桃鉄やろうよ、この身かけてだ。
アメトーークの桃鉄芸人の回を見ながら、高校時代を思い出す。女子校へ通っていた。秘密の花園的空気とは全く無縁な、ただただ野生へ還った3年間だった。卒業時、私は悟った。なぜ、この世界に男と女がいるのか。女しかいなかったら、さっさと世界を滅ぼしてしまうに違いないからだ、と。
番組では芸人が三人で大きなソファにゆったりと座り、お菓子やお酒をつまみながら12時間ぶっ通しで桃鉄をしていた。ボンビーの動向に一喜一憂し、時には憎しみ合い、ゲームをダラダラと進めていく。
なんて、尊い時間だろう。
若く、何でもできる、どこにでもいけるこの貴重な時に、ただただ、ゲームをやる。小学校から卒業し何年も経ったというのに、うんちカードだ、バキュームカードだ、おならカードだと騒ぎながら友達とゲームをやった。これだけのことしか残らない不毛な時間だ。
でも、それが一番大事だった。by大事マンブラザーズバンド
ただ、無駄を過ごすことこそ、その後の宝になる。
私は今、マジ痛感している。
noteを見渡してみろ、ミニマリストだ、効率のいい時間の過ごし方だ、いかに無駄を省くかでみんな躍起になっている。大人は忙しいのだ。一秒の無駄がお財布に直結するからだ。生活に、家族に影響するからだ。
今、私が桃鉄やりたいから12時間くれと言って、時間を作ってくれる友達がいるだろうか。自信を持って言える。いないよ。いない。
高校時代は友達のうちへ泊まりに行って、お菓子を持ち寄りよくゲームをやっていた。私らの時はボンバーマンが流行った。一晩ボンバーマンをやって、各々力尽きて眠る。そして、起きた瞬間に友人を叩き起こし、早朝ボンバーマンだと言ってまた勝負を挑む。起ききらない頭はまだ昨日のボンバーマンを引きずっており、どちらが夢かわからないまま、ヒーヒー言いながら操作するボンバーマンは本当に楽しかった。このルールの場合、やはり奇襲をかける方が有利だが、そこを返り討ちにしてやった時ほどの爽快感は未だに知らない。
こんな遊びができるようになるのは老後かなあ。暇を持て余した近所のじいさんばあさん同士でお茶をすすりながら桃鉄をやりたい。一生懸命、これまで過ごした人生をかけて、桃鉄をやるんだ、その時の友人たちと。
時間とは私の命、命を無駄に使う「贅沢」とはそういうことだと思っている。
#日記 #エッセイ #桃鉄 #ボンビー #アメトーーク #大事マンブラザーズバンド
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