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悲劇のヒロインだった私の転機


悲劇のヒロインだった小中学生時代

母は2回離婚しシングルマザー、弟は自閉症。

母の通帳をこっそり覗き貯金額を知り、私は大学に行かずに働くと思っていました。

母のジュエリーBOXの中身がだんだん減っていっているのを覚えています。最近聞いてみると、やはり売りに出されていたらしい、、。🫢

そんな環境で祖父母、友達のご両親など色んな人に頼って生きていることに申し訳なさを感じていました。

ある先生との出会い、人生の転機


中学3年生の夏、私は塾に通い始めました。同じバレー部の友だちと一緒に入塾し、アットホームな塾ですぐに馴染めました。

教室に入ってすぐの所にいるA先生。塾にはいる時にいつも緊張してしまうのですが、「こんにちは!」の挨拶と、ひとことの雑談ががいつも支えになっていました☺️

そんな親しみやすい先生ですが、厳しい面もあります。A先生の一言でざわついた休憩スペースも自習室も静まり返ります。

理科、数学の授業はいつもプロフェッショナル!
自分にも人にも厳しいところが絶対的信頼につながっていたんではないかと思います。

私はそんなA先生に憧れ、こんな先生になりたいと思うようになりました。

目標を見つけてからのわたし

同じ高校に行きたい!と思い猛勉強スタート✍🏻!
今思い返すと執着しすぎていた(絶対怖かったよなあ本当に申し訳ない😭)

勉強がニガテで、特に数学がポンコツで

1回目の基礎学力テスト 350点
2回目の基礎学力テスト 320点
3回目の基礎学力テスト 328点

思いとは裏腹に全く点数が伸びず、「受かる可能性は60パーセントくらい」と行きたい高校の1つ下の高校を強く勧められていました。
でも半ば強引にいきたい高校の方で調印してもらいました💦

高校入試当日の結果は401点!
(結局数学は1番悪いままでした、、笑)

初めての成功経験に舞い上がっていました。

高校入学後の甘い考え

高校入試も上手くいったから、大学入試も、、!
と思いましたが人生そんなに甘くありません泣

高校の勉強はさらに難しく、
「このままだと行ける大学なくない!??」思いながらも、
「自分はお金が無いから大学に行かないし」と、できないことを正当化しつつ、ただ何となく高校生活を送っていました。

高校2年生の春に「養護教諭になりたい」という夢を持ち、調べていくうちにある入試制度に出会いました。

それは総合型選抜です。

総合型選抜とは...
エントリーシートなどの受験生からの提出書類のほか、面接や論文、プレゼンテーションなどを課し、
受験生の能力・適性や学習に対する意欲などを時間をかけて総合的に評価する入試方式です。
他の入試方式と比べると、「高い学習意欲」「学びへの明確な目的意識」が選抜基準として重んじられているため、選抜方法もその点が判断できるような内容となっています。

河合塾 Kei-Net

わたしが「経験」を求めて行動する理由

初めは総合型選抜合格のためになると思い、色々な経験をしました。

防災士取得、放課後デイサービスでのボランティア、委員長、地元スーパーでの探究活動

いつの間にか

受験合格のための手段⇒
自分の理想に近づくため、𓏸𓏸な力を養うために必要
と考え自分から色んな経験を求めに行くようになりました。

そこでふと、悲劇のヒロインだった自分に目を向けるようになりました。


確かに状況は上に書いた通り。
だけどそこにはそれまで気が付かなかった、多くの特別な「経験」がありました。

母はITに強く、幼い頃からデジタル機器に沢山触れてきました。
小学生の頃にはプログラミングもやりました。ドローンを飛ばしたり、時には母の会社の人のミーティングに参加したり🫢
ジビエ料理を食べて、ヘリコプターを見て、畑仕事をしました。

当時は何の価値も感じていなかったけれど、今、私がその経験をどう見るかで変わってきたのです。

格差は確かに存在しました。でも、格差は人が歩みを止める理由にはなりません。
むしろ、それがあったからこそ、こんな世界にしたいという思いが人一倍ありました。

環境や状況を嘆くだけでは、何も変わらないこと。それに気づいたとき、私はようやく「自分ができること」「自分がやりたいこと」に目を向け始めました。

私の場合は、格差があるからこそ、他の人にはない視点や強みを持つことができるのかもしれません。

これが、わたしが大学生になっても経験、力を養うために走り回っている理由です。

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