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小説『犬も歩けば時代を超える』(5話目)

5話 犬千代、凍死の危機!

犬として生まれた家では、生まれたばかりということもあるが、室内の温度はずっとヌクヌクと一定温度だった。

しかし、現実は外の季節は冬真っ盛り。
私・犬千代の生まれ変わりであるチワワが他家に買われていった日も、雪でも降るのではというくらいの寒さだった。

でも、この震えは寒いだけではない。
不安や恐怖もある。
戦国時代の一国の城主の息子として生きた犬千代であれば、怖いものなど無かった。が、今は小さなチワワで、要らないと放り出されれば凍死は免れないだろう。

この不安は、肝心の生まれ変わってまで会いたかった「母・桔梗の方」の生まれ変わりが、何とあろうことか、

『犬嫌い』

と、分かったことにある。
せっかく会えたのに親子の名乗りどころか、もしかして里へ返されるか、外に捨てられでもしかねない勢いだ。

「お母様、私です。犬千代です!」

お母様に詰め寄りたい気持ちだった。
だが、犬嫌いの母は恐怖の目で私を見ながら後ずさりをしている。

ここで私がしゃべると、犬の声は「ワン」とか「キャン」とかにしかならず、どうもそれはお母様の犬嫌いを刺激しそうに見受ける。
ちょっと黙っていたほうが良さそうだ。

少しずつ日々、お母様の様子を見ながら近づいていく、というのが得策のような気がする。

「さぁ、お母さん。この子犬の用意を何もしていないから、これからホームセンターに色々買いに行こう。子犬に何が必要なのか分からないから、この子を連れて行って店員に聞いてみようじゃないか。」
父親がそんなことを言い始めた。

どうやら私が暮らしていく用意はされてなく、犬の飼い方も知らないようだ。
わざわざ私を迎えにきたわりには、結構安易ではないか?
不安は増大しはじめた。

私が生まれた里の絵美さんは、犬の習性も世話も熟知していた。
必要なものは揃っていて、不安なところは一つも無かったものだ。
この家族で果たして私は大丈夫なのか?

「お母さん、バックは持ってあげるから、代わりにハイッ!」

思案して勝手に不安にふける私の身体が、ひょいと宙に浮いた。父親が私を抱っこしたのだ。
そして、目の前のお母様の腕に「ハイッ!」という声と共に渡した。
お母様は一瞬避けようとしたのに、無理やり抱っこする形になってしまった。

「ちょっと、ねぇ、ちょっとこの子・・・。」

お母様の身体が強張っているのが分かる。冷や汗もかいているようだ。
そんなお母様を置いて、この家族は玄関から出ようとしている。

「お母さん、早く早く。ホームセンターへ行くよ!」

人間の子供たちが、固まったまま呆然とする母親を呼んでいる。
お母様はハッと我に返って、弾かれたように私を抱いたまま玄関を出た。
冷え切っている車に乗り込んだ。

お母様は全く声を発しなかった。
私のことが怖いのだ。
例え子犬でも、犬嫌いの人間は怖く感じるものだというのは、私は自分が人間の時から知っていた。
ちょうど戦後時代で私を世話した爺やが、犬嫌いだったからだ。
私を抱くお母様の腕からは、私を可愛いと思ってくれるどころか恐怖の感情が伝わってくる。
再会を気がつくこともなく、

(何をブルブル震えているのよ。犬でしょ?天然の毛皮を着ているんだから、寒いわけないわよね)
という嫌気に近い気持ちさえ伝わってくる。

犬に生まれ変わって分かったことは、人間でいた時よりも人間の心の声が聞こえることだ。お母様は今、私の存在にかなり腹を立てている。

(世話はどうするのよ。私はいやよ!だから絶対反対したのに!)
(勝手に買ってきて!毛が飛散するし、私は喘息なのに!もう返品できないのかしら?)

次々に飛び出すお母様のマイナスな声。私の震えは一層ひどくなった。
寒さに怖さに、プラス絶望感。

「どうしたの?なぜそんなにブルブル震えているの?」
お母様は私の顔を覗き込んだ。

私はお母様が着ている緑色の美しいセーターという着物に、ひっしと爪でつかまった。私はもう必死だった。
心の中で、

(お母様ー!)
と叫び、実際は鳴き声を上げないようギュッと目をつぶった。

しかしそのまま疲れもあって、お母様のぬくもりの中でウトウトしてしまった。
いつの間にかお母様は、自分のコートの前をかき合わせて私を包んでくれていた。
こんな私を、犬千代と知らないでも哀れと思ってくれたのだろうか?

お母様から我が子と気づかれもせず、犬として嫌われて。
それは戦国時代にお母様の制止を振り切って出陣し、悲しみと孤独を与えてしまった罰なのだろうか?

「ねぇ、この子不思議よ。犬嫌いの私の腕の中で、必死にセーターにつかまりながら寝ちゃったわ。スースー寝息たてているわ。」
お母様が言っている。子供はその様子を見て

「本当だ。あ、セーター爪でダメになっちゃうよ。」
と言ったが、お母様はシーっと言って、私を抱きしめるようにくるみ続けてくれた。

「たいていの犬は、私が犬嫌いって気がつくとずっと吠えて、牙をむき出しなのにね。」
お母様の腕が心なしか緊張が抜けている。

(お母様、お母様・・・・)
私は、犬千代として再会できない今でも、再び母に抱かれることが何て幸せなのだろうかと思った。

しかし、私の受難は実はこれからだった。
「犬を飼う」ということを実は全く予備知識がなかったこの家族。
かなりやっていることが無茶苦茶だった。
話を聞いているだけでも、

「おいおい、この私をどうしようというのだ。」
と不安この上ない。

基本的に衣食住がなんとかなれば良いのだが、どれも心もとない。
とりあえずご飯は絵美さんが持たせてくれた一食分。

トイレシーツはどうするのか分からないようで、とりあえずダンボールに敷いている。
そこでオシッコしてしまうと、今夜はビショビショのまま寝るのか?

しかも、私のチワワとしての毛は生え変わる時期にあって、結構ハゲかけている。
ダンボール箱に薄っぺらい毛布一つをかけて、冷たい板の床に置かれた。下に沈んだ冷たい空気は私の肌を刺すようだった。
私はクルリと丸まってうずくまった。

「おや?眠たそうだぞ。では毛布をかけてあげて、静かにここに置いておこう」
と、この家族は言い始めた。子供たちは、

「また明日ねー。おやすみなさい。」
と、笑顔で私に言うと家の階段を昇っていった。
どうやらこの家には二階があるようだ。そこに寝床があり寝ているのだろう。
私は連れて行ってくれないのか? 寒々としたこの部屋に置き去りか?

「ねぇ、待ってよ。このキッチンの暖房消したら、夜中はすごく寒いのよ。毛布一つで、いくら犬といっても赤ちゃんだから凍死しちゃうわ。」

お母様は家族に言った。

「じゃあ、湯たんぽでも入れておくか?」
父親が言った。するとお母様は、

「朝までに冷めてしまうわよ。だからといって熱すぎるのを入れてしまうと、この肌だときっとヤケドしてしまうわ。」
と、何か私を暖めるものを探し始めていた。

「おい、暖房一晩中つけるなよ。電気代かかるよ。」
父親が言った。それは確かにそうだ、戦国時代も薪は貴重だった。
だが、この寒さの中、父親が子供と共に貰い受けてきた私の命がかかっていると思うのだが。

「人肌くらいが丁度いいと思うのよ。何がいいかしら。」
さすが、お母様はどんな時も母親なのだ。視点が違うように感じる。
が、お母様の心の声は、

(明日ここで凍死されたら、死体処理は私じゃないの!)

という酷いものだった。
私の死体処理?やっと出会えたというのに。
そこでお母様はぽんと手を打って言った。

「私が抱っこして寝るわ!」

私はビックリしたが、父親もかなりビックリしていた。
犬嫌いが抱っこして寝る?
お母様は私を毛布でくるむと、自分の布団に連れていき、私をつぶさないようにと気を使いながら眠りについた。

戦国時代のお母様の香りとは違うが、お母様の香りには違いない。
このぬくもりと息遣い。私も再びウトウトし始めた。

・・・・・・と、暑くて目が覚めた。

どうも布団とお母様の体温の相乗効果で、寒いどころか暑くなってきた。
私がゴソゴソと布団を抜け出そうとすると、お母様がピシャリと言って連れ戻した。

「お布団に入りなさい!風邪ひいちゃうでしょ!」

戦国時代には乳母と爺やに育てられた私だったので、このお母様のお叱りはかなり新鮮な感じがした。
そんな布団攻防が一晩に何回も繰り返され、結果抱っこしたままお母様と朝を迎えた。

私とお母様の、新たな夜明けだ。

(6話目に続く)

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