【年齢のうた】エレファントカシマシ●40歳当時の宮本浩次が人生を振り返った感動曲「俺たちの明日」
やっと秋が来た感が漂ってきた今週です。
このところは、盛りだくさんだった吉井和哉展に行ったり、
羊文学の素晴らしいライヴを観たり、
昨日は劇団四季の『ライオンキング』を観劇しました。
劇団四季は舞台の作り方が独特なんですね。看板俳優を押し出すのではなく、キャストを代替可能にしてクオリティをキープするシステム。その独自性に関心を持ちました。
これは音楽界で言うと、大昔のモータウンレコードとか、日本だと一時期のビーイングがやっていた、大衆に響くヒットソングをコンスタントに生み出す構造を想起しました。ともかく、その秀逸さには感じ入るところが大きかったです。プロフェッショナルですね。
にしてもポスト・マローンに始まり、9日間のうちに3回もの有明界隈への訪問の日々でした。
では今回はエレファントカシマシです。曲は「俺たちの明日」!
今年でデビュー35周年を迎えたとのこと。おめでとう!
で、エレカシはこの週末、日比谷野音で恒例のライヴをやるのですね。これについては偶然のタイミングでした。
しかもさらに偶然なことに、この曲については先日、神宮球場のヤクルト戦について書いた時に、つば九郎に関連して触れていました。
さあ がんばろうぜ! こちらの背中を押してくれる宮本のシャウト
エレファントカシマシのシングル「俺たちの明日」は2007年11月のリリース。この時は、エレカシがひさびさにすごい曲を出したな!というインパクトがあった。
バンドとしては、デビュー初期の苦闘の時代を経て、「悲しみの果て」や「今宵の月のように」といったヒットソングを出したのが2000年代初頭のこと。
彼らはその後「ガストロンジャー」のようなアグレッシヴな問題作のリリースもあった。
しかしこの2007年頃には心機一転、再び前向きに音を鳴らしていこうとする時期にあったようである。その背景にはレコード会社の移籍も関係していたとのこと。
その第1弾として姿を見せたシングル「俺たちの明日」は非常にポジティヴなナンバーで、まさに勇気づけられるような歌だった。
この歌で、驚いた点がふたつある。
ひとつは唄い出し。
さあ がんばろうぜ! である。
ロックナンバーにおける頑張れ、頑張ろう、という言い方は、実は諸刃の剣のようなところがあると僕は考えている。そもそも他人に応援されるような歌なんてウザいし、大きなお世話だし、押し付けがましい。ついでに言えば、ダサい。まあ曲によって好き嫌いはあれど、こういった反応が返ることは多いはずである。
僕の知る中でとくに心に残る「頑張れ」ソングは、まずはTHE BLUE HEARTSの「人にやさしく」だ。
時期は80年代後半で、世の中、さらにはロック・シーンにも、斜に構えた見方や生き方が大きくなりつつあった頃だった。そんな中でインディーズから出てきたパンク・バンドが真っ向からそう叫んだことは、ものすごく衝撃的だった。当時、「ほんとにガンバレ!って唄ってるのか?」と思ったほどである。
それから、阪神淡路大震災のあと、1995年に被災地を廻って演奏したソウル・フラワー・モノノケ・サミットがカバーした「がんばろう」に感動したものだった。これは1950年代に起きた三井三池争議で生まれたプロテストソングのカバー。ソウル・フラワーは被災した人々を元気づけようとして唄ったのである。
最近では、2020年に怒髪天が「孤独のエール」で頑張れと唄っている。これはとてもこのバンドらしいと思った。
そんな頑張れという言葉を、2007年当時のエレカシが唄っていることには、やはりビックリさせられた。しかもCMソングに起用されていたから、宮本浩次のこのシャウトに背中を押された人は全国でかなり多かったのではないかと思う。
その宮本は「俺たちの明日」について、こう語っている。(『俺たちの明日 下巻』より)
この曲に関しては、割とはっきりしたテーマがあったのよ。友達とかさ。これまでも“友達がいるのさ”っていう曲も作ってるわけだし。“達者であれよ”とかさ。
もう40ですからね。いろいろ振り返ることもあって……そういうテーマみたいなものがはっきりしてきたんですよね。
その、振り返ってるテーマを、この曲では一歩進めてるんですよ。
振り返って、扉をずっと叩きっ放しでさ、「さらば青春、さらば青春」って言い続けて、その先のことを僕はまだはっきりできなかったと思うんですよ。
それをたぶん--「受け止めた」っつっちゃあれんだけど--曲でみんなに返していくっていうかさ。
(中略)
要するに、新しいテーマに出会えたんですね。
宮本は、ここで自分が40だという話をしている。1966年生まれの彼は、この曲を書いたのが40代になる頃だったのだ。
《どうだい?近頃仕事は忙しいのかい?》っていう歌詞がさ……もう、泣けて泣けてさ、自分の言葉に(笑)。
もう今は結構歌い慣れちゃったんだけど、作ってる時にいろんな奴の顔が浮かんできちゃって。まあメンバーだってそうなんだけど—だってもう20年ですよ? そうするとさ、泣けちゃうんだよね、「どうだい?」って。まあ結局、そこで何も言っちゃいねえんだけど。そうすると、「《がんばろうぜ!》しか言うことねえなあ」みたいなさ。
そう、この歌には人情味がある。宮本自身が歌詞に泣けると言っているのも、わかる。実際に、とても泣ける歌だ。
宮本が振り返った10代、20代、30代、そして40代の自分
そして何と言ってもこの歌にはそうした年齢というか、自分たちの世代について振り返る箇所があるのがグッと来る。これが、ふたつ目の驚いたポイントだった。
10代は憎しみと愛が入り交じった目で世間を罵り、20代は悲しみを知って目をそむけたくて町を彷徨い歩き……と。
30代は愛する人のためのこの命だってことに気付いた、と。
彼はそう唄っているのだ。
これに関連して、下記は2016年、「夢を追う旅人」リリース時のインタビューである。「俺たちの明日」からは10年以上が経っているが、宮本はここで過去の楽曲について語っている。
今でも週に2回ぐらいは最新アルバム『RAINBOW』の冒頭の2曲をよく聴くんですが、「RAINBOW」という表題曲を作れたことは自分にとって、とても大きかったんですよ。「ファイティングマン」がアマチュア時代や10代のまとめの曲であり、「悲しみの果て」が20代のまとめであり、「俺たちの明日」が30代のまとめだったとしたら、「RAINBOW」は自分にとっての40代までの思いをダイジェストで盛り込めた自信作になりました。アルバム制作の最後のほうでできた曲なんですが、この曲を作ることで、自分の中にあった迷いを吹っ切ることができた。その手応えを、制作した時だけでなく、ライブでも感じることができたのは大きかったですね。
ここまで自分とその周りを見つめ、唄った宮本のことを思うと、再びグッと来てしまう。
僕はエレカシがデビューしてしばらく経ってから曲を聴き、とんでもない奴らがいるんだなと思った向きだ。そのあとにはレコード会社と契約がない時期の日比谷野音でのライヴを観て、それでもパワフルにステージを駆け巡る彼らの姿に感動したこともある。
それから30代になった宮本がセールス面でついに成功をつかんだことも、さらにインタビューをしに行ったら、僕の笑った箇所が良くなかったようで、彼に真剣に怒鳴られてしまい、それでも質問を続けた時もあった。
そのどれもが宮本浩次らしいと思っている。今でも。
まるで衝動の、感情の塊のような男。そんな彼が、40になった時に、こうして自分の周りとその友人たちとの関係、加えてそうした中の自分自身について唄っていることと、しかもそれが自分たちの歩いてきた過去を見つめ直していることに、とても感動した。
人間は、若いうちはなかなか自分を振り返らない、振り返れないものだ。いや、振り返ろうとしても、自分自身が本当に見えていないと、しっかりとそうできないものではないだろうか。それは僕自身がそうだし、周りの人たちを見ても、思うことだったりする。
逆に言えば「俺たちの明日」は、それまで猪突猛進だった宮本が唄ったからこそ、よけいに感動的な歌なのだ。本当に一直線に突っ走り、あちこちにぶつかりながら突き進んできた彼だけに。
1966年生まれの宮本は今、57歳。この歌を作ったのがもう17年前? なんだかウソみたいにも感じるが、数字は正確だ。
その彼は、今もあちこちにぶつかりながら突き進み続けているはずである。だけどおそらく、時おりは自分を振り返りながら。
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