学校も行かないでのんべんだらりと 東京に出てきました。 喉に詰まった言葉を成仏させてます。

学校も行かないでのんべんだらりと 東京に出てきました。 喉に詰まった言葉を成仏させてます。

最近の記事

拝啓、春。

故郷の道、中央線に座って 散りゆく花びらを数えた、春 点滴の跡、取られたコード 病室から見えなかった、春 八重桜、信号の赤、大橋ジャンクション 何とたたかう 春 涙の季節だ。 大人になった東京は、時の流れがとにかく早い。 よいせよいせと、 やっとの思いで感情の引っ越しを済ませたところ すでに次の季節が前足を上げて 順番待ちをしている。 春も例外でなく、そう。 そしてその上、この街は 故郷より冬が短いおかげで 春が駆け足でやってくる。 そんなに急がなくても もう

    • 16の頃、ボロボロの船を乗り換えた。

      私は、人を船に例える。 どんなに素敵な船も、長く乗っていれば 風に煽られ敵に撃たれ波に飲まれ、傷だらけになる。 次の島まで、また次の島まで、その先の島まで。 愛着のある苦楽を共にした船を 赤の他人に批判されると尺に触る。 「てめえにこの塞がれた穴のかっこよさがわかってたまるか」なんて。 「この、歪な形がかっけえんだ」なんて。 「これだけ長く乗っていられる船の質が悪いわけがない」なんて。 私ら人間は、歳を重ねるごとに、どんどんどんどん 古き良きその船に固執するよう

      • 名称未設定の言葉

        生涯友人でいたいと思う奴がいる。 17の頃、仲良くなった女の子。 生まれて初めて、私が私の生き方を他人に話して、 それを肯定してくれた人だった。 金曜の夜、部屋でテーブルランプ一つの中、 二人で泣きながら飲む酒のうまさを知った。 ご飯が食べられず、口に入れてはトイレに駆け込んだ日々のなか、彼女が振舞ってくれた手料理だけは美味しく食べられた。 学校に行かない私に、人とのつながり方を教えてくれたのも彼女だった。 彼女が教えてくれた沢山の物の中に 「amazarashi

        • いちごのキャンディーで救われた話

          記憶を辿って、4〜5歳の初夏。 その日はちょうど、なんでか保育所がお休みで 家にはゲームに没頭している兄と、1人でおままごとをする私。 寂しくてたまらなくなって、 当時やっと乗りはじめた補助輪付きのオンボロ自転車(5人兄弟の末っ子だったので年季の入ったお下がりだったと思う)にまたがって、 歩いて5分もしない母の職場に、向かった。 当時母は、障がい者施設の寮で料理を作っていた。 両親ともに福祉施設の職員で その頃の私は、そこにいる"しょうがいしゃのひと"たちが どうやら

          「死ぬなら今かなってくらい今が好きです。」

          独り言を呟く某アプリケーションを使っている。 もう、登録してから5年経つらしい。 なんだかんだ私も独り言を好きに呟くためのツールだ。 って割りきれずに、どうしても送信ボタンを押せないときがある。 そういう時はそっと下書きにしまって そっとアプリケーションも閉じる。 そんなことも忘れてまた開く。 また下書きにしまう。 独り言にすらできない言葉が、 いつの間にか5年分も溜まってしまっていた。 はぁ、そりゃあ息苦しいわけだ。 掃溜のような言葉たちを成仏させよう

          「死ぬなら今かなってくらい今が好きです。」