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【オトナになることのうた】RCサクセション●大人だろ勇気を出せよ!「空がまた暗くなる」

10月になりまして。

9月の最後はタック・スミスを観てきました。ロックンロール! 今どきこんなの!? でも最高! なね。


10月に入ってからは、羊文学。自然体で、だけどすごくいいライヴでした。バンドの大いなる成長を感じた。


あと、歌ものポップを追求するバンド、Guiba(ギバ)に僕がインタビューした記事が公開されているので、ぜひ読んでください。聴いてください。


わが家は先日、炊飯ジャーを新調しました。なんと10数年ぶりに。これだけ経つと家電なんていろいろ進歩しちゃいますね。しかし廃棄するやつも今回のもIH炊飯だった。で、新しいのはスマホ対応のモデルではないという。べつにいいけど。
おいしく炊くための設定や水の量などを模索中。

ではでは、【 #オトナになることのうた 】を始めます。

RC、そして清志郎の思い出


大人についての歌、あるいは大人になることを唄った歌を考える時に、頭の中に何曲か、思い浮かぶ作品がある。
そのひとつがRCサクセションの「空がまた暗くなる」だ。

RCサクセションは、忌野清志郎が1968年に結成し、1970年にレコード・デビューしたバンドである。当初はフォーク・バンドだったが、低迷したのちに仲井戸麗市が参加するなどの時期を経て、ロック・バンドとして人気をものにし、成功するに至る。

RCは、今では80年代を代表するバンドのひとつとして認知されている。

僕は、80年代のRCはひとりのファンとして聴いていた。90年代半ばに今の仕事をするようになった時、このバンドはもう存在していなかった。

やがて清志郎にインタビュー取材をするようになった。その場は、主に『テレビブロス』誌上だった。

そんなつながりもあって、1998年のアルバム『Rainbow Cafe』のリリースの際は、PR用のフライヤーに寄稿している。この年の清志郎はフジロックへの初出演などがあり、思い出深い。

また、清志郎が『瀕死の双六問屋』というエッセイ集を2000年に出すにあたっては、本人に話を聞くなど、少しお手伝いをした(僕の名のクレジットは入っていないのだが)。これは付属のCDもいい内容であった。

先ほどの『テレビブロス』でのインタビュー記事などは、清志郎が亡くなったあとに『みんなの忌野清志郎』という増刊となってまとめられた(連載の期間内のものなので、収録されなかった記事も少しだけある)。

近い時期には、『忌野清志郎の世界』という豪華本において、彼が作った作品紹介の一部を執筆した。

それから1987年のソロ活動初期をまとめたムック本でも、ほんのちょっとだが、寄稿している。


清志郎がこの世を去って15年が経ったが、僕は今でも彼のことを思い出す。初めてRCを観に行った18歳の夏のこと。そのあとにソロ活動をしはじめた時のこと。ザ・タイマーズを生で観た時の興奮。インタビューで会うようになって、その席でいつも見せた受け答えの自然体な感じ。時おり見せるユーモアのセンス。ある時は取材の最後に、同席した編集者が「青木さんのことはどうですか?」と振ったら、清志郎は「青木さんは、ページ数は少ないのに、いつもたくさん話を聞いてくれて、ありがとうございます」と言ってくれたものだ。

自分が彼を観た最後は2008年4月、東北のARABAKI ROCK FEST.でトリを務めた夜だった。最後にステージ裏にバンドに参加したメンバーたちに集まってもらって、その真ん中にはカメラに向かって親指を立てる清志郎の姿があった。

とても素敵な人だった。ロック・シーンでは間違いなくキングであり、存在感も貫禄も充分にあった。なのに、ふだん顔を合わせると、偉ぶるところがなかった。シャイで、かわいくて、不思議な人でもあった。そんな中で僕は「ロック・アーティストって、こういう人のことを言うんだろうな」と思っていた。

つい、思い出話になってしまった。

大人の清志郎が大人に向けて唄った「空がまた暗くなる」


今回紹介する「空がまた暗くなる」はRCの末期の曲である。1990年にリリースされたオリジナルアルバム『Baby a Go Go』に収録されている。

<おとなだろ 勇気を出せよ>という唄い出しを持つフォーク・ロック・ナンバーだ。


ああ、あの曲か!と思ってくれる方も多いのではないかと思う。

この歌は今でも親しまれていて、2015年にはドラマの主題歌になっている。

今年2024年には、女子のバンド系アニメ(この10数年よく聞く)のエピソードのタイトルに使用されていた。


とはいえ、1990年のリリース当時は、あくまでアルバムの中の1曲という印象だった。先行シングルになった「I LIKE YOU」とか、「Rock’n Roll Showはもう終わりだ」「あふれる熱い涙」といった曲のほうがクローズアップされていたと記憶している。


この頃のRCはメンバーが次々に抜けて3人になってしまい、かなり特殊な段階だった。まあ80年代の半ば以降のRCは、つねに特殊な時期だったと言えるのだが。
それもあるのか、数あるRCの名曲の中でもこの歌はやや特別な立ち位置にある気がする。サウンド的にもロックというよりフォーク・ロックで、清志郎のソロに近い感じも匂う。

この歌は<おとな>の背中を押す。勇気を出せよ、と唄いかける。

悲しい時も涙を見せられない、でも頑張るんだ、と。
子供の時の君みたいに勇気を出せよ、と。そう唄うのだ。

そのあとの、道に迷わずに君の家にたどりつけるさという描写についての解釈は、それぞれあるだろう。
僕自身は、君が行こうとしているところ、君が本来あるべきと思っていた姿に到達できるはずだよ、と。そう唄ってくれているように感じる。

ちょっとずつ大人の年齢になろうとしていた僕は、この歌を聴いて、あるいは思い出して、時々泣くことがあった。
もちろんそんな姿は、誰にも見せられない。


昔から「空がまた暗くなる」に深く感じ入っていたファンはいただろう。ただ、今のように、もっと一般的に評価されるようになったのは、それから何年も経ってからではないかと思う。

理由のひとつとして、1990年当時よりも、そののちのほうがこの歌を耳にした大人世代が増えたからだと、僕はにらんでいる。

あの頃、清志郎は39歳だった。発表時の1990年は、80年代にRCの音楽にやられてしまった者のほとんどは、まだ10代から20代。もちろん30代のファンもいたとは思うが、割合として、そこまで多くはなかった。だから大人に向けて唄われたこの曲がダイレクトに刺さる人は、そんなにたくさんはいなかったと思う。
僕自身は「もう大人の年齢になった清志郎だから唄える歌なんだろうな」と感じながら聴いていた。清志郎は、ずっと上の世代の人だと思っていた。

しかし今、この2024年では、あの頃すでに大人だった人も、まだ少女、少年、あるいは子供だった人も、幼児も、あるいはこれらのどれでもなかった人も、だいたいが大人になっている。
もちろんそれ以降、うんと若い世代でも、この歌が好きな人はいるだろう。しかし聴く側の比率は、リリース当時と大きく変わっている。年長の層が圧倒的に増えた。

昔は、ロックなんて音楽は、大人になったら卒業するものだと言われていた。学校を出ると、仕事をするようになると、家庭を持ったりすると、聴かなくなるのが普通だった。「そんなうるさい音楽、まだ聴いてんの?」という言われ方が、当たり前のようにあった。

1990年頃は、その流れも変わりつつあったとは思う。しかしそれでも、大人の年齢の人間が遊んだり、人生を自分なりに楽しんでもいいという風潮は、今ほどなかった。
個人の価値観や感性より、何でもかんでも、右にならうことのほうが普通とされていた。まあ、それは現在でも似たところはあるか。


清志郎はRCの活動を終えると、ソロ・アーティストに転じた。また、ラフィータフィーのような自分をメインとするバンドでの動きも展開した。そのどちらでもRCの曲を唄うことは多く、「空がまた暗くなる」が唄われることも時々あった。しょっちゅうではなかったが。

そんな彼のキャリアにおいては、歌の内容が問題視されて、レコードやCDが発売禁止になったことが何度かある(有名なのは、そう、『カバーズ』事件だ)。

その中で、「空がまた暗くなる」が存在感を見せた時があった。

あれは1999年のこと。清志郎が演奏して唄う「君が代」の発売が見送られてしまうという事件が起きた。あまりに騒々しいこのバージョンを世に出すことに対して、レーベル側が何かまずいことが起きないかと、不安を抱いたのだろう。
この一件は世間の注目を浴びることになった。新聞のニュース欄やテレビの報道でも取り上げられるぐらいの騒動に発展した。

この喧騒の最中、僕は何かのイベントで、バンドとともに出演する清志郎を生で観た。
そして彼はその場で「空がまた暗くなる」を唄ったのだ。

そう、唄い出しは<おとなだろ 勇気を出せよ>である。

いきなりのそのフレーズに客席は大盛り上がり。
そうだそうだ! 発売をやめさせたあいつら、今こそ勇気を出す時じゃねえのか! 的な歓声が、会場中に響いたのだ。


僕は、自分の奥底からこみ上げてくる、熱い何かを感じた。

清志郎の音楽を……この歌が持つすごさを、全身で体感した瞬間だった。


(忌野清志郎 に続く)

先だっての山中湖畔での中華料理店にて、
フカヒレのスープはとくに印象深かった…
はむ、はむ、といただきましたよ

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青木 優
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