【年齢のうた】中森明菜●いわゆる普通の17歳、じゃない!「少女A」
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
年明けから大変なニュースが続いていますね。その衝撃に気持ちが追いつかないまま、日常が始まっています。
大変な思いをされてる方々には、心よりお見舞い申し上げます。
そんな中だったので、お正月休みは平穏な日常のありがたみをつくづく感じました。
横浜のほうに出かけて、野毛山動物園に初めて行きました。市立の動物園で、70年以上の歴史があるんですね~。あの規模で入場無料というのもすごい。ほっこりしました。
最近ではTHE YELLOW MONKEYのことを書いたりしました。読んでください。
さて、新春第1回目に取り上げるのは、中森明菜の「少女A」です。
自分は普通の17歳だと唄う、明らかに普通ではない17歳
中森明菜については、このところ復活に向けてのニュースをよく目にする。
本人もTwitter(現X)を開設して、情報を発信しているし、
1月2日にはBS-TBSで特別番組『中森明菜 女神の熱唱 ~新たな歌声&独占メッセージ~』がOAされ、本人の今の声が聞けた。
僕個人は、仕事上で中森明菜との接点はない。ライヴも生では未見で、映像でしか観たことがない。
ただ、明菜の歌に惹かれるところはあった。彼女の歌声や雰囲気に宿る翳りのようなものに魅力を感じていたからだ。
過去にCDレビューを一度だけ、雑誌で書いたことがある。それは音楽情報誌の『WHAT’S IN?』で、90年代のこと。たしか、声が低いことを引き合いに出して書いた記憶がある。
昔から自分は低い声の女性(女声)には独特の魅力があると思っていて、シンガーの場合はそれがとくにはっきり出る(日本人は男女とも、高い声の人が好まれる傾向が強めだという気がする……統計をとっているわけではないので、僕の個人的な見方に過ぎないが)。明菜は魅惑的な低音ヴォイスの持ち主だと思う。
低域とまではいかないが、加藤登紀子の曲「難破船」の歌唱などは圧巻だと感じたものだ。
そんな明菜の実年齢ソング。それは2枚目のシングル「少女A」である。
初めて聴いた時からものすごく刺さる曲だった。なんといっても鋭く轟くギターサウンドは、すでにロック・ミュージックに目覚めていた自分の心もそそる部分があった。
そして明菜のヴォーカルだ。はすっぱで、ドスのきいた唄いっぷり。歌番組で見せるタンカを切るかのような立ち居振る舞い。すべてがアイドルの常識を超えていた。
「少女A」には、その前のデビュー曲「スローモーション」で「ちょっとエッチなミルキーっ娘」というゆるいコピーがつけられていた彼女がいきなり真の姿を見せたようで、ものすごくインパクトがあった。
そして「少女A」は早々にチャートを駆けのぼり、新たなアイドルの誕生を宣言したのである。
この歌を【年齢のうた】で取り上げるのは、いわゆる普通の17歳だわ、という一節がある事実に尽きる。
ここまで「普通じゃない」感を発している女の子がそう唄っているところに、またそれまでのアイドルにない迫力を感じた。
ここでの明菜には、あの歌手を連想させるものがあった。そう、山口百恵だ。かつての百恵が見せた不良性のヤバさを、「少女A」での明菜も放っているように感じたのだ。
「少女A」は1982年7月のリリース。百恵の「プレイバックPart2」からは4年が、彼女の引退からは2年近くが経とうとしていた。
なお、当【年齢のうた】で昨年暮れに松田聖子の「Eighteen」を取り上げた際に、これは80年代女性アイドルのもうひとりの巨星、明菜の「少女A」のことも書くべきだなと僕は考えた。このふたりについて書くことは、セットで発案していたのだ。
その間には、小泉今日子の「私の16才」をはさむことにした。
くり返し述べているように、80年代はアイドルの実年齢ソングの全盛期だったのである。
「少女A」から今年で42年
そんなことを考えながら、明菜と「少女A」に関する情報を集めようと、いくつかの文献やネットでの情報を当たってみた。
そうしたら……本当に驚いた。もう僕のような門外漢がゴチャゴチャと調査するまでもなく、当時の事実は膨大な量の情報となって各所にあふれていたのである。
詳しく知りたい方は、ここにリンクをたくさん張っておくので、読んでみられるといいと思う。
どうだろう。ただひとつの曲のエピソードだけで、ネット上だけでこんなに語られ、明かされ、議論されているのだ。本当に驚愕するばかりである。
そんな中に、数少ない本人のインタビューもあった。それも限りなく魚拓のようなネット上の古い記録だが、紹介しておこうと思う。
-- なぜ「少女A」が嫌いだったんですか?
中森 嫌いだったんですよ、とにかく(笑)。生意気そうな歌で。すごく生意気だったと思うんですけど、プロデューサーの方に“この曲、私に合ってないと思います”って言って(笑)。レコーディングの時も“もっと生意気っぽく、こういうふうに捨てゼリフっぽく歌え”って言うんですけど(笑)。私、本当にツッパリ系みたいに言われてたんですけど、ウチの兄弟はみんなそうだったんですけど私だけすごくいい子で…(周りから笑いが…)いや、嘘じゃなくホントなんですよ。
-- 信じます(笑)。
中森 だから、できないんですよ。そういう(ツッパリっぽい)ことが。それで“できません”ってずっと言ってたんですけど、“いや、そうじゃないとこの歌のよさが出ない、フン!(アクション入り)って感じで歌いなさい”って(笑)。そういう歌い方を直されたのはすごくいっぱいありますね、「少女A」もそうだし、これでもかこれでもか!って歌っても“ダメ!”ってダメ出しされるんですよ。“目をつぶって聴くと睨みつけてる目がここにこない”って言われるんですよ(笑)。“目をつぶっても睨まれてる!って声が聴こえてこないとダメ!”って言われるんで、もう大変でした。
-- そんな「少女A」も今では好きですか?
中森 今でも好きじゃない(笑)。
以上の記事の内容をまとめると……。
「少女A」は、作詞の売野雅勇の出世作であること。
あの曲は、沢田研二のために書かれてボツになった曲を元にして書かれたこと。
明菜がこの歌を唄うことを、泣いてまで嫌がったこと。
明菜が17歳になる前、つまり16歳の頃からプロトタイプが存在していたこと。
ということは、ここで何度も書いているが、南沙織と山口百恵が開拓したアイドルの実年齢ソング路線という常套手段をこの曲も踏んでいることになる。
また、背景には、当時の不良~ヤンキー文化の隆盛があったこと。
ここでは秋に書いた紅麗威甦(グリース)の回を張っておこう。
この「少女A」から、今年でもう42年が経つことになる。しかしせっかくこの【年齢のうた】というコンセプトでnoteを書いているだけに、ここで明菜についてちょっとでも触れられたのは良かったと思う。
彼女はこの歌でブレイクし、以下、日本の歌謡曲シーンのド真ん中で数々の名曲をものにし、名唱を聴かせてきた。その頃、洋楽を中心としたロックを聴いていた自分にはそこまで近い存在ではなく、それからあとも近づくことはなかった(あったのは、さっきのCDレビュー程度なのだ)。そのうちに彼女は最前線から消え、幾度かの復活をしたり、試みたりしながら、今に至っている。近年のブランクは、とくに長いように感じる。ただ、そうムリもできないのも理解できるし、ムリなんてしてほしくない。
いま明菜はどのぐらい唄えるのか。どんな歌を唄い、どんな歌唱を聴かせてくれるのか。大きな期待はなかなか難しいが、それでも歌姫としての輝きを、今一度、見せてほしいと思う。
中森明菜さん。復活を心待ちにしています。