【年齢のうた】YOASOBI●17歳の主人公の物語から生まれた「セブンティーン」
大吉!
僕が10代の頃によく食べたカップラーメンなんですが、先日コンビニでまさかの再会。北海道限定の商品になってるの? 焼きそば弁当ってやつも、北海道限定ですよね。
しかし現在の大吉、おみくじがフタの裏にプリントされているとは。それも大吉とか中吉とか、くじの結果は記載されてないって……それじゃこの商品名の意味があまりないのでは。
ちなみにクオカードは外れました。あ、その当落含めおみくじってこと?
味は塩コショウが強くなった気がしたけど、なにぶん数10年ぶりに食べたので、断定するほどの自信がないですな。
しかし僕、ラーメンの画像を上げることが多いな。決してラーメンばっか食べてるわけではないですけんね。
さて今日もまた17歳についての歌。
YOASOBIの「セブンティーン」です。
攻撃的かつ冒険的なYOASOBIサウンド
YOASOBIと言えば、現在、最新シングルの「アイドル」が世界レベルで注目を浴びているところ。たしかに歌詞もサウンドも、ものすごい楽曲である。
ポップで、スピード感があって、しかもその中に狂気も邪悪さも潜んでいる。とにかく圧倒的だ。
ついでにこの曲には、僕が子供の頃から観てる『ゲッターロボ』絡みの話題もあって、それにも驚愕した。なんでも「アイドル」とゲッターの「STORM」とつなげても違和感がない、とのことらしい。
で、「セブンティーン」のほうはこの曲の前、今年の3月にリリースされていたシングル曲。「アイドル」がなにかと話題に上がりまくっている現状だが、この「セブンティーン」のほうも相当にとんでもない曲である。
こちらもまた闇があり、せわしなく、そして爆音が駆け抜けるナンバー。
本題の「セブンティーン」に入る前に、YOASOBIについてちょっと。あらためて感じたのだが、このふたりが表現する音の世界は本当にすごいことになっている。
そもそも一般的に知られている「夜に駆ける」や「群青」、「ツバメ」などのヒットソングはポップネスのほうが際立っている感があった。
しかしこのところは、もはやそうしたものを超えた音を奏でている。
YOASOBIは、自分にとってはさほど近い存在でもないと思っていた(昨年行ったフジロックで、もしかしたらライヴが観れるかも、という可能性があったぐらい。結局メンバーのコロナ感染で出演がキャンセルになってしまったが)。
ところが上記のように、楽曲をよく聴くと、このふたりは世間のイメージ以上に、音楽的にはかなり攻撃的な、冒険的な側面がある。
また少し、話を変えたい。
そもそもこのようにメジャーな場所でコンスタントに活動を続けているアーティストというのは、厳しい状況下でさまざまなバランスをとることに長けているケースが多い。ハードなスケジュール、クライアントからの要求のハードルが高いタイアップ、ライヴやテレビ出演、などなど。そうしたビジネスにまつわる物事において、あらゆる可能性、そして創造性という枠の中すべてで、どこの何を落としどころとし、その中でも何を突出させ、どれを強く打つのか。そこが重要なのだと思う。その最上の着地点を突き、作品化できることは、ものすごく才能を持つ者だけがなしえることだ。
この言い方を変えれば、これらをうまく実現することができず、ここから脱落していったアーティストもいると思う。ただ、ビジネス面はともかく、アーティストとしての創作活動においてそのことがいいか悪いかは、また別の議論になるが。
ともあれ、YOASOBIはそうしたポイントをしっかりと撃つパワーを持つユニットだ。もともとが小説やイラストなど、別のフィールドのストーリーを音楽にしていくスタイルなだけに、そうしたコラボ、つまり他者との協調、共振こそが身上としているところではあるのだろう。しかしそれを差し引いても、破格だと思う。
たとえば前出の「アイドル」は、ご存じの方も多いだろうが、アニメ『推しの子』の主題歌。「セブンティーン」は、宮部みゆきの短編小説が題材になっている。
宮部みゆき作品の17歳の少女の感情を、アグレッシヴに表現
「セブンティーン」という曲のモチーフが宮部みゆきの作品だということを意外に思う人もいるかもしれない。現在20代であるYOASOBIのふたりからすると、かなり上の世代の作家だからだ。
そもそもこのプロジェクトは、直木賞受賞歴のある作家4人による短編集『はじめての』に収められていた作品をYOASOBIが楽曲化していくものとして始まっていたという。その4作の中で、宮部作品『はじめて容疑者になったときに読む物語 「色違いのトランプ」』を音楽にした「セブンティーン」は一番最後のリリースとなった。
当該小説の冒頭部分がここで読めるので、リンクを張っておく。
並行世界を描いた、SF的なストーリーである。
そのため、この年齢ソング「セブンティーン」もフィクションの世界を描いている。歌の主人公はその並行世界に生きる、自分自身と対照的なもうひとりの自分についても唄っているのだ。
さて、このように主人公を17歳(と7ヵ月)という設定にしているのは、作品をポップにする上で、ひとつの重要な要素なのだと僕は考える。
ここでその子は女子で、高校生。10代のこの時期はあらゆることを抱えがちで、何らかのストーリーを創作するにおいてはぴったりの年代なのだと思われる。というのは、自我が目覚め、背伸びをしたかったり、反抗的なところがあったり、夢や理想を持とうとしていたり。この物語では親との関係も描かれているし、また、ポピュラーなところでは学校や、それに社会との関係もあるだろう。
と、さっき書いたようなことは、実は僕がずいぶん昔に考えてたようなことである。おそらくはその後、ポップカルチャーを享受する年齢層は、下の世代にもだが、何よりも上の世代に向かってうんと伸びて、こうしたものを楽しむのは現在、中年はもちろん、老年層にまで及んでいる。
それは創作上の登場人物もしかりで、それこそ僕らの頃は若い兄ちゃんが変身するのが当たり前だったウルトラマンや仮面ライダーだって、主人公が大人の年齢だったりしているほど。だから10代こそが最高だとか、青春時代こそが物語のテーマにふさわしいとか、今や全然思わない。
ただ、それでも、こうしたクリエイティヴな世界では、10代というのは依然としてポピュラーな年齢なのだと思う。絞るなら、主に13歳ぐらいから上、だろうか。そこもストーリーや作者によっていろいろあるだろうが、その中でも17歳というのは多いほうの年齢設定ではないかと思う。
それに主人公がこのぐらいの年齢だと、読者、受け手側も、気持ちを寄せやすいのではないかと思う。同年代などの近い年齢の人はもちろん、たとえばすでに17歳を超えてしまった人でも、自分がそのぐらいだった頃と重ね合わせて捉えやすいはずだから。
宮部みゆきのこの短編では、そうした17歳の、ただしちょっと普通ではない女の子の心の内と直面する物語が描かれている。もっとも彼女は、かなりアグレッシヴで、前向きな性格だ。
それを受けるようにYOASOBIは、このストーリーをハイクオリティなポップミュージックに、見事に結実させている。Ayaseによるエレクトロなテイストの豪胆さも、ikuraのヴォーカルの切れ味も、素晴らしい。
この音像の向こうで、物語の主人公である17歳の夏穂が躍動している。
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