【年齢のうた】神聖かまってちゃん その1 ●いかれたニートのせつなさ爆発!「23才の夏休み」
ちょっとボケてますね~、今回のヘッダーの写真は。すみません。でも載せたかったので。
文京区の護国寺にあるカフェリッチというお店で食べたランチのポークソテーです。気取らない、家庭的な味で、とてもおいしくて。そのていねいで誠実なお仕事ぶりを感じつつ、幸せなお昼を過ごしましたよ。
レトロな感じの店内は落ち着ける雰囲気で。こちらのランチタイムはちょっと変わっていて、食事は前金で払い、しかもフリードリンクで、帰る時にこのお膳をカウンターまで持って行って返すスタイル。ポークソテーは1000円でしたね。ウーロン茶とアイスコーヒーをいただいて帰りました。
料理って、作る方の人間性がどこかに出ますよね。それは音楽も、文章も……映像でも、どんな仕事でも、言えることのように思います。
GWは家族とともに、わりと近場に出かけています。コロナ禍以降のこの足掛け4年はだいたいそうですね。仕事も少しだけしていますが。おかげさまで自分たちは元気なので、そこは感謝しつつ。
では今回は、神聖かまってちゃんの曲「23才の夏休み」についてです。
の子が当時の自分のリアルを込めた「23才の夏休み」
神聖かまってちゃんがロックシーンに現れたのは、2009年のこと。その衝撃的な音楽の世界によって、いきなり台風の目のような存在となった。
その頃に僕もこのバンドのライヴに行って、破綻寸前のパフォーマンスに驚きつつ、過剰な表現が詰め込まれた楽曲に惹かれ、すっかり傾倒してしまった。とくにヴォーカル&ギターにしてソングライター、の子の異様な言動やたたずまいにはしばらく振り回されたほど。
当時のバンドを象徴する楽曲は、「ロックンロールは鳴り止まないっ」。
この曲を収録した最初のアルバム『友だちを殺してまで。』を翌2010年のはじめにリリースする頃、かまってちゃんは時代の空気を代表する存在として注目されていた。
何しろこのバンドが唄うテーマは、いじめ、ニート、やるせない学校生活。それにトラウマやコンプレックス、孤独に悲しみ。そしてインターネット文化。言うなれば、2000年代の若者文化のネガティヴな要素をブチ込んで爆発させたような音楽だったのである。
あとで舞い戻るのを前提に話をやや進めるが、僕はこの頃かまってちゃんにのめり込み、ことあるごとにライヴに押しかけ、4人にインタビューをした。千葉ニュータウンの、の子の自宅には3度ほど押しかけている。当時のマネージャー・劔くんの車に乗せてもらって。
その時の生配信がニコ動にけっこう残ってるので、一部を上げておく。
これは初めての子の家に行った時のもの。あまり雑然とした家で、圧倒された。
2回目は、この前の昼のうちに、野外での撮影中の生配信もした。そっちには『音楽と人』編集部の平林さんも映っているはず。
こちらの序盤に出てる男性は、同行したカメラマンの鈴木心さん。途中から僕によるインタビューになる。
この次の年である2011年には、かまってちゃんを中心に据えた映画が公開されている。実は僕はそこにもちょっとだけ出演した(全編観てもらわないとどの箇所かわからないが)。撮影時のロケバス車内で、森下くるみさんが気を遣って隣の座席を空けてくれようとした思い出がある。
そういえば、この映画に関連したトークイベントがあって、上映後に登壇して監督やメンバーと話をしたこともあった。
僕のこの手の出演の類は、あとは2017年の『孤独のグルメ Season6』「東京都文京区茗荷谷の冷やしタンタン麺と回鍋肉」の回ぐらい。まあ、それはともかく。
こうしてかまってちゃんは2010年の暮れにメジャーデビューし、シーンの前線で戦ってきた。僕はずっとこのバンドの取材をし、話を聞き、記事を書いてきた。
たとえば近年では、テレビアニメ『進撃の巨人 The Final Season』の主題歌として制作した「僕の戦争」のリリースタイミングで、オフィシャルのインタビューと原稿を担当。
同じ2021年の後半には、の子とmono、結成時のこのオリジナルメンバーふたりへのインタビューをしている。
と、自分がこんなふうに付き合ってきたかまってちゃん。そしてこのバンドの作品に、かなり早い段階で作られた、年齢についての楽曲がある。
「23才の夏休み」という曲だ。先ほど触れた、2010年の初アルバムに収録されている。
もともとこの曲は、その前に自主制作で出したCD-Rにも収録されていた。
続いて2011年、「23才の夏休み」は、4作目のアルバム『8月32日へ』にも収録。
そして2015年の『ベストかまってちゃん』では、でんぱ組をフィーチャーしたバージョンが新たにレコーディングされている。
こうした経緯を見てもわかるとおり、「23才の夏休み」は、の子にとってかなり思い入れのある曲ではないかと思う。
の子は1985年6月生まれなので、彼がこの曲を書いたのは2008年の夏から2009年にかけてのはず。
曲としてはアップテンポのナンバーなのだが、23歳当時のセンチメンタルな思いがストレートに表現された、心に迫るものだ。
描かれているのは、主人公である23歳の男が、夏の予定もないままにチャリをこぎ続けることへの思いについて。初期のかまってちゃんには「いかれたニート」という歌があるのだが、23歳になった当時のの子は、間違いなく、いかれたニートそのものだったはずだ。もっとも彼には音楽を作り、それで人生をどうにかしていこうという野望があったのだが。
だが、そもそもニートに夏休みなど、ない。毎日が夏休みみたいなものだから。
この、23歳……つまり、多くの人が就職したり、あるいは自分のやりたいことを見出そうとしていく年齢の時に、先のあてなどない音楽で身を立てようとしていることについて、の子にはそれなりに揺らめく心情があったということだろう。そこには、未来への不安とか、自分の才能への自信のある/なしとか、さまざまな感情が見えるように思う。
自分に予定などない夏には、それがいっそう激しく振れる。その気持ちは、痛いほどわかる。というのは、僕自身も似たような経験があって、この先どうなるんだろ?みたいな時期を過ごした若い頃があるから。
23才から、そして33才さ
ただ、の子は、お母さんを早くに亡くしていて(アルバム『つまんね』のジャケットは幼少期に母親と撮ったもの)、長らくお父さんとふたり暮らしをしている。僕は取材でお邪魔した際、そのお父さんにお世話になったし、の子のビデオの撮影を手伝われていたりと、とても協力的な様子に見えた。だから家族から白い目で見られるようなことは、さほどなかったのではないかと思う(もっとも、簡単に断定することなどできないが)。
しかし、の子個人の胸の内としては、23歳の時に先ほどのような安定しない思いがあったのだろう。
そして「23才の夏休み」は、後半の歌詞……そして33才さ、という言い切りがかなり迫る。ここには、こんな生活をしているうちに10年ぐらいすぐに経ってしまうだろうな、という冷めた見方と、そのせつなさが込められている気がする。
なお、この歌詞に出てくるキラカードは、バンドメンバーでありベーシストだった、ちばぎんとの思い出のものだった。の子と彼は幼い頃からの友人だったからだ(キーボードのmonoも同じく、の子の幼なじみである)。
このちばぎんは、2020年1月限りでバンドを脱退。最後のステージとなったZepp Diver Cityでのライヴで、の子は「23才の夏休み」に登場するキラカードを彼の背中に貼り付け、歌の描写を20数年ぶりに回収している。なんて劇的というか、壮絶な楽屋オチというか。しかし、そこに彼らのリアルさがあったのは間違いない。
そう。かまってちゃんの歌には、このバンドなりの切実さがいつも充満している。
神聖かまってちゃんを率いて、24歳で初のCDアルバムを出し、25歳でメジャー進出した、の子。「23才の夏休み」はその後もプレイされ続けているが、メンバーたちの年齢はもちろん上がっていく。それだけこの歌を書いた時期からは遠ざかっていくわけだが、しかし、その都度グッと来るものがある。
の子の歌、かまってちゃんの音楽は、いつだって、あの頃の……子供の頃や学生時代、青春期や20代の時の感情を蘇らせる。それがこちらの心にも深く刺さってくるのだ。
(神聖かまってちゃん その2 に続く)