【年齢のうた】森高千里●女盛りは19だと!?「私がオバさんになっても」
セミの鳴き声が暑さを加速させる日々。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
フジロックが目前に迫り、わが家は準備の毎日です。
宿泊用の荷物を送ったり。タイムテーブルを確認したり。昔に撮った映像を見返したり。観る予定のアクトを聴いたり。天気を気にしたり。乗車予定の切符がどっか行ったと騒いだり(発見)。
海外アーティストも次々と来日しているはず。
うちはずいぶん前から家族でフジに行ってるのですが、さすがに3日間すべてはムリでして(前夜祭も入れると4日になる)。それでもやっぱり楽しみは楽しみですね。
そんな中で、仕事をこなしながらの毎日ですわ。
ではでは。今回は森高千里です。
90年代序盤にブレイクした森高
森高千里に関しては、以前「17才」のカバー曲の回で書いたことがある。この南沙織のカバーは、1989年のリリース。
当時の彼女についての記憶は上記の回でかなり書いている。初期は一部のファンに人気が高い印象だったが、デビューから3年目の「17才」のヒットでかなりオーバーグラウンドに浮上した感がある。
森高はその後、ヒット曲を多数リリース。そのたびに話題を振りまき、一般の歌番組に出るようになったり、その一方でアルバムやライヴが評判になったりして、90年代に入る頃にはすっかり人気アイドルになっていった。ただ、曲作りを行ったり、ドラムを叩いたり、ずいぶんユニークな曲を唄ったりで、並の存在ではないことも知れ渡っていった。
とくに1990年リリース、歌詞に初来日をした直後のストーンズの名前が出てくるロックンロールの「臭いものにはフタをしろ!!」は当時の人々に「このシンガーはただ者じゃない」感を植え付けたはずだ。
この頃の森高千里は、時代を象徴する存在と言っていいぐらい、冴えまくっていた。
そして今回書く「私がオバさんになっても」は、森高の人気が確立しようという時期に発表された、彼女の代表曲である。
カチンと来たことから生まれた「私がオバさんになっても」
「私がオバさんになっても」のリリースは1992年6月。今から32年前である。
作詞は森高自身、作曲と編曲は彼女の作品でも多数活躍している斉藤英夫。
爽やかなポップソングである。しかし歌詞には、年齢を重ねても、恋人が自分のことを愛し続けてくれるだろうか?という複雑な思いが描かれている。
そんなわけで、ただのラブソングではない。先ほどの「臭いものにはフタをしろ!!」同様、かなりの含みがある曲なのである。
そしてこの歌には、年齢に言及した、非常にインパクトの強い箇所がある。
若い子が好きだという彼が以前、女ざかりは19だと言った、というのだ!
あれは冗談だったと言ってキスでごまかしたという彼だが……なんと失礼な!
この歌に関して、以下のような記事を見つけた。
この曲以外にも自ら歌詞を手掛けてきた森高は「私の場合、曲があってそれに詞をつけるんですけれども」と、いわゆる“曲先”であることを説明。
その上で、「私がオバさんになっても」は、「ある人に、スタッフに『女盛りは19(歳)だよな~』みたいな感じ、たぶん軽い気持ちで(言われたことが)あって、ちょっとカチンと来て、詞にしよ!っていう。私たぶんその時はハタチ過ぎてたんで、え?みたいな。私はどうなの?みたいな感じで」という経験から生まれたことを打ち明けた。
また、「女の子はやっぱりいつまでたっても男の人に優しくしてもらいたいし、デートも色んな所に連れて行ってもらいたいなっていう気持ちも込めて書きました」とも話していた。
森高本人の説明である。元々は、周りの男性スタッフが思わず漏らしたひとことが発端になってできた曲のようだ。
彼女が頭に来たことがきっかけになっている事実には、「臭いものには~」と共通する部分を感じる。
そしてこの、女盛りは云々……という言い方である。
こうした言葉は、30年以上も前の時代には、たしかに平気で使われていた記憶がある。しかし今であればツッコミどころ満載というか、もう非難殺到な表現になるだろう。
とにかく、女性に対しての無礼な言い方や、その根底にある価値観、さらに、その押し付けぶりがひどい。
このへんの詳細は省くが、「私がオバさんになっても」は、そんな時代背景あっての作品に間違いない。それゆえにこんな歌詞は、今の作詞家やアーティストには書けないのではないかと思う。そもそも、何かと批判が起こりそうだ。
それこそ不適切にもほどがある、「ふてほど」だ。
ただ、今は許されないとは言え、当時はこういう見方が当たり前のようにまかり通っていた。そう言うしかない。
もっともこうした「若いほどいい」みたいな見方、考え方は、今はそこまで表立たないようになっただけで、何だかんだ、まだ根付いているところもあると思う。
それにしてもすごいのが、今でも森高はシンガーとして活動し、ステージに立ち、唄い続けているということだ。
そして彼女は今もこの歌を唄っている。
とても素敵だと思う。