当時鬱だった大学生が「我々だ!」と出会った。その彼らがいなくなる話
※これまでのような形態の「〇〇の主役は我々だ!」が終了するにあたり、いままでの感謝の気持ちを込めて記します。
※個人の雑記です。
私の大学時代において「〇〇の主役は我々だ!」、とりわけグルッペンという人物の存在はあまりに大きい。
鬱で、現実逃避がてらマイクラ動画しか見ることができない時期があった。
「我々だ!」の印象は、とっつきにくいコンセプトと初見置き去りの内輪ネタオンパレード……だった。
だが、企画系の動画を見ているうちに取り込まれ、気がついたら私も「内輪」の一人になっていた。
なかでもグルッペン氏が印象的で、古い動画からブロマガまで見漁った。
好きだった物事に対しても突然興味が沸かなくなり、あまり勉強に集中できず、ひたすら気を紛らわしていた私にとって、久しぶりに熱中できたのが彼だった。正しく一筋の光であると同時に、初めて「思想」に触れた瞬間だった。
彼の物の見方は、かなり俯瞰的かつ冷静・平等で、目の前しか見えず苦しんでいた私には衝撃的だった。
歴史と、私がいま生きている現実が地続きであることを彼から学んだ。
YouTubeやゲームの動画も、単なる現実逃避として眺めることしかなかったけど、彼がニコ動からの遍歴を解説してくれたことで「動画文化」そのものが好きになった。
彼が言う映像表現や、ゲーム実況を通してキャラクターを確立し世界観を構築していくことの面白さに深く共感した。
「また、やけにフワッとしたフザけた展望を語っているな」とブロマガを読んでいたら、それが後に有言実行されて驚くことが何度もあった。
「組織を編成して一つの目標へ向かって取り組めば、想像を現実にできる。」
このことは社会や、社会を構築するあらゆる組織の根底にあると思う。「我々だ!」が行っているのは、グループでゲームの実況動画を撮る活動だけれども、この根底の部分を目の前で、分かりやすく見せてくれたことがとにかく嬉しくて、嘘じゃないんだと信じることができた。
「我々だ!」、そしてグルッペン氏に出会ってから、生きていくうえで受け身であってはならないと思うようになった。
フワッとしているけど私も、自分の見たい未来を自分の手で作るぞと決意した。
その辺りから自然と病院の薬も必要なくなった。
歴史を学ぶこと面白さに気付き、取り損ねた単位を全て取った。就活を早々に終えて、ストレートで大学を卒業した。
まとめると都合良く聞こえるが、在学中思い出したくないような不安の感覚、暗い感情が沢山あった。
不安定な時は、おもしろおかしい彼らのコンテンツと、常に強気な彼らの姿に支えられていた。
その頃から時間が経ち、現在私は社会人だ。
見始めた当初は、「我々だ!」含め大人を自分とかけ離れた偉大な何かだと思っていたし、幼い故の捻くれで「いい年して暇なのかな」などと思っていた。
だが、大人になった今なら分かる。
仕事や様々な事情があるなかで各々が時間を作り、絶えず、諦めず、熱心にコンテンツを生み出し続けた姿勢がどれほど素晴らしいか。
これまでも様々に形を変えて歩んできた彼らだが、私に大きな影響を与えたこれまでの「我々だ!」は終了したと認識している。
長い間ありがとう。当時大学生だった私に、学ぶことの楽しさを教えてくれてありがとう。
彼らと出会わなければ、彼らが彼らでなければ、私はまだくすぶっていたかもしれない。
今回のような顛末は悲しいが、これも歴史のなかの一つの出来事として、一つの時代の終わりとして、ゆっくりと受け入れようと思う。
「〇〇の主役は我々だ!」であり続けるメンバー、「まじめにヤバシティ」として活動するメンバーの双方を応援し続けるつもりだ。
ただ一つだけ
これからも、彼らが変わらず「友人」でいてくれことを願ってやまない。