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大嶋啓之と私(前編)

「目じるしにMIDI検定2級の本を持って立っています」
そう提案され、宇都宮駅で本当にMIDI検定のテキストを持って立っている大嶋啓之さんを発見したのは、今から24〜5年前のことになる。
ご本人は全く覚えていないらしい。笑

「電話すれば良いのでは?」
と考えるのが自然だろう。
しかし、時はインターネット黎明期。
もちろんスマホなどなく、ケータイも普及し始めたばかりの頃で、大嶋さんはスマホをお持ちではなかった。

「初カキコ失礼します」
「よろしければ相互リンクお願いします」
当時を知るクリエイタならお馴染みの、HPを訪れた時のご挨拶。
BBSなど廃れて久しいが、探りながら少しずつ距離を詰めていくあの感じが、私には心地よかった。
Perfect Vanity(大嶋さんのHP)を知ったのは、私が自身のHPを立ち上げて、割とすぐの頃。
当時はまだ全然web上に自作曲を発表している人は少なくて、容量の都合でMP3なんてものはアップ出来ず(そもそも碌なエンコーダがなかった、午後のこーだ様、お世話になりました)、MIDIデータで公開していた時代。
HPを訪れた時に流れる音楽(Perfect Vanity’s Theme)が明らかにMIDIで作ったそれとは違っていて、FLASHを使用したサイトデザインもクール過ぎて、私は一瞬で虜になった。

今回のコンサートで初めて大嶋さんの斜に構えたコミカルさに触れた方も多かったと思うが、この時代、BBSやチャットで、比較的容易に大嶋さんとコミュニケーションを取ることが出来た。
まだ世に出る前の、野生の大嶋啓之がそこにいた

当時の私は地元岩手から仙台に引っ越してすぐ、La Nina(ラニーニャ)というユニット(これはe:cho(私のバンド、エコー)の前身ユニットと言える)を始めるか、始めないかの頃。
周りにDTMをやる者もおらず、ネットの海に仲間を求めた。

当時の感覚だと、ネットで知り合った先に、直接会う、オフ会をするというルートが繋がっていたように思う。
少なくとも私の周りはそうだった。
BBSやチャットで親交を深めていった私たちは、まずお互いのおすすめ音楽をCDに焼いて郵送し合い(もちろん通信量の都合により、データ送信などという選択肢はない)、次いで電話をすることになる。
私はケータイ、向こうは家電(いえでんってワードまだ生きてる?)なので、向こうから電話を掛けてくれることになった。

はっきり明確に覚えているのだが、誇張なく、私は正座待機していた。

当時から、大嶋さんの才能は突出していた。
大嶋さんの才能に惹かれ、彼の周りに集うクリエイタは私を含め何人もいたが、誰一人彼の域に達することは出来ていなかった。
今振り返ってもそう思う、というか、今だからこそ、より一層強くそう思う

そんな相手から電話が来るのだ。
正座せずにいられようか。

『想像していたよりも低くダンディなお声だ』
という印象を抱いた覚えはあるのだが、何を話したのか全く覚えていない。
とりあえず、どういう流れからか、直接会おうという話になった。
今の私からは想像もつかない行動力と言える。
大嶋さんは、飄々として淡々としているが、反転ものすごくアクティヴだ。
この時もたぶん、大嶋さんの行動力に圧倒されたんだと思う。

そして、冒頭のエピソードに繋がるわけだ。

その後、何度か大嶋さんと会う機会があった。
いずれも、彼の周りに集うクリエイタたちとのオフ会だった。
「リレーミュージック」と言って、MIDIデータを16〜32小節くらい作っては次の人に回す、という、大阪のクリエイタ、アツシ氏主催の企画があり、それに参加しているチームだったが、中心人物はもちろん大嶋さんで、みんな、彼の話を聞きたがっていたように思う。
(というかこのリレーミュージックのデータ、現存していたらめっちゃ貴重なのだが、データ管理がズボラな私の手元には残念ながら残っていない。。。)

私自身は、La Ninaでアルバムを1枚リリースした。
その中の「深海」という曲を大嶋さんが気に入ってくれ、「リミックスをしたい」という申し出を受けて快諾したのだが、その後どうなったのか記憶が曖昧になっていた。
今回のコンサートでご来場者様から「Y.O.U.さんて「シンカイ」の作曲者さんですよね?」と話しかけて、久しぶりにその存在を思い出した。
そう、私ってば、自曲を大嶋さんにリミックスして頂いてたのだ。
すごくね?
muzieで公開されていたようだが、今はもう聴けない。
めっちゃ聴きたい。笑

さて、La Ninaと並行して、この時期に北海道のクリエイタ、押尾君と結成した「NAT」というユニットがある。
結成当初は正式名称を「North About Twenty」といい、北海道の押尾君と仙台の私による、ざっくり20歳くらいのユニット、という意味合いだった。
後に名古屋のSaKaさんが参加して「Northern Airport of Time-travelers」と改名する。

この「NAT」という名前、大嶋さんファンなら馴染みのある名前かと思う。
そう、「Ninja Action Team」だ。
何を隠そう、大嶋さんのNATは、我々のNATのパロディだったのだ。

ところがこのパロディが本家を凌ぐ勢いを見せる。
というか、本家はふんわりと自然消滅し、パロディであったはずの忍者が、表舞台で躍動していくことになるのだ。(押尾君はその後、忍者の一員となる)

この後、私の人生に変革が起きる。
今も続くバンド、e:choの結成だ。
自身の人生を賭けてこのバンドを推し進めて行くべく、私は大嶋さん界隈からフェードアウトしていくこととなる。
HPも閉じ、現実世界でバンドマンたちと激闘する荒波に身を投じ、がむしゃらに生きることを決意したのが、2003年の話。

再び大嶋さんと人生が交錯するのは、実に10年以上経過したのちのことである

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