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【年齢のうた】2024年夏までのまとめ その3●名前に付くカッコ書きの年齢のこと

昔はたまに、冷夏……レイカと呼ばれた年がありましたよね。
お米が不作で、タイ米を食べてた年があったな。
1993年か。やはり米騒動と呼ばれていたのか。

暑い秋はどう言うの? 暖秋? 言わないわね。

それにしても揖保乃糸にちょっとだけ関心を持った夏だったのに、そうめんを追求できぬまに秋になろうとしている青木です。実家から届いた麺の面々によって、むしろ、そうめんへの思いが薄まっています。

んと、先日から観たライヴは……まずデキシード・ザ・エモンズ。デキシーを初めて観たのは1992年、新宿JAM。メジャーデビュー後には僕もよく仕事をしました。今回は解散以来の18年ぶりに観たライヴで、まあ相変わらずというか、より濃くなってたというか。すごいわ。


それと、あがた森魚も観ました。この方を初見したのは1987年、大阪の近鉄小劇場。今回は3ヵ月ぶりでしたね。ご本人と少しだけお話ができた。どうかいつまでもお元気で。飛鳥山公園でのフリーライヴ、映像化されたら観たいな。


それでは、【年齢のうた】まとめの3回目です。

日本の年齢ソングはバラエティに富んでいる


前回紹介した洋楽における年齢ソングを並べてみると、日本のほうのそれはかなり独特というか、特徴があるように感じる。

まず洋楽のほうは、唄われている年齢の多くがかなり若く、ほぼ10代である。20代を過ぎると、一気に減ってしまう。
ただ、アメリカのテイラー・スウィフトには「Fifteen」だけでなく「22」という曲があったり、イギリスのアデルには『19』『21』『25』『30』と発表時の年齢をアルバム・タイトルにしていたりと、ここ10数年の間には新しい動きも起こってはいる。


対して日本の年齢ソングは、10代がたくさんあるのは海外と同じくだが、20代以上でもずいぶんとたくさんある。さらにアラサー、30歳前後でもけっこうな数があるし、それ以上の年齢もそこそこの多さで、歌のモチーフになっている。


日本の音楽で書かれている年齢ソングは、取り上げられている年齢のバリエーションが非常に多く、細かく、多岐にわたっている。テーマ自体も、自分のことが多くはあるが、そこで人生だったり、成長だったり、さまざまなことが唄われている。
それは、こうして、ここで紹介してきた通りである。

報道で気になる、カッコ書きの年齢


このように日本の音楽シーンでさまざまな年齢が唄われていることを、僕はそこそこ前から気付いていた。

それと別に、なぜ日本人は年齢についてこんなにも意識するのか?
この疑問も、ずっと頭の片隅にあった。その明確な答えは、今も出ていない。

ただ、生活をしている中で、年齢に関して、おそらく日本特有と思われる事象があることに気づき、それが引っかかっていた。

まず、今までも書いてきたように、「あなたは何歳だからこうでないと」とか「いくつになるまでにこうすること」とか、年齢を区切りにする言われ方とか価値観、あるいは決まりのようなものが多いように思う。

もっとも、これは日本に限らないことなのかもしれない。年齢によって法規制や権利があったりするのはどこの国でも当たり前のことだし、それが個人の一般的な成長度合いに応じて設定されることが多いだろう。

ただ、「25才までは夢を追いかけてみて、もしダメならそこで諦める」とか、「お前は30になっても」ああだこうだとか、日々の中で、年齢を基準にものを考えることは……あくまで僕の印象だが、日本ではずいぶんと多いような気がしている。
もちろんこれは個人個人で違ったり、家庭環境で大きく異なることも理解している。だから、外国の家庭でも似たようなことはあるかもしれない。

そして、もうひとつ。日本人の年齢についての意識の強さを感じるのは、マスコミ報道のあり方である。

たとえば、誰かのことが、ニュースや新聞、ワイドショーなどで報道される。

スポーツでも芸術でも、社会貢献でも何でも、もし何か名誉なことを成し遂げたのなら、その人は称えられるだろうし、祝福もされるだろう。
あるいは、もし犯罪を犯してしまった人なら、非難されるだろうし、罪を問われることになる。
はたまた著名人が、恋愛に、あるいは不倫でも何でもいい。芸能マスコミ的なメディアに追い回されるとしたら、「噂になってますけど」みたいなふうにマイクやカメラを向けられるかもしれない。

もしくは、誰かが選挙に立候補する。何かの偉い立場につく。など、など……。
ある個人がマスコミに取り上げられるケースは多種多様で、本当に様々ある。

そのたびに、必ずその人の年齢が、名前にカッコ書きで続くように、報道されるのだ。

たとえば、こういうふうに。

俳優の長澤まさみ(37)が13日、フジテレビ系『ぽかぽか』(月曜~金曜午前11時50分)に出演。超豪華な交友関係を明かした。

パリ五輪スケートボード男子ストリートで金メダルを獲得した堀米雄斗選手(25)が11日までにX(旧ツイッター)を更新。ボーイズグループ・ASTRO(アストロ)のチャウヌ(27)らとの会食ショットを公開し、大きな反響を呼んでいる。


政治でも、芸能でも、経済でも、スポーツでも。俳優でもタレントでも、いいことをした人でも悪いことをした人でも。ほとんどのニュースや報道で、その対象の人物の年齢が、ほとんどの場合、くっつけられているのだ。名前の後ろに、カッコ書きで。

そして僕がどうしてこのことに関心を持ってきたかというと……海外で、とくに欧米のニュースやマスコミでは、取り上げる人の年齢をそこまで一緒に報道しないことが多いからである。

これも、日本の風習がいいのか悪いのかは、判断がつかない。その理由もはっきりとしない。
たた、これはその人の、たとえば性別に年齢、そして職業まで報道されることによって(プライバシー保護の観点はさておいて)、「ああ、そんなに若い人がいいことをしたのか」とか、「歳を重ねた経験からそういうことをするんだろうな」みたいに、受け取り側が(勝手に)なにがしかの感慨に浸りやすいからだろうか?
素性がなんとなく見えやすいのかな、という気はする。性別、年齢、それに職業がわかると。
それは昔、ある編集者が口にした、こんな言葉を覚えてるからだというのもある。
「雑誌にCDのレビューとかアーティストのインタビューの記事があるとして、それを書いているライターが、男なのか女なのか、どこの出身なのか、それに何歳ぐらいの人かも読者はわからないものなのに、そのページをどのぐらい信用して読んでくれるかなあ?」

それから、これは以前ここでも紹介したのだが、僕は吉井和哉に行ったインタビューで、こんな話をしている(現在この記事はWEB上でも読めるようになっている)。


吉井さんも気にしがちですか? 年齢を。

「年齢? 気にしますよ、それは」

うん。何でですかねえ?

「……何で?」

だって極端なこと言うと、どうでもいいじゃないですかって

「どうでもいい人とどうでもよくない人がいるわけですよ! 世の中には。人それぞれ(笑)」


実際のところ、どうでもいいと思っている人よりも、どうでもよくない、大事なことだと考えている人のほうが多いのではないかと思う。

日本人にとっての、年齢。それはいったい何なのか。どんなものなのか。

僕は昭和時代の子供だった。そしてだんだんと歳をとり、大人になるにつれ、世間の価値観はずいぶんと変わったように感じる。

しかし令和の時代になっても、年齢ソングは、相変わらず書かれ続けている。
そこには、何かがある。

(その4 に続く)


この夏はPCとスマホが
ACアダプターの不調に見舞われまして。
その頃に秋葉原に行ってパーツ屋さんを廻り、
AC周りのものを調べたりしました。ちょっとね。
その日に、カレーの市民アルバ 秋葉原本店で食べた
カツカレー、850円。
まさに金沢カレーなドロッと濃いルーで、
汗かきながらいただきました

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青木 優
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