
大嶋啓之と私(中編)
私がバンド活動に勤しんでいる間に、大嶋啓之は世間に発見されていた。
ひぐらしのなく頃に
私は当時、もう全然大嶋さんの情報を追えていなかったので、テレビ画面を見て「あっ!!!!!」と叫んだ。
たぶん、歴代でも5本の指に入るくらいの大声だったと思う。
近隣住民はさぞ驚いたことだろう。
私の知っているクリエイタの名前がテレビに出ている。
この先何人も経験し、私自身もその経験を味わうことにはなるのだが、最初の一人は大嶋さんだった。
ものすごく嬉しいと共に「当然だろう」という思いも去来し、何だか無性に誇らしい気持ちになったのを覚えている。
実際、当時のバンドメンバーに自慢した。笑
とは言え、私はバンドに人生を賭けていた。
大嶋さんのことは誇らしかったが、連絡を取ることはせず、陰ながらの祝福に止めて、自分の道を邁進していた。
ちょうどテレビ朝日の番組に出られたりしていた頃で、じわりと手応えを感じられるようになってきたタイミングとも重なっていた。
自分も負けないぞ、という励みにして、私は前を向いた。
が、人生というのはままならない。
ボーカルの脱退や東日本大震災により、バンドは足踏みを余儀なくされた。
自分の人生を見つめ直すタイミングで、ベーシストとして生きていく道、作曲家として生きていく道も、バンドと並行して考えるようになった。
自分を使ってくれたら嬉しい人物として、真っ先に思い浮かんだのが大嶋さんだ。
私は全く知らない人と連絡を取る分には気兼ねなくすぐ行動出来るのだが、疎遠となってしまった人と連絡を取るのがすこぶる苦手なので、この時も送信ボタンを押すのに数日逡巡した覚えがある。
大嶋さんは、変わらず大嶋さんのままだった。
丁寧な文体の中に気遣いが感じられる、それでいて飄々と、淡々と、変わらぬ温度でユーモアを交えながら。
ベーシストとして使ってほしい、というアプローチは、しかしこの時は「Trillian(ベーシストが憎悪するクオリティ笑のベース音源)持ってるので」の一言で粉砕された。笑
まぁ、それはそうだ。
予算も限られた中、ベースを生で録るというのは、優先順位としては低くなる。
それでも無碍にせず、「予算が潤沢な案件が来たら是非」と言ってくださった辺りが、大嶋さんの優しさだ。
その後、北海道旅行に行く行程で仙台に一瞬寄る、という大嶋さんと10数年振りの再会を果たし、メールのやり取りが復活した。
そして、ついに一緒にお仕事を出来るタイミングが訪れる。
ストライク・ザ・ブラッドIIのキャラクターソングアルバムに収録の「I’m in Red」だ。
最初からベースを生演奏にする前提で構想してくださっていたようで、正式依頼前に、現状こんな感じです、という進捗まで送ってきて下さった。
こんな丁寧な依頼、そうそうあるものではない。
全身全霊をもって臨み、どうやらそれは、大嶋さんを満足させる仕上がりになった。
改めて奏者のセンスが加わった曲を聴くと、自分ひとりでは絶対できないような曲になってグッとよくなりました。こういう機会はぜひ今後も増やしていきたいですね。
ここで少し、自分語りをお許し頂きたい。
私のモットーに「期待を3割上回る」というのがある。
指示された通り、期待通りの仕事なら、正直打ち込みと変わらないと思っている。
次からは打ち込みで構わないな、と思われる。
というか、私自身発注側に回ることも多いので、そう感じてしまう。
「おっ」という部分。
これがないと、「次もお願いしたい」とはなかなかならないものだ。
でも5割上回ってしまうと、なんだかもう、自分の作品ではない気がしてくる。
少なくとも私はそう感じる。笑
だから3割。
作家のイメージをリスペクトしながら、最善の手を提案する。
これが、私の仕事に対する姿勢だ。
閑話休題。
無事にI’m in Redが公開され(余談ですが、この曲Wikipediaの楽曲提供リストに載ってません。どなたか載せておいてください)、その1年後くらいに、私は拠点を仙台から浦和に移した。
転居の挨拶をしたタイミングで近況報告になり、お互いクロスバイクを持っていることが判明した結果、久しぶりの邂逅はツーリングにしよう、という話になった。
およそミュージシャンらしからぬエピソードだが、今や大嶋啓之といえば、強烈な大事件のせいもあり自転車のイメージが色濃い。
当時はまだ乗り始めて半年だったようだが、事故にあっても尚、新しい自転車を購入して乗り続けているのを見ると、本気でハマったのだろう。
私? 私はしばらくしてすっかり乗らなくなってしまった。
都内での運転や駐車場事情にも慣れてしまい、今やどこへ行くにも車の民である。
さて、このツーリングの最中に大嶋さんらしさが垣間見えたエピソードがあるので記しておく。
浦和駅で合流して川越まで。
距離的には片道20km程度。
ツーリングとしては大した距離ではないが、道がそんなに良くなかった。
帰路、まだ川越を出て数キロという位置で、私の自転車はパンクしてしまう。
検索して最寄りの自転車屋に駆け込み、修理をすることになった。
すると徐に大嶋さんはこう言ったのだ。
「じゃあ、私は先に帰りますんで」
この時、私は全然嫌な気持ちにならなかった、と先に述べておく。
むしろ感謝や感動、得心といった、ポジティヴな気持ちが去来した。
これぞ大嶋さんだ、と嬉しくなったのだ。
自分の都合を他者に押し付けず、その代わり他者の都合に自分の都合を合わせることもない。
進む先やペースが一緒ならばご一緒に。
合わないならば、それも運命。
そんな感じで、泰然と生きているのが大嶋さんだ、と私は思っている。
修理を待つ間、私は嬉しくて、パンク修理を待つ者として相応しくないほどニコニコしていたので、おそらく修理してくれたお兄さんは気味が悪かったに違いない。笑
帰り道、やっぱり少し寂しかったのは、内緒だ。笑
追記
ご本人曰く、
「駅から近いしもうすぐ解散というタイミングだったので、かえって修理を待つ方が気を遣わせると思ったんじゃないかと😅
さすがに走り始めや遠く離れた場所だったら置き去りにはしません(笑)」
とのことで、私が勝手に神格化しているだけで、本当はもう少し情に厚い方なのかも知れません。笑
ちなみに、念の為位置関係調べたら、半分くらいの位置でした。笑
これは、痛み分けということで。笑
こうして少しずつまた大嶋さんとの距離が近づいた私に嬉しい依頼が舞い込むのだが、ここから先は後編に回すこととしよう。