【年齢のうた】中川五郎 その3●20代の終わり、「十代から十年」の苦み
パリ五輪では、ブレイキンが観ていて楽しかったですね。
DJの選曲はどういう基準でされているのか、ちょっと気になります。
閉会式も少し観ました。事前の情報通りトム・クルーズからのレッチリ(意外な選曲)、ビリー・アイリッシュ、スヌープ・ドッグ(+Dr,ドレ)と、じつにアメリカンな感じ。その前のフェニックスとエズラ、それにエールの演奏も良かったですが。
フジロックとかぶったせいもあってあまりチェックしてなかった開会式も、そこそこアメリカ寄りでしたよね。他の国のシンガーも出ていましたけど。まあ次がロス五輪ってのがあるんでしょうけど。
そんな中で、以下のようなサエキけんぞうさんの指摘があり、関心を惹かれました。
カトリーヌか!
ひさしぶりに名前を聞いたな~。
すごい変貌ぶりである。
ただ、そんな面白さを感じつつ、期間中のマスコミは何もかもオリンピック一色になってしまうのはどうかと思いました。これは何10年も前からのことですが。
他国ではどうなんでしょうね。
ほかに最近の僕は、ザ・カレーズというバンドを観に行きました。ポストパンクにして、ファンク。トーキング・ヘッズ直系というか、何というか。
このバンドと、ラジカセ狂気というアーティストとの共演。面白かった。
阪神タイガースでは、髙橋遥人投手の3シーズンぶりの勝利に感動しました。コロナ禍の途中までの彼は、投げすぎなくらいでしたからね。復帰と勝利、おめでとうございます。
しかしアレンパはかなり難しい状況になりました……くぅ~。
まあ、そういうチーム状態ですから、仕方ない。
ではでは、中川五郎の3回目です。
20代後半の中川五郎
前回は、中川が1976年に発表した2作目のアルバム『25年目のおっぱい』とそのタイトル曲を中心に書いた。
ここで紹介するのは、音楽評論家の田家秀樹による中川へのインタビューである。
フォークシンガー・中川五郎のキャリアを追う対話の中には、先の「25年目のおっぱい」について言及されている箇所もある。
中川:周りを見ると1970年代に入ってフォーク・ソングが変わっていって、もちろん高石ともやさん、岡林信康さんとかの時代から乱暴な言い方をすれば吉田拓郎さんとかが出現して、井上陽水さん、かぐや姫とかフォーク・ソングがかなり違うものになって、呼び方もニューミュージックみたいになったりした。そうすると60年代のようなプロテスト・ソング、メッセージソングは時代遅れというか、「まだそんなの歌っているの?」って言われるようになって。みんながどういうことを歌うのかと言うと、ラブソングとかファミリーの歌なんです。僕もそれにはすごく共感したんですよね。自分たちの正直な暮らしを歌うことは素晴らしいし、背伸びをしたり頭でっかちにならなくても歌にできることじゃないかと思いました。でもまわりのニューミュージックを聴くと、妙に幸せだったり、あるいは妙に貧しさを美化してセンチメンタルな感じが多かったりして。そうではなくて実際の自分たちの暮らしをもっとリアルに歌いたいなと思いました。もちろんおっぱいを歌うことがリアルという短絡的なことではないんですが(笑)。
田家:そう、なんでおっぱいだったのかというのがとても重要ですよね。
中川:僕なりにプライベート、私生活、家庭、彼女との関係を歌うときの1つのキーワードとして「おっぱい」というのが1つのシンボルというか、自分の答えとして見つけたのかなという感じなんですよね。
おっぱいがひとつのシンボル! なんという表現だろうか。これぞ中川五郎の流儀。
そして今回の焦点は、この次作にあたるアルバム『また恋をしてしまったぼく』である。
田家:7年振りに発売されたアルバムが『25年目のおっぱい』で、その2年後に『また恋をしてしまったぼく』というアルバムが出ます。歌が作れないときと創作モードが変わったということでしょうか?
中川:そうですね。僕の中で私生活、夫婦関係、男女関係、子どもが産まれることとかが歌のテーマになったんですよ。なおかつ、1970年代に自分が20歳から30歳になり、パートナーを得て、子どもができてというプライベートの中で自分はひどい人間で、ひどいことをしていた(笑)。そういうことを正直に歌にしていた感じなんですけどね。
田家:そのときのことを本にお書きになっていまして、一緒に暮らしている女性との間にお子さんが産まれて、自分はフラフラと出歩いては飲んだくれてばかりで子育てにはほとんど協力しない、本当にひどい父親だったと思うというふうに(笑)。
中川:まさに本当にそうで、反省しなきゃいけないんですけどね。それを歌にすることで反省にはならないんですけども、でも正直に自分のひどいこととか、何をやっていたかは歌にしようと思った。それで割と歌ができてアルバムを作れたようなところがあって、反省ではないんですけどね(笑)。
詳しくは触れないが、ひどいことをしていた、そのおかげで歌ができてアルバムが作れた、しかし反省はしていない……。
これもまた中川五郎節、という気がする。
「十代から十年」で唄った「時は勝つ」ということ
このアルバム『また恋をしてしまったぼく』は、「十代から十年」という曲から始まる。
以下は、2012年に再発されたこのアルバムのCDに収録されている、中川本人によるライナーノーツからの抜粋である。
楽曲「十代から十年」について。
ぼく自身の高校生の時の恋愛体験と二十代になってからの体験を重ね合わせて作った歌。妊娠中絶を歌った重い内容の歌なので、作った当時ライブで歌うと客席の雰囲気が急に重く沈み込むのがわかった。同じテーマで作った歌は『25年目のおっぱい』の中にも入っている。
いろんな時に人は「時間が経てば大丈夫だよ」と言って悲しんでいる人は落ち込んでいる人を慰めるが、そんなことはすべてにあてはまらないと若い頃の僕は強く思っていた。しかし十代から10年生きてぼくが身をもって知ったのは、“時は勝つ”ということだった。
「十代から十年」はとても苦みのある歌であり、これにまつわる話にもまた、とても苦みがある。楽曲的にはアコースティックな響きが心地いいのだが、節々にその苦み、せつなさ、行き場のない感情があふれている。
時は勝つ。それは時間が経てば大丈夫とか、時が解決してくれるということではないようだ。
時の経過によって、あらゆることは移ろい、変遷していく。それは残酷でも非情でもあるし、また、場合によっては寛容で、優しや許しが生じることもある。そんなことを言っているのではないかと、僕は感じた。
とても10代では作れない、唄えない歌だと思う。
思えばこの頃の中川は、前回書いたような裁判沙汰をまだ抱えていた。子供がいながら、異性との関係は複雑なものになっていた(こちらは多分に彼自身の問題であるはずだが)。
20代を生き、徐々に大人の年齢へとなっていく中川にとって、この頃は何かとしんどいことを経験した時期だったのではないだろうか。
(中川五郎 その4 に続く)