84)
デイジーは迷った。ジョーダンと私に訴えるような目を投げる。ようやく自分の行動に気がついたのではなかったか。ずっと昔から、自分の意志を働かすことがあったのかどうか。だが結果だけは出てしまった。もう遅い。
これまでデイジーに対して甘いニックであったが、ここで厳しい評価に変わる。自分の親友であったギャツビーに対して、ひどい仕打ちをするデイジーに対して幻滅するのだ。この時点でニックのデイジーへの恋は終わったのではないだろうか。可愛く思っていたデイジーの自分勝手な正体に気づき、恋愛感情も失せてしまう。その後、ニックとジョーダンは電話でこんなやり取りをする。
"You weren't so nice to me last night."
"How could it have mattered then ?"
Silence for a moment. Then:
"However ---- I want to see you."
"I want to see you, too."
"Suppose I don't go to Southampton, and come into town this afternoon ?"
"No ---- I don't think this afternoon."
"Very well."
"It's impossible this afternoon. Various ----"
We talked like that for a while, and then abruptly we weren't talking any longer. I don't know which of us hung up with a sharp click, but I know I didn't care. I couldn't have talked to her across a tea-table that day if I never talked to her again in this world. (99)
「きのうの晩、あたし、放ったらかされてた」
「そんな場合じゃなかったろう?」
ふと話が途切れた。それから――
「でも、まあ――会いたいのよね」
「それは僕もそうだ」
「じゃあ、たとえば、サウサンプトンへは行かずに、そっちへ出ちゃったりしようかな」
「あ、いや、きょうは、ちょっとどうかな」
「わかった」
「きょうは、いろいろと予定があって――」
こんな調子でしばらく話すうちに、電話がぷっつり切れていた。どちらが先に受話器を置いたのか覚えがないが、どうでもよいと思った覚えはある。たとえジョーダンとは二度と話すことがなくなるのだとしても、この日にティーテーブルをはさんで向かい合うことはできなかっただろう。
ニックは、デイジーへの恋愛感情がなくなったことで、ジョーダンとの関係も終わりにしてしまう。ニックは大金持ちであるデイジーへ憧れを持っていたが、実は彼らの中身は薄っぺらいということが分かり、恋愛感情もなくなったのだ。
この章で述べてきたように、そもそもニックの語りを信用していいのか、という疑問が残る。ニックは自分の偏った視点でしか物語を語っていない。ニックの視点がどのようなものか、よく分かる語りを見てみよう。
It was all very careless and confused. They were careless people, Tom and Daisy ---- they smashed up things and creatures and then retreated back into their money or their vast carelessness, or whatever it was that kept them together, and let other people clean up the mess they had made. . . . (114)
いいかげんの極致である。トムもデイジーも、いいかげんにできている。まわりにあるもの、生きるものを、すべてぶち壊しにしておいて、金銭というか、いいかげんな態度というか、ともかく二人を結びつけている原理に戻って、ごたごたの後片づけは人まかせ……。
ニックは、トムやデイジーを「不注意な人」だと判断しているが、その実ニックこそが「不注意な人」なのではないだろうか。ニックはデイジーへの恋愛感情にも自分では気づいておらず、デイジーとの恋愛でギャツビーを傷つかせておいて、自分は傷を負わずにデイジーの正体に気づき、ギャツビーの親友として彼の人生を物語っているのである。ニックは、人のことは理解し判断できていると語りながらも実際はできておらず、さらには自分自身に甘いせいで自分のことは何も分かっていない。ニックは最後まで自己の不注意さには気付いていない、ということがニックの語りが信用性に欠ける最大の理由である。
東部でのひと夏を通してニックは人間として成長できたのだろうか。いや結局彼は自分について甘い人間のままだった。しかし人に対して厳しい視線しか持ちえなかったニックが、ギャツビーを最後には友人として「偉大なるギャツビー(The Great Gatsby)」と呼べるようになった。つまり他人を認められるほどには成長できたのではないだろうか。ニックは故郷中西部に帰ることになるが、東部にでる前の彼よりは少し成長したはずである。
結論
本論文では『グレート・ギャツビー』における、語り手ニックに焦点を当てて論じてきた。第一章では、ニックが父からの影響で「判断を差し控える」ようになったと語りながらも、実際にはトムに厳しくデイジーに甘い判断を連発しており、彼の自己認識の矛盾について述べてきた。第二章では、物語の主人公であるギャツビーと出会い、親交を深めていくニックが彼とのあいだに友情のようなものを築いていく様をみてきた。ニックが協力したにも関わらず、無念にもギャツビーの夢は叶えられなかった。第三章では、ギャツビーの死によって生まれたニックの責任感や友のために尽力する姿を述べてきた。ニックは、トムやデイジー達を不注意な人間であるとし、ギャツビーにこそ価値があると判断をくだした。第四章では、語り手ニックは語り手として信用に値するのかについて論じた。ニックは自分が不注意な人間である、ということに気付かずにいる。また、ギャツビーの死に対する彼自身の責任については目を逸らしていることを示した。
これまで見てきたように、ニックの言動には矛盾が多く見られる。例えば自らを「判断を差し控える」人間だと語るが、実際には厳しい判断を連発している。あるいは、ギャツビーに対しても過去を繰り返すことはできないとたしなめながらも、ギャツビーにデイジーとの関係を築かせる。ニックはジョーダンと交際しながらも、デイジーの可愛さに夢中である自分の恋心を理解せずにいる。大金持ちで超上流階級であるデイジー達を「不注意(careless)」と、一段上の立場から判断しながらも、ニックこそが「不注意」そのものであることに気付いていないのである。ニックが「不注意」であるために、この物語はニックが出来事を自分の都合の良いように解釈して、語られているのである。
こうした矛盾に気が付いてみると読者としては、ニックの語りをそのままに信用してはいけないのではないか、という印象を持つことになる。彼は自己責任については言及しないため、最後には、まるでギャツビーと良き友人であったかのように語っているが、ギャツビーの死の責任はニックにもあるといえるだろう。ニックはギャツビーを代理恋愛として利用し、それが原因で結果的にギャツビーは殺されてしまったのである。残されてしまった人間としてニックは、ギャツビーの葬式の準備に尽力していることから「友情」を感じさせるが、すでにギャツビーは死んでしまっているのである。ニックが、ギャツビーとデイジーを引き合わせなければ、もしかしたらギャツビーは死なずに済んだのかもしれない。叶わない夢を追い続け、巨万の富を築いたにも関わらず、誤解されたままに殺されたギャツビーは無念であろう。
このように考えると、ニックがギャツビーの華麗さと常識外れの努力と富について書き記したのは、ギャツビーの死に対する無意識のうちの贖罪だったのではないだろうか。あるいは、葬式に参列し、本まで書いてくれたこの「親友」がこのような限界を持っていたということは、彼の孤独がより強調されるのかも知れない。ただし、ニックの語りが不完全だとしても、ギャツビーは夢を追い求め続けた一人の男として偉大であったということはいえるだろう。
Frances Scott Fitzgerald. The Great Gatsby (WORDSWORTH CLASSICS, 1925; 1993) p.4. 以下テキストからの引用は引用末尾の括弧にページ数のみを記す。なお訳文をつけるにあたっては、『グレート・ギャッツビー』(東京:光文社, 2009年)小川高義訳を利用した。