いちごのキャンディーで救われた話
記憶を辿って、4〜5歳の初夏。
その日はちょうど、なんでか保育所がお休みで
家にはゲームに没頭している兄と、1人でおままごとをする私。
寂しくてたまらなくなって、
当時やっと乗りはじめた補助輪付きのオンボロ自転車(5人兄弟の末っ子だったので年季の入ったお下がりだったと思う)にまたがって、
歩いて5分もしない母の職場に、向かった。
当時母は、障がい者施設の寮で料理を作っていた。
両親ともに福祉施設の職員で
その頃の私は、そこにいる"しょうがいしゃのひと"たちが
どうやら自分と何か違うと気づき、
追いかけられたり鼻くそをつけられた経験などを思い返しては怯えていた。
おかげで職場について行ったとしても母のズボンの裾から
手を離すことがなかったように思う。
そんなところに行くほどに、家で暇を持て余していたのだ。
今なら言う、可愛い妹の相手をしてくれ兄よ。
寮につき、部屋を覗くと台所に母は立っていた。
トントントンとなる包丁のおとに紛れるように
ボソッと「お母さんきちゃった」というと、
しょうがないなあと迎えてくれた。
(きっと母も放ったらかしにした兄を思い浮かべただろう)
そこには案の定、強敵”しょうがいしゃのひと”がいたので
今日はいつ追いかけられるのだろうと怯えながら
母の脚にしがみついていた。
少し落ち着き、近くのローテーブルで折り紙をしていると
そこにいた”しょうがいしゃのひと”が近づいてきて私の手を握ったのだ。
「また鼻くそをつけられる!」絶対にそう思った。
覚えてないが、私のことだ。そう思ったに違いない。鼻くそは怖い。
ぎゅっとつむった目と、
ぎゅっと握った手を同時に開くと
そこには、いちご味のキャンディーがあった。
「これあげる。ヒロコさんの娘さん。」
そう言い、彼は私ににっこりと微笑んだ。
私の障がい者への差別意識がいなくなった瞬間である。
おいおいこんなことで と思う方もいると思うが、所詮こんなものである。学生時代や社会人になった今も悩んだような差別なんてものは、
所詮こんなものだった。
純粋無垢な5歳児がこの時感じたのは
ありがとう だけだ。
恐怖は、みたことのない行動を取ることに対してであって
”しょうがいしゃのひと”だったからではなかったのだ。
自分と何も違わない、優しいひとだったのだ。
彼らができない計算式を、あなたならできるだろう。
彼らがわからない社会の常識は、あなたなら知り得るだろう。
だが、彼らが持っている優しさを、
あなたが今この瞬間も持ち合わせているだろうか。
人間誰しも欠点を抱えて生きている。
完璧な人間などどこにもいない。
私たちはみんな、一人残らず欠陥人間だ。