【年齢のうた】河島英五 その1●父が見つめる息子の姿、「野風増」
前回ちょっとだけ触れたように、週末から島根に帰省してきました。
父親の七周忌の法事に参加するためで、子供と一緒に2泊ほど。ただ、丸2日もいなかったので何かと慌ただしく、ここに書くようなことも何もしておらず、写真もなく。ですね。
東京でバタバタと仕事をする合間の3日間だけ、まるでエアポケットのように島根にいた感じでしたね。でも親族に会えて、良かったです。みんな元気でな~。
そして帰京してから、またバタバタと働いています。まあ、いろんなことがありますけど、仕事があるのはありがたいことですわ。
今回は河島英五の1回目です。われながら渋い。
武骨さと繊細さが交差するフォークシンガー
河島英五というアーティストのことを、今の音楽ファンはどのぐらい知っているだろう。大人の年齢の方ならともかく、若い人はそれほど知らないのではないだろうか。
よく聴かれているのは「酒と泪と男と女」だろうか。もっともこれは競作で、たくさんの歌手が唄っている曲だ。その中でも河島のバージョンはかなり親しまれているほうだろう。
かく言う僕も、彼のことはそれほど詳しくは知らない。
過去にここで書いたことがあるが、大阪での大学時代、深夜のテレビを流している時にコンサートのCMを見かけることが多かった。その中で実際にライヴを観に行った人はあまりおらず、たとえば尾崎豊などはそうだった。僕は尾崎を生で観たことがない。
その深夜のテレビで、河島英五のコンサートのCMも何度か目にした。バックで流れていたのが「野風増(のふうぞ)」である。
すぐに、いい歌だな、と思った。ただ、その時の好きな度合いはそう大きくはなかった。それに当時は主にロック系のアーティストのライヴを観に行っていたので、この人の歌を積極的に聴きに行こうという気にはならなかった。
結局僕は、生前の河島英五もまた、一度も観る機会がないままだった。そして彼は2001年4月、肝臓疾患で亡くなっている。
それからも時が経った。自分には、昔はさほどでもなかったが、今は違う気持ちでいい曲だなと感じる音楽が増えていた。たとえば村下孝蔵のように。
河島英五のことも少しは知るようになった。たくさんのいい歌を唄ってきたフォークシンガーであることもわかっているつもりだ。彼の歌の武骨な魅力も、その中に繊細さが宿っていることも。
そしてある時、気付いた。「野風増」は年齢ソングだったことに。
二十歳になった息子を想像して
お前が二十歳になったら、という唄い出しを持つ「野風増」は、男親の気持ちが描かれた曲である。ちなみにシングル盤のタイトルには「野風増(お前が20才になったら)」とある。
その後、焼酎とかスルメとか、ともに酒を飲むことが唄われている。
その子は男子で、サビ付近では「男たるものこうでなければ」的な言葉が唄われている。生意気であれ、とか、夢を持て、とか。
ちなみに野風増(のふうぞ)とは岡山地方の方言で、生意気だとか突っ張るという意味がある言葉なのだという。僕は島根の生まれで、岡山は近いと言えば近いのだが、このことはまったく知らなかった。
こういう歌を今の価値基準で聴くと……男だからどうこうとか、女だからああせえこうせえとか、ほんとに昭和の歌だなぁと思う。
ただ、それで現代の感覚でもって、いいとか悪いとか言うことはとても簡単だ。でもあの頃はそういう時代だったと割り切って考えるしかないと僕は思う。
人間としての見方やマナーは時代性に応じて、刷新して必要がある。しかし歌は、その当時に残された作品なのだから、話が違う。
もっとも、そういう旧態的な価値観のせいで生きづらいところも多分にあったのだが。
「野風増」にある「男たるもの」感は二番も同様で、女の話とか旅に出るのもいいとか、昭和感がさらに増していく。こうした野太さと情の厚さがこの曲の魅力であることも、間違いない。
こんなふうに「野風増」を聴きながら、河島英五は自分の息子に対してこう思っていたのかな? そんなふうに捉えていた僕だったが、やがて思ってもなかった事実に行き当たった。
「野風増」は河島自身の作ではなく、まったくの他人のカバー曲なのだ。しかも先ほど書いた「酒と泪と男と女」のように、競作になるほどの歌だったのである。
「野風増」の作詞は伊奈二朗、作曲は山本寛之。元は山本が1980年に唄って発表した曲なのだという。
そして、この父性あふれる歌詞を書いた伊奈二朗という人は、岡山県の警察官だったということが下記に記されている。それでこの曲では野風増という岡山の言葉が使われていたというわけだ。関心がある方はちょっと見てみてほしい。
そうか、これは河島英五本人のメロディでも歌詞でもないのか……。僕は驚きながら、彼がこの歌についてどんなふうに思っているのかを知りたくなった。
そこで手に入れたのが『エバーラスティング』という本だ。河島が平成5年(1993年)の4月から翌年9月まで、毎日新聞の日曜版に連載していたエッセーをまとめたものである。
この中に「野風増 のふうぞ」という回がある。河島はこう書いている。
この歌も歌い始めて、かれこれ9年。幼かった息子も小学5年生だ。
はたちになったら一緒に酒でも飲もう、なんて照れ臭くて言えそうにないな、と言っていたが、ドロまみれになってラグビーボールを追いかける姿を見ていると、そういうのも悪くないなと思い始めている。
男らしくてやさしい人になって欲しい。
「男らしくて」という言い方が、やはり昭和の人だなと思う。
そして河島は、やはり「野風増」の主人公像と重なる部分が多い人だったのかな、と感じた。
(河島英五 その2 に続く)