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小説『犬も歩けば時代を超える』(9話目)

9話 犬千代、前世から来た人たちと。

現代名「ゼット」、戦国時代名「犬千代」の私は、幼少期頃は乳母と、少年期には爺やと過ごすことが多かった。
基本的に、戦国時代などの身分の高い女性や男性は、母親や父親として子育てにはあまり参加せず、しつけの方針に登場するにすぎなかった。
それが慣わしであり、現代でもつい近年までは古い一族などにその風習は残っていただろう。

爺やとは武術を習う頃になると、頻繁に相手をしてもらった。
もちろん指南の先生が付いて本格的に基礎から習うのだが、元気の良かった私は遊び半分に習ったばかりの剣術などで、爺やに挑みかかって遊んでいたものだった。
その爺やとも、私が戦に功を焦って出陣してしまってから会っていない。
自分の力を過信していたものだから、きっと戦から戻ってきて当然爺やにまた会えると思っていたからだ。

私が現代で住む家には、戦国時代以来めでたく再会したお母様がいる。
そして、現代でお母様が結婚した父親と、生んだ子供たちがいる。
その家の周囲にも私以外に犬を飼っている家がチラホラとあることを、吠える声で知っていた。
犬たちは家にいながらデカイ声でしゃべっていたりして、それが人間には吠えて煩いというように聞こえるのだ。
ところが静かで吠える声がしない隣家に、実は犬がいることを聞いた。
チラリと見ると、どうやら自分より大きそうだ。
性別は女性。近所の犬の噂では、姿勢が良くて、キリっとした目をしているそうだが。

「どんな方なのだろうか?前世が人間とかであれば、話も通じそうだが。」

私はワクワクしてしまった。
犬友として散歩でよく会うようになったレオン先輩は、江戸時代のお侍だったそうだ。
おかげで話が通じて、会うとよく話をしながら歩いてしまう。
お母様同士もすっかり犬友なので、話しながら歩くのは日課に近い。
このお隣の女性も、ぜひ前世が人間であったら面白いのに。
その機会は遠くない未来に訪れた。
なんと、散歩の時間が一緒になったのだ!

「なんて名前なのだろう?前世は人間だろうか?初めになんて声をかけたらよいのだろう?」
私のチワワとしてのアップルヘッドの中はグルグルと回っている。

「そうだ、レオン先輩の言っていた、挨拶はお尻を嗅ぐのだな。それが犬としての礼儀なのだ。」
私は「こんにちは」という言葉の前に、彼女のお尻に近づいた。すると、

「無礼者!」
と噛み付かんばかりの勢いで張り飛ばされた。

「ちょっとミーちゃん、ゼットちゃんは小さいのだから。」
と相手の飼い主が慌てている。

そうか、名前はミーちゃんというのか。身体は大きいが可愛い名前だ。
しかしミーちゃんは私をキリッと睨みつけると、

「無礼者!」
と、再び威嚇してきた。

「ミーちゃん、こんにちは。ゼットです。前世は戦国時代の武将の子でした。犬として生まれ変わりましたが、犬はお尻の臭いを嗅いで挨拶をするのですよね。」
と言ってみたが、本当にミーちゃんは臭いを嗅がれるのが嫌そうだった。

「女性のお尻の臭いを嗅ぐなどもってのほか!」
と、初めての出会いとしては、口も聞いてもらえなく交信失敗に終わった。

それにしても、話は通じている。
おそらく口調からして、身分の高い女性の生まれ変わりなのだろう。
その後お母様が話しているのを聞いていると、ミーちゃんは秋田犬という種類らしい。
頭が良くて色々な芸もできるそうだ。
すごいなぁと思うのだが、芸ができたところで犬としての生活の中で何の役に立つのかわからない。

ある日レオン先輩と散歩をしていると、どこからか声がする。

「もしー!もしー!」

年老いた声だ。どうやら人間の生まれ変わりの犬が他にも近所にいるらしい。
「もしー!こちらです!」
私とレオン先輩が振り返ると、
「あれは、タケ君といって、ボクサー犬なんだ。僕より年上で色々知っている大先輩だよ。
何でも、昔面倒をみた男の子を捜しに犬として生まれ変わったと聞いたよ。」
と、私に教えてくれた。
私の他にも、誰かにもう一度会いたくて犬として生まれ変わる者がいるのだ。

「もしー!もしー!」

まだ叫んでいる。
その叫びは私のお母様にすると、ただ単にしつこく吠えているようにしか見えない。
呼ばれているのに、そそくさとその場を離れることになってしまった。

しかしタケ君と再び話ができる機会は意外に早く訪れた。
お母様が私の散歩のついでに届け物をしようとしたからだ。
お母様はタケ君の家のお婆さんと立ち話をし始めた。
タケ君は老夫婦のかけがえのない愛犬なのだそうだ。

「タケが可愛くて、老犬なのですが私たちの生きがいなのです。」

とお婆さんに言われるタケ君は、とても幸せな人生ならぬ犬生を送っているのだと思う。
するとタケ君が私に言った。

「犬千代様ではありませんか?」

私はお母様が立ち話をする様子を思わず見入っていたのだが、タケ君の言葉に思わず振り向いた。
私の前世の名前を知っているのか?そんなはずはない。
あの時代からこの時代に、私と同じ土地に生まれ変わるなんて、偶然でも無いはずだ。

「犬千代様ですよね?」
再びタケ君は必死の声をあげた。

「あの、なぜ私の前世の名を知っているのですか?」
私はタケ君に言った。
戦国時代に生きたとはいえ、私は10歳で死んでいる。
接触した人間は意外に少ないはずだ。

「私です。犬の姿にはなっておりますが、お気づきになりませんか。」
タケ君は必死だ。
私も必死に思い出そうとするが、いかんせん相手は見知らぬ犬の姿だ。

「私です。犬千代様の爺です。いつも剣術のお相手や遊びのお相手をしていた爺です!」

私はその声を聞いてビックリした。レオン先輩の言っていた、タケ君の会いたい相手は、もしかして私だったのか?

「犬千代様、突然戦に出られて、私も甲冑などを整えたりするだけで、あのまま送り出してしまい、とても心残りでした。
あれから、もう一度犬千代様に会いたいと願い、人間ではなくてもいいから生まれ変わって犬千代様に会わせていただけるよう天にお願いいたしました。
するとここまで犬として生きた甲斐あって、こうしてお会いすることができました。」

タケ君、いや、爺やは涙が出そうなほど声を震わせている。

「あれから犬千代様はお元気ですか?何か不自由なことはございませんでしたか?」

爺やは本当に私を心配しつくしてくれたのだ。
私は駆け寄って爺やを抱きしめたかったが、リードがあるのでお互いそれはできない。
しかし老犬となった爺やにも聞こえるように叫んだ。

「私はお母様に前世のことを謝りたくて、犬として生まれ変わった。
そして今、お母様に会えて、息子と同様に愛していると言ってもらえているよ。」

爺やは感極まった目をしている。

「では、では、犬千代様は幸せでいらっしゃいますか。」
私はうんうんと何回もうなずいた。

「幸せだよ。爺や。」

爺やとはその後、散歩の度に声をかけあったが、一年もしないうちに爺やはガックリと体調を崩し、外に散歩にでることもなくなった。
さらに一年経つと、家の中で世話をしてもらっているそうだった。
爺やを飼っていた老夫婦が、お母様にこう言った。

「老犬だと分かっていても、タケは私たちの家族で子供だった。
今までありがとうという気持ちもこめて、最後まで一緒に過ごしたのよ。
オムツを買え、流動食を作って食べさせたわ。身体をずっとさすっていたり。」

老夫婦はおそらく何回も泣いたのだろう。
お母様と話すときも、涙が浮かべていた。

一方、私のお隣のミーちゃんは、人間真っ青な賢さだと分かった。
生物の中で賢いとされる人間も、小さい子供などは犬の賢さの足元にも及ばない。
親が待ちなさいと言っても止まらなかったり、言うことが聞けない。
体力や注意力も散漫だ。

「ミーちゃんは賢いですね。」

最近もまだついウッカリと、犬の挨拶であるお尻の臭いを嗅ぐ挨拶をしてしまうのだが、相変わらずミーちゃんはすごく嫌がる。
そして相変わらず私はミーちゃんの太い手で叩かれてしまう。
ある日ミーちゃんが私に言った。

「ねぇ、私のこと覚えていないの?」
私は何のことだか分からず聞き返した。

「動物病院とかで会った?」
すると気位の高い目をして、

「違うわよ。昨夜光を纏った人が現れて、私にこういったの。
あなたの前世は犬千代だって。」
と言った。
まぁ確かに前世は犬千代だが、それがミーちゃんに何の関係があるのだろう?

「私を忘れちゃったの?仕方ないわね。私は幼少の頃に一緒に育った姫よ。胡蝶姫。覚えている?」

胡蝶姫。覚えている。
確かに幼少の時に一緒に育った。胡蝶姫は他の城から来ていて、大きくなったら私の嫁になるのだといわれていた。

「そう、あなたの許婚。
あなたのいた城には、人質として行っていたの。
でも戦が始まるといって、先に脱出したわ。
ただ、脱出したのが遅すぎたのか、それとも脱出が人の口にのぼっていたのか、私は生まれた城までたどり着けず乳母と殺されてしまったの。」

これは衝撃の話だった。私は当時すっかり自分のことばかりで、許婚だった胡蝶姫が脱出するのも知らなかった。
知っていたら護衛でも何でもしたのに。
するとミーちゃんが笑っていった。

「あなた当時10歳よ。何ができたというの。私は一つ年上なだけだったけど、綿密な脱出計画を立てて城を出たのよ。絶対に誰かが漏らしたのだと思う。」

「もしかして、その相手を探しにこの世に犬として生まれ変わったの?」

「そうよ。私と大好きだった乳母を殺した相手を捜しにきたのよ。」
ミーちゃんの目は燃えている。静かな、でも激しい炎の目だ。

「私もその相手を探すのを手伝うよ!」
と私が言うと、

「あなたには、あなたの生まれ変わった目的があるのでしょう?犬の一生は人間より短いの。自分の使命を全うすることに専念するのね。」

ミーちゃんはその後、会えば落ち着いて話をする友人になった。
毅然とした姫への初恋は、友情と交換に終わってしまったという感じだ。
その後ミーちゃんは、若くして亡くなった。
家族とお散歩をしているときに、人間の子供が道路に飛び出すのを身体で止めて、代わりに自分が飛び出してしまい、そのまま暴走してきた車にはねられてしまった。
車はそのまま走り去ってしまい、ミーちゃんの家族は大きなミーちゃんをかついで動物病院へ行ったそうだ。
そして、その次の朝亡くなった。
自分と乳母を殺した相手を結局探せたのかは知らない。

その後数ヶ月は、その家の小さな子供が言っていた。
「今日はお散歩にいかないの?」
ミーちゃんがいつもお散歩に連れて行ってもらった時間に、決まって言うのだ。
その声が、私には胸がぎゅっと絞られるように痛かった。

(10話へ続く)

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