【年齢のうた】谷村新司●少しずつ臆病者になる年頃…それは「22歳」
暑い秋ですね。この時季で30℃超えとは、しんどい。今日は最高29℃か。うー。
おかげで秋を感じる日が少ないな。もったいない。
そんな今週は、まずは日本のバンド、Helsinki Lambda Clubのライヴに行きました。9月26日、渋谷のO-EAST。
サイケな味わいが強烈な最新アルバム『ヘルシンキラムダクラブへようこそ』のツアーで、のバンドならではのゆるさや浮遊感に浸れた夜でした。これからも頑張ってほしい。
翌27日は、昨年のサマソニ以来となるポスト・マローン。日本で初の単独公演の場は有明アリーナで、彼の破格のアーティストパワーにどっぷり漬かりました。
バンド編成のおかげで、ポスティ自身が生きて来た道のりとその音楽が立体的に表現されてて、それがこちらに迫ってくるようだった。
右脚をケガしているせいで痛々しくもありましたが、それでもいいライヴでした。
さてさて、前回は「22才の別れ」について書いたのですが、
今回はその約10年後に出た、やはり22歳ソング。谷村新司の「22歳」です。
というわけで、またしても自分が詳しくないフォーク~ニューミュージックの大物の登場です。しかし、これまた重要だと思われる年齢ソングなんですよ。
今回、谷村新司のバイオグラフィを調べてたら、アリスは途中から所属レーベルがカサブランカだったと知って、驚愕。レコード会社がポリスターなのは知ってたけど。
カサブランカと言えば、僕にとってはパーラメントやキャメオ(ポリスター当時の表記はカメオ)など、青春時代に買ったファンク・バンドのイメージが強いレーベルなんです!
このカサブランカに、アリス~谷村新司も所属していたとは! ソウル/ファンク感ゼロなのに!(もちろん日本国内のことだろうけど)
いかん。早速、脱線した。
谷村新司というか、アリスは、僕のおばさんが好きでしたね。自分は大学1年の時、大阪の十三に住んでたそのおばさん一家のところに半ば居候していました。
おばさんは演歌も好きな人ですが、当時は、アリスと演歌が好きなのか~?と思ったものです。しかし以後の元メンバーの歩みを見ると、その聴き方は何ひとつおかしくなかったですね。
では谷村新司の「22歳」について。始めます。
恋愛の終わりをせつなく唄った女歌、「22歳」
前回のおさらいにもなるが、伊勢正三が書いた「22才の別れ」が最初にレコード化されたのはかぐや姫によってで、それが1974年のこと。翌1975年に、伊勢が結成した風によってシングルとなり、大ヒットを記録している。
それから時は流れ、80年代。人気バンドのアリスで活動した谷村新司は、解散後のソロ活動でも成功を収めていて、その初期には「昴」「群青」などのヒットを放っていた。
「22歳」は、そうした一連の楽曲に続いてリリースされた。1983年10月のリリースだから、ちょうど40年前のことである。
この曲をリリースした時、谷村は34歳。当時すっかり大人の雰囲気をまとっていた彼は、ここで自分よりひと回り下の年齢の女性の恋愛を唄ったのである。
歌の季節は夏から秋。今の時節だ。
その描写はアダルトである。歌詞の最初のほうでいきなり、白いシーツとか、光る海が出てくる。そして、綺麗な言葉を信じれるほど若くはない……とまで。22歳の女性が、だ。
そうして谷村は、22歳になれば少しずつ臆病者になる、と唄う。
主人公のこの女性の髪には、煙草の匂いが……喫煙率が今よりも全然高かった時代である。
そして彼女は、相手との恋愛を、遊びのふりをしていたようで、つまり、実は本気だった。そしてどうやら、真剣な愛を求めたにも関わらず、相手のほうはそれを避けているようである。
こうして秋の気配とともに、ふたりには別れが訪れた、という歌である。じわじわと唄う谷村の表現力もあり、せつなさが強い曲になっている。
ここからは僕の想像になる。22歳の彼女は、この相手に真剣な交際を求めて、その思いがすれ違った形になり、恋愛関係が終わったという状況だ。
主人公がこの交際の先に、「22才の別れ」のように結婚までを期待していたのかどうかはわからない。この断定はすることができない。
ただ、22歳で少しずつ臆病者になるという感覚は、わかる気もする。臆病者になるということは、何でも積極的にいけなくなる、慎重になる、ということ。この女性は年齢を重ねていくことをシビアに捉えていたのだろう。それは人それぞれ、育ちや環境や価値観、考え方が異なるわけだし、一概にこうだとは言えない。
ただ、この時代を生きていた自分としては、もし22歳でも、どこか「そろそろ大人になっていかないといけない」というプレッシャーはあった気がする。男性の自分であっても。だからそういう女性がいるのはまったく不思議ではない。
22歳は、今の時代の感覚で思うと、全然若いほうだ。まだまだあらゆる可能性が広がっている年齢だと思うし、僕なんかの考えだと、何でも積極的にやったほうがいい年頃だと思う。若いことは、それだけで可能性があるということだし、それだけで素晴らしい。そんなふうに感じる。
もっとも僕がこう思うのは、あくまで現代、2023年での見方である。
まず、昔に比べて今は相対的に、人口の中に占める高齢者の割合が大幅に大きくなっていて、若年層の比率はグッと少ない。その分、昔なら「そろそろ大人に」「いい加減に子供のままでいるのはやめろ」と言われていた22歳が、現代ではそれよりももっと若い年頃だと認識されている節を感じる。
また、これも時代背景の変遷による理由だが、現代は大人の年齢の人間が、ガチガチに大人の振る舞いをしなくても、それなりに良しとされるというか、見逃してもらえる風潮が世の中にある。それは、生き方や価値観の多様化のひとつともとれる。
同じ22歳へのイメージでも、30~40年前と今とでは、かなり違う。それだけに、もともとアダルトなムードのある谷村の「22歳」は、今聴くと、いっそう大人びて響いてくる。
ところで、この曲については文献に記録がなく、谷村自身は著書『本当の旅は二度目の旅』(1993年)で、こう語るにとどめている。
(前略)
ところが、『昴』『群青』と続くと、今度は重いというイメージがついてくる。そこで切り替えたのが『二二歳』と『忘れていいの』という、小川知子さんとのデュエットで、胸に手を入れるみたいな過激な方向にいった。『昴』を歌ったアーティストが、「胸に手を入れるのはないだろう」と言われるほどインパクトが強かったわけで、自分はおもしろがってやっていたんですね。そして女歌みたいな作り方もやりはじめて、レコードが売れなくても、自分が四〇歳からあとをやっていくために、自分の身体の中にエネルギーを蓄えたいというのが『ヨーロッパ三部作』だったのです。
ヨーロッパ三部作と言われると、デヴィッド・ボウイとか、あるいは大貫妙子を連想するのだが、谷村も作っていたようだ。
それはともかく、この語りでも「22歳」についてはサラッと触れられている程度で、話の重点はむしろその前後のほかの楽曲に置かれている。とくに「忘れていいの」に。たしかにあれはリリース当時、とても話題になった歌だった。
「22歳」はのちに、女性の立場で唄った曲……先ほどの言い方だと女歌を集めたアルバム『抱擁』に収録された。先述の「忘れていいの」や山口百恵に書いた「いい日旅立ち」も入っている。ジャケットのイラストは「忘れていいの」の演出を膨らませたものだろうか。これまた相当に大人の世界である。
くり返しになるが、この80年代半ばでも、22歳の女性は、それからどう生きていくかを厳格に迫られる風潮があったと思う。
僕はこの歌の主人公より下の世代になるが、今の時代を思うと、当時の女子は選択肢が狭かったように記憶している。とはいえ、それでも、もっと上の世代に比べたら、男女とも、まだ何かと選べた時代になっていた気はするが。
ところで「22歳」という曲の着想は、かつて谷村が担当していたラジオ番組『セイ!ヤング』の投書から作られていった経緯があるようだ。
その番組について僕はまったく知らないのであまり安易に触れないことにするが、のちに同番組が部分的にCD化されたトラックの中に「22歳」(おそらくトークのコーナー)が存在する。これは曲が作られた発端と関係しているということだろうか。
また、このシングルレコードの「22歳」にはB面に「ガラスの17歳」という曲が入っている。これまた年齢ソングで、こちらは若い子をあたたかい目で見つめている歌になっている。
この頃の谷村の姿勢には、下の世代を意識しての作品作りがあったということだろうか。
初婚年齢の移り変わりに見る結婚についての意識の変化
それにしても、22歳。今の時代に、これと同じくらいの若い子たちは、「22才の別れ」や「22歳」を聴いて、どんなふうに感じるだろう。そこはほんとにリサーチしてみないとわからないが……いずれにしてもこの2曲からうかがえる22歳像は、今の同年代と比べると、かなり大人っぽいということだ。そして2曲とも、そこに本気の恋愛感情があることも間違いはない。
とくに70年代の「22才の別れ」のほうは、結婚を自分にとっての現実のものとして捉えている。女性の22歳は、なにがしかの分岐点を迎える年頃だったということか。
そう考えていたら、ふと調べてみたくなったことがある。公的な資料を基に、日本人の初婚年齢の時代ごとの変遷を見てみようと思ったのだ。
上記のサイトを参考に、日本の全国平均で、男女それぞれの初婚年齢の移り変わりを示してみる。
日本人の平均初婚年齢(歳)
男性 女性
1930年 27.3 23.2
1940年 29.0 24.6
1950年 25.9 23.0
1960年 27.2 24.4
1970年 26.9 24.2
1980年 27.8 25.2
1990年 28.4 25.9
2000年 28.8 27.0
2005年 29.8 28.0
2010年 30.5 28.8
2015年 31.1 29.4
2020年 31.0 29.4
2021年 31.0 29.5
なお、2000年からあとは調査結果のペースが変わっていることに気を付けてほしい。
戦前は結婚の年齢がそこそこ高かったのに、戦後に一気に若くなり、そこから徐々に上がっていっている。
今は、男のほうは30代に入っているかなと思ったら、やはりそうだった。そして女性は、80年代まではとても若くして結婚しているのがわかる。
この数字が示すのは、まずは言うまでもないが、晩婚化が進んでいるという事実。それだけ現代は結婚を急かされなくなった。逆に言えば、昔はとにかく急かされた。
僕なんかも祖母に「あんたもう30になるがな」とブツクサ言われたものだが、結婚したのはその7年後、彼女がこの世を去ったあとだった。
また、上記の結果には、加味すべきことがある。この数字では見えないが、全体の中の未婚者の割合が増えているということだ。
さらには、出生数自体の減少と、それに関連して、人口に占める高齢者の割合の増加という傾向もある。
こうした要素をひっくるめると、若いとされる年齢のうちに結婚するカップルの数は、昔に比べると、どうしても後退していることが把握できる。
もっとも、人はそれぞれ、自分の幸せに向かって生きる権利がある。結婚が必ずしも幸福を招くとは限らないし、もちろん結婚がすべてではない。誰しもが、それぞれに、それぞれの生き方をすべきだと思う。
ただ、「22才の別れ」にしても、「22歳」にしても、やはり現代の22歳に比べると大人びているという印象は残る。もちろん今の時代にもしっかりした子や、ちゃんと物事を見据えて仕事に向かっている人、将来を考えて生きている若者は多いだろう。どこか浮かれたまま生きていたような自分のような世代からすると、ずっとそうである気もする。今、仕事の現場で会う若い人たちは誰もが優秀で、とてもバランスがとれている。となると、その印象の違いはどこから来るのか、ちょっと気になる。
最後に、もうひとつだけ。
谷村新司の「22歳」のアダルトさには、1983年当時、好景気に向かっていく時代背景も若干匂うように感じる。そう、空前のバブル経済へと向かう、その前の時代だ。と言っても、それでもあの頃の景気は、この30年間よりも全然良かったような記憶がある。
だから、思う。80年代半ばには、22歳という若さでも、いっぱしの大人の匂いをまとった人たちがたくさんいたな、ということを。そういえばメディアが女子大生ブームだと騒いでいたのもあの頃だ。
狂乱の、騒乱の80年代。その狭間に生み落とされた谷村の「22歳」。
この歌の物語に沿えば、「22歳」の主人公は今年、62歳になっている。彼女は今、誰と、どこで、どんな暮らしをしているのだろうか。